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死に損ない 2

後編では自殺前、自殺後の気持ちにフォーカスして書こうと思う。前編長すぎて読みたくないけど自殺する人の気持ちが知りたい人のために要約すると僕は今年の1月27日にODによる自殺をして、ICUに入れられてしに損ねた人間です

2020年9月
僕は第1次死にたいピークを迎えていた。部活で人間関係崩壊していた上に勉強も出来ずこの先に希望が見いだせなかった。だからどうしても生きていける気がしなかった。だから唯一の友達(だとおもっていた)人に死にたいとLINEを送った。その人とは中学卒業後高校が離れても1年ちょっと毎日を欠かさずLINEを続けていた程度には仲が良かった。その人とはずっと仲良くしたいと思っていたけど、メンタルが崩壊していた僕はもう何も考えられなかった。その後1週間程既読無視をされた。(余談ですが僕はLINEが5分以内にかえって来ないとメンタルが死にます。既読無視なんて論外です。周りの人にはくそメンヘラって呼ばれてます)そんな僕なのでもうこれは無理だな、友達なりの縁を切りたいってサインなんだなって思った。だからもうその友達とは関わらないようにしないとって思った。それからは関わるのを止めた。もうその時の僕には止められるものがなかった。ここで自殺を決意する。

2020年10月〜12月
ひたすら自殺の方法を考えた。いっぱい調べた。その結果ODでの自殺に決定。その頃の僕はモンスター中毒でひたすら箱買い毎日2本以上飲まないと眠くてふらふらする程だった。モンスター飲まないで生活したら眠過ぎて駅の階段から落ちたww恥ずかしかった。ODが決まってからはひたすら薬を買い集める。しかし僕はGPSで母親に逐一居場所を把握されているため迂闊にドラッグストアに行くと何買ったかを聞かれる恐れがあったため自殺を悟られないためにも注意深く行動しなければならなかったため思いの外買い集めるのに時間がかかってしまった。

2021年1月27日
自殺決行日。学校ではひたすら死ねることへの高揚が止まらなかった。幸せの最高潮だったと思う。家に帰ったらやる事を授業中に考えていた。本当に楽しかった。帰宅して遺書を書いたりと昼間考えたタスクをこなしていく。ついに最後のタスク。僕かくそメンヘラと呼ばれる所以でもあるのだろうか、僕はくそほど性格が悪くて執念深い。だから唯一の友達だった縁を切った人に最後の連絡をした。今から死んでくるねと。本当に最悪な人間だと思う。だが本当に大好きだった元友達の記憶にどんな形でもいいから残りたかった。彼にしては珍しく早くLINEが返ってきた。引き止めてくれた。だけどもう僕の意思が揺れ動くことはなかった。だから「最後に連絡しておきたかっただけだから。お疲れ様。今までありがとう。迷惑かけてごめんね。」とだけ告げて自殺を決行した。夜中12時回った頃薬を飲み始めた。結構錠剤大きいし、50錠も飲まなければなからなかったため30錠あたりで喉が受け付けなくなってきたが死ぬために意地で50錠飲みきった。その後は薬が効くまでモンスターを飲んでぼけーっとしていた。もう死ねることへの安堵が凄かった。その安堵も束の間吐き気に襲われる。視界はグラグラするし気持ち悪いわでトイレに駆け込む。吐き始めて母親が気づいて起きてくる。最悪だと思った。でも吐き気は止まらないしでもうどうしようもなかった。母親にキレられながら救急車を呼ばれる。吐き続ける自分を見て(?)身体が死に抗ってることを感じてどうしようもない虚無感に襲われていた。救急車に乗るも警察になんでODしたのかなどを聞かれる。そんなの死にたかった以外ないだろと思いつつもぼけーっとしていた。ちゃんと答えなくてほんとうに申しわけない。その後病院に運ばれ点滴を打たれた。ゆっくりな点滴だったためいつまでも終わらなくてイライラした。眠いのに吐き気が定期的に襲ってくるため寝られない。吐きすぎて胃のあたりが筋肉痛。笑う。

1月28日
朝六時頃まで点滴を落とされ続ける。病院の先生が来る。先生に致死量超えちゃってるからICU入るからねって言われて本気でなんのための致死量だよって思った。コロナの検査などもしたが、立つ度に吐くし、立たなくても定期的に吐くしで疲弊していた。ICUに入れられて心電図とか色々付けられる。心拍数が一定以上上がるとピーピーなるようになっててなる度に看護師さんが来てくれるけど、その時は何が何だか分からなくて動いたらピーピーなるのかと思ってた。(実際半端ない頻度で鳴ってた)でも心拍数で鳴ってるわけだから動かなくても心拍数が上がれば当然なるわけで、動いたらなると思ってた僕はすごくイライラしてた。あと、コロナで忙しいのに自殺して死に損なったようなやつがICUに入っていることにすごく罪悪感を覚えた。生きてても死んでも変わんないのに。とりあえずこの日は時間が進むのが異常に遅くてしんどかった。自殺前僕は色んなサイトを読み漁ってたから自殺失敗した時は後遺症が残ることも覚悟していたがそれらしきものは一切なく少し安心していた。夜になるにつれ吐くことも少なくなっていきかなり楽になっていた。

1月29日
やっと病院から開放された。約2日オールだったのに全然眠くなくて意味わかんなかった。母親になんで自殺したのかとか色々聞かれたけど理由なんて大量にあるし、別に言うまでもないなって感じであえて言うことは無かった。

こんな感じで僕の自殺は未遂に終わりました。常々雑魚だなって思うしなんで死ねなかったんだろうって今でもずっと思ってる。僕が生きたところで何も変わらない。これはみんな一緒だと思う。芸能人が一時期自殺した時があったけど、影響力がありそうな人達でさえ死んでもそのうち忘れられるし、代わりなんていくらでもいる。世界は何も変わらなかった。そしたら僕なんかが死んだところで何も変わるわけないんだよ。だからそのうちまたやらかすんだろうなって思ってる。

僕のくそ長い死に損なった自殺体験記ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。
僕の言葉が誰かに届いて、誰かの心を少しでも軽く出来れば幸いです。
お疲れ様です。あまり無理しすぎないでくださいね

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