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口を塞がれた憐れなプードル【プロポ】220929

日本人がマスクを手放す日は相当遠いだろう。

というか、最早、「マスク禁止」となったとしても、つけ続ける人が大勢いそうな気がする。

マスクと日本人の親和性はあまりにも高すぎた。


私は、今すぐにでもあんなもの、放棄したいと思っている。

理由は至極簡単で、

『不自然』

だからだ。


もう、言葉そのまんまの意味で、不自然だと思っている。

自然界の、あるべき姿ではない。


動物園の動物たちや、ジャングルやサバンナの動物たちが、みんなマスクをつけていたらどうだ?

気持ちわるいったらありゃあしない。

なんなら、何者かによる虐待だ。


虐待ならまだしも、その動物たちが望んで装着しているんだから、一層タチが悪い。タチが悪いというか、根が深い。


今日は、手前味噌ながら、私が趣味でやっているバンドの曲を、掲載させていただく。

1年以上前に、このマスク生活を憂いて歌詞を書いた曲だ。

「もうそろそろ、こんな生活終わるかもなー。そうなったらこの歌詞も過去のものになるな。」

なんて、思っていたが、我ながら、未だに全く色あせていない。
なぜなら、生活はほとんど変わっていないのだから。

喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。

口を塞がれた憐れなPoodle
シッポ振ればメシにはありつけそう
でも轡を取って吠えたが最後
きっと明日はここにいないだろう

ジルバ踊ってみたいな
ヘルシンキ行ってみたいな
バビ・グリン喰ってみたいな
くたばる前に

ピスコ呷ってみたいな
オサムライ気取ってみたいな
この「在るが取らず」みたいな
「待て」を守るだけさ

ベルが鳴る時
鎖など無くても
僕は動けない
座って静かに
ただ、このふざけた、白けた、
瓦解した日が終わるのを待つ

ついに零れた涎のように
熟れた孤独が漏してしまうよ
いつか忘れた歌のように
飢えた愛しさが萌してしまうよ

ああ 立ち眩みそうな程 沈む日もそうそうあれど
さあ 立ち上がること 忘れちゃいない
なあ 懐かしいあの娘 名前なんて言ってたっけ?
まあ 思い出せずに 今を過ぎて

嗚呼 止め処なく 込み上げる

「吾輩は犬である。名前は無いこともないが、名乗るほどのものでもない。恥の多い生涯だった気もするが、大抵のことは忘れてしまった。だが、薄暗い湿った部屋の隅でワンワンワンワンと泣いていた夜のことははっきりと覚えている。今では、この真綿で首を繋がれたような日々の中、そう、あの懐かしい町を、母なる野を、青青とした山を、自由に駆け回る憧れ。その憧れだけに生かされている。」

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