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「安全」と「健康管理」よりも大切なもの

施設で職員として働いていた時代にギモンに感じてたことに「安全」と「健康管理」が「無意識に(当然のこととして)」最上位に位置付ける人が多いことです。施設に限らず、日本全体がそうとも言える気もしますが。
「やりたいことをやること」「自由」が私の最上位概念なので、話が噛み合わなくなることが多いです。

そもそも施設に入る本人の多くは、長生きしたいから施設に入るわけではありません。「子どもに」迷惑をかけたくないから施設に入ることをやむなく受け入れてくれているのだと思います。「子ども」に迷惑をかけたくないというのは「子ども」に自分の介護をさせたくない。あるいは「してくれそうもない」と感じているからです。

そして施設に入った方々と話していて思うのは、職員に対してすら自分の存在は「迷惑をかけている」という風に感じてる人が少なからずいるということです。はっきりと明言する人は少ないですが「迷惑をかけて生きるくらいなら、早くお迎えに来てほしい」と感じてるのが伝わってきます。「生きること」を楽しんでいる人が施設には非常に少ない(これも施設は縮図で日本全体がそうなのかもしれません)。生きることを楽しむとは自分の時間を楽しむということです。

その数少ない機会の一つが「食事」だと思うのですが、健康の名の下に禁じられることが多いです。塩分制限・糖分制限などですが、これらは本人が積極的に長生きしたいという意思表示があって意味があるものです。

つまり「やり残したことがある」「まだまだこれをやっていたい」ということがある人は食事の楽しみを減らしても、それよりも上位の楽しみがあるからいいのですが、食事しか楽しみがないのに、その食事の楽しみを減らすなんて私には意味がわかりません。

たとえば施設には醤油をドバドバかけるお爺さんが時々いるのですが、確かにびっくりするし、そんなにかけなくても!という気持ちには私もなりますが、だからと言って差し口が細くなっているちょっとしか出ない醤油差しにしたり、あるいは薄めたり、別のものに変えてみたりと様々な工夫をしたりする職員がいたのですが(もちろん意地悪ではなく良かれと思って。いやもしかしたら潜在的には意地悪だったのかもしれない)ご本人が何十年もそうしてきて、それがその人の食事の楽しみ方なら、尊重すべきだと私は思います。

醤油のかけすぎよりも気にしなければいけないのは、ご本人が介護されることを「迷惑をかけている」と感じていることです。ちなみに醤油をドバドバかけるような人はそんな風に考えていないことが多いのでそのままでいいのだと思います。ご本人が「迷惑をかけている」と感じている入居者の方は、施設内では、手のかからない「良い入居者」と思われていたりもします。しかしご本人が「迷惑をかけている」と感じているということは本人が、自分が生きていくことに「価値がない」と感じていることの裏返しです。
つまり生きて「やりたいこと」がないのです「生きる喜び」を感じていないのかもしれません。

だから私は「健康」や「安全」よりも、その人にとって楽しいと感じることはなんなのかを見つけることに力を入れたいのです。残されたその人の時間を楽しんで過ごせるように。「迷惑をかけている」のではなく、自分が人生を楽しむことを「手伝ってもらっている」と感じて欲しいのです。


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