見出し画像

「すごい家族」の話を聞きました

自宅での家族での看取りについて話を聞く機会がありました。
78歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け亡くなるまでの4年半の話です。

介護の中心を担ったのは結婚という選択をしなかった同居の長女の方。サポートしたのは後述しますが別居の父、結婚をし二人の子供(長男24歳・長女21歳)を持つ次女とその夫の方。総勢6人と訪問診療・訪問看護の協力で素晴らしい看取りをされていました。ちなみに介護ヘルパーはほとんど介在していません。死に直面する当事者であるお母様が介護ヘルパーによる介護を望まなかったからだそうです。

お母様がどんな方であったかは詳細には知ることができませんでしたが、自分の命に対して明確な意思表示ができる方であり、生き方・在り方に対して明確なこだわりを持ったカッコいいお母様で、家族から深く愛されている方でした。

で、どんな4年半を過ごされたかというと、ALS発症後、約1年の間に食事がだんだんと食べられなくなりペースト食を医師から勧められるようになります。しかしお母様は市販のペースト食は色々試すもどれも「不味い」明確に意思表示。長女の方がどんなものが食べたいの?と尋ねると帰ってきた答えは「オムライス」。長女の方はケチャップライスをフードプロセッサーでペースト状にし薄焼き卵もフードプロセッサーにかけてオムライスを再現すると「美味しい」と食べてくれたとのこと。そうこうするうちに喀痰吸引(自力で痰が出せないため吸引器を使用して痰を除去すること)が必要になります。ちなみにALSは喉から始まる場合や手先から始まる場合などどこから始まるかは人によって異なるそうです。この方の場合は舌が動きづらくなるところから始まり口腔・食道へと広がっていったようです(この時点で体重35kgになっていたとのこと)。

医師から「胃瘻(胃に直接、流動食をチューブで送ること)」を勧められるも本人が断固として拒否。胸の苦しさ・上半身の痛みが始まる。この時期に温泉にも行ったそうです(すごい)。

ちなみにこのお母様は68歳で玄米菜食のカフェを開設されたり次女さんはヨガのインストラクターをされたり、ご本人もスピリチュアルなものに対して感度のある方のようでしたので、いわゆる標準治療だけでなくあらゆる方法を試していたようです。温泉もその一環かもしれません。

そしていよいよ飲み込みが衰え誤嚥性肺炎(食べ物が肺に間違って入ってしまいそこから肺が炎症を起こすこと)を繰り返すようになり首も座らなくなり首枕が必要になります。この枕も中々、本人が気に入る素材・感触のものが見つからず探すのが大変だったそうです。

2年半が過ぎ、酸素の吸入もままならなくなり始めた頃になってようやくお母様は「胃瘻」を受け入れ手術を行います。

全身が動きづらくなってきたのか自宅にて転倒。一時期は寝たきりになるものの約2ヶ月で椅子に座って座位が取れるほどに回復。しかし全身の痛み、痙攣は続き痰も取りづらくなっきたことから鼻からチューブを入れることに。またこの時期に車椅子を購入し、車椅子生活に。
生活の中で楽しみが少なくなってきたので「本の読み聞かせ」を長女さんは始めたそうです。子供ではないので、絵本とかではなく普通の小説などです。読み始めてもこの話はつまらないなど、本人が面白いと感じそうなものを探してくるというトライ&エラーの繰り返し。ちなみに次女さんは読み方が気に入らないという理由で読み聞かせは長女さん専門の仕事になったそうです。

2022年の最後となるお誕生日会を迎えます。82歳です。長女さんが考えたのは家の中に82と書いたシールをお母様のパジャマの襟の下から写真立ての後ろ、ライドシェードの上などあるゆるところに隠します。それを家族6人が一人ずつ3分間でいくつ見つけられかを探すというものです。お母様は全ての場所を知っているのでお母様に聞くこともできます。ただもうこの時期がお母様は喋ることはできず、指で文字をなぞって伝えることしかできません。しかも指もかなり動かなくなっているので判読もかなり難しくなっています。82のシールをたくさん見つけた順にお母さん(おばあちゃん)からお小遣いがもらえるというものです。

明けて2023年1月。寝る時間が増え呼吸も浅くなることが多くなってきたそうです。この時期の唯一の楽しみが「お散歩(寝室から車椅子に移乗し、リビングを通ってベランダにいくこと)」トイレにも自力でいけないので24時間体制で6人の家族がローテーションを組んでお孫さんたちもトイレのお手伝いをしてくれたそうです。夜は「お散歩(時間の感覚も困難になってきていたので)」だけでなくトイレも頻回になるので長女と次女さんが二人で泊まり込み、交代で対応していたとか。そして3月4日AM5時に長女さんと次女さんが同時にウトウトとしてしまった30分の間に逝ってしまわれたそうです。

生前、死ぬときは誰もいない時にひっそりと眠るように逝きたいとおっしゃっていたそうで「見事にしてやられた」と長女さんは笑顔で語られていました。

葬儀は本人の兼ねてからの希望で家族葬で行われました。といってもお母様のお姉さん家族(孫含む)と合わせると総勢十数人になったそうです。
喪主はお母様の夫である「お父様」。このお父様は15年前に「英国留学」をしたいから勉強と自活能力をつけるために自活をしたいということで家族公認で車ですぐ駆けつけらられるぐらいの距離のところで「楽しく一人暮らし(長女さんの弁)」をされていたそうです。寝たきり後の24時間ローテにも参加し、それまでも車が必要な時にはすぐに出してくれたそうです。

その喪主であるお父さんが葬儀の挨拶で語り始めると「自分は年下の夫で出会った頃から妻から褒められたことはほとんどなかった。ただ自分の「歌声」だけは褒めてもらっていたので今日は妻のために「君恋し」を歌いますと言って、故人の名前に歌詞を変えた歌詞カードを全員に配って歌いながら送ったそうです。

葬儀が終わった後、長女さんとともに最後のローテーションの要だった次女さんが突然、「あ、今、お母さんが私の中に入ってきた」と叫んで参列者一人ひとりに「お母さん」になりきってお礼の言葉を話し始めました。これは長女さんと事前にお母さんだったらみんなにこんな言葉をかけるであろうことを話し合った仕込みだったそうですが、すべての話を聞き終えた私の感想は「いやーすごい家族をお母様は作られたのだなー」ということ。

日頃、これからは家族の介護や看取りは、家族に押し付けるのではなく社会でやっていくべきだということを考え続けてきた私には、ちょっと衝撃的な「家族のあり方」でした。

お母さんの希望で訪問診療や訪問看護という医療の力は借りたもののいわゆる介護ヘルパーはほとんど入れずに家族だけて看取りきったそうですから介護職としては脱帽するしかありませんが、それよりもそんな家族を育まれたお母さまの生き方に感服しました。

いやー話聞いてむちゃくちゃ面白かったし、考えさせられました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?