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つれづれ通信(仮)No.23 編集長はわたし、ライターはchatGTP(解体新書と前野良沢)

新年度を迎えようとしていますが、いかがお過ごしですか。どうもコジコジです。最近仕事でchatGTPを使い方を学べたので少し使ったのですが・・・
これ、大変便利ですね〜ということでchatGTPに記事を書かせてみました。
最近大分県中津市に旅行に行ったのでそこで解体新書をみたのでそのことについて書いてます。

前野良沢とは

「中津藩の歴史において、藩医として活躍した前野良沢は、蘭学者としても知られています。彼は江戸時代後期から幕末にかけて活動し、西洋の医学や科学を学び、その知識を日本に広めることに尽力しました。前野良沢は、中津藩の藩医として勤めながら、オランダ語を学び、オランダの医学書や科学書を翻訳し、日本の医学の発展に貢献しました。彼の蘭学の知識は、中津藩のみならず、他の藩や学者たちにも影響を与えました。また、前野良沢は蘭学のみならず、漢方医学や和漢医学にも通じており、幅広い医学知識を持っていました。そのため、彼の指導のもとで多くの若手医師が育ち、医学のレベル向上に貢献しました。前野良沢の功績は、中津藩だけでなく、日本の医学の発展に大きな影響を与えました。彼の業績は、現代の日本の医学教育や研究にも継承されており、その名前は医学史上で永く輝き続けています。」
とchatGTPが書きました。
第3代目中津藩主・奥平昌鹿は、前野良沢を支援しており、ある日良沢が本業の仕事をぜずに蘭学の翻訳ばかりしていることを他の家臣に非難されても庇ったそうです。そのぐらい信頼されていたということなんでしょうか?

日本初の翻訳本「解体新書」を出版

ドイツ人医師、ヨハン・アダム・クルムスが書いた「アナトミッシェ・タベレン」を元に、オランダ人医師ゲラルドス・ディクテンがオランダ語に翻訳した「ターヘル・アナトミア」、それを杉田玄白、前野良沢らが翻訳したものが「解体新書」です。
「ターヘル・アナトミア」は100両(現在で約1,000万円)ほどで購入しているそうです。
少しぼったくられているような気がしますが・・・
1771年3月5日に翻訳を開始したそうです。
ちなみに前日の3月4日は、翻訳のために解剖と観察をしています。

解体新書(初版本)大江医家史料館

解体新書の翻訳者に前野良沢の名前がない?

1774年8月に解体新書が出版されました。
※出版当時、鎖国中で海外の学問について幕府の厳しい監視下に置かれていました。一歩間違えると発禁絶版の島流しになるご時世でした。
このことを踏まえて杉田玄白は用意周到な配慮をしました。(前年に解体新書のパンフレットを作成して幕府、朝廷に見せ反応をみました。結果は咎めもなく称賛されたそうです。)
しかし、翻訳者に前野良沢の名はありませんでした。
序文には前野良沢のことが記載されているので、翻訳したのは間違いないそうです。
諸説あるそうなんですが、以下の3つの説が有力視されているそうです。
①前野良沢は完璧主義者で解剖・翻訳のレベルに満足できなかったため
 →改訂版への翻訳がすぐに始まったことから初版は解剖・翻訳レベルは低かったようです。
②太宰府天満宮(福岡)で名利のために学問をしないと、学問成就の際に誓ったため
③もし、咎めをうけることになった場合、罪は杉田玄白らが被り、前野良沢を庇うため
上記の3つの説があるそうです。
因みに、序文を書いたのは吉雄耕牛という幕府公式通訳であり蘭方医です。この方前野良沢の師匠だそうです。

おわりに

今回は、前半をchatGTPに書いてもらいました。
一応は調べたので大丈夫だと思いますが、間違っていたらすいません。
中津市を楽しく観光させてもらいました。
解体新書は、大江医家資料館(中津市歴史博物館 分館)で見ることができます。大変貴重な資料を見せていただきました。
大江医家史料館は、中津藩の御典医を勤めた大江医家の旧宅と史料を中心に、中津の医学・蘭学の流れがわかる史料館です。他に村上医家史料館があります。
ぜひ、中津市に訪れた際は行ってみてください。
それでは今日はこの辺で・・・


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