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地域の山に登り、野生動物の自給自足とアベノミクスについて考えた

 また山に登った。ポストコロナだからだ。職場で辛いことがあって、それを整理するため、そして入管法が通過してしまいそうで苦しい心を支えるため。明後日は翻訳の資格試験である。私は田舎でNPOで働きながら、ものかきをしている。とにかく、心を整理し、コンディションを整えようと思った。家にいると、休憩といっても本を読んでしまうから。

 展望台から街が見渡せた。虫たちが花などの周りを飛んでいる。もし、と僕は思った。この山で生活する野人だったとしたら、それはどれほど大変なことだろう。だから、私たちは市場をつくった。展望台からは街が眺望できる。野生生物は市場を作らずに自給自足をしているのだと気づいた。毎日、いかに食を採るかを考えている。生きることは食べるものを探すこと、命を繋ぐこと、そして子供を育てること。森のなかには食物連鎖がある。最高はイヌワシやツキノワグマなどだ。そして、家畜という人間に従うように飼い慣らされた動物は少しランクが高くなる。なら、人間はというと、大企業に勤めている人は収入が高い。働けない、働かない人は収入が得られない。

アベノミクスは大企業中心だ。国家の負債額が多すぎて、国家は大企業に稼いでもらって税収をあげたいのかもしれない。私が知っていることは、国家は国家のために動くということだ。しょうがい者や外国人や不登校児や病気を持っている人などにお金を回しても経済成長はしないと考えているようだ。総活躍社会と言っているが、それは個々人の命に注目しているのではなく、ただたんに全ての人をこき使い倒そうとしているだけだと思う。経済は量ではなく、質だと思うが、質は評価しずらい。

そんなことを展望台でおにぎりを食べながら考えた。大量のお金を刷って一時的に景気はよくなったが、当然のことながら、あとから物価高になった。マイナス金利で企業はお金を借りやすくなったが、当然、アメリカとの金利差で円安になった。今の事態はアベノミクスの副作用だ。彼は自分の政権のときだけ景気が良ければ良かったのかもしれないとすら想う。ウクライナは想定外だったと思うが、麻生太郎の「戦える自衛隊」というのは深淵な狙いなどなく、本当にそう思っているのだと思う。だいいち、日常が戦争な人だから、政治的にもそうなるのだろう。

ちなみに私は道を間違えた。ポイントを通りすぎてしまったのである。途中で地図の距離にしては時間がかかりすぎていると思い引き返し、時刻までに父に車を返すことができた(私はカーシェアリング主義者である)。トレイルのスキル(?)として、「道に迷ったら恥ずかしがらずに聴け」があると学んだ。声を掛けると親切に教えてくださる。私は引き返して定刻に帰ることができた。

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