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晩期村上について 村上春樹さんの「今の時代のこともやる」姿勢は、多くの文学青年を勇気づけている。

 私は、村上春樹を尊敬して生活スタイルの真似ばかりをしていた青春期を体験し、やがて「いや、春樹さんと僕とは別人かぁ」と思い始め、今はパート先のソーシャルワーカー を尊敬している、一文学青年です。

 最近の村上春樹さんの作品を読んでいると、円熟の卓越だな、と思います。そして、なんともうれしいことに(興奮することに!)現在の文学の状況を鼓舞するような、「新チャレンジ」があります。それが合う人も、合わない人もいると思いますが、どんな「村上主義者」も飽きている人などいません。

 「一人称単数」では、短歌、詩、ボサノヴァ、数学、高齢化などがとりあげられています。また、「猫を棄てる 父親について語るとき」では、戦争を自分史のようにとりあげています。オウム真理教事件のときに、すでに「聞き書き」という新ジャンルについて早くも先取りされていますが、その流れにあります。「村上T」という、この堅苦しい空気を一蹴するかのような愉快な随筆集も出ています。そして長編の最新作の「騎士団長殺し」では、田舎暮らしや西洋的なものの退潮と東洋的なものの復活をとりあげています。

 それは、28歳の田舎で翻訳業をしている自分のことにぴたりと当てはまります。短歌や詩をつくったり、戦争体験の聞き書きを地域のボランティアでしたり、散文を書いたりしています。数学や理系科学も自然を知るために読書をします。父や母はだいぶ高齢になりました。音楽の新しい流れとしては、日本のインディー・フォークをよく聴いています。そして、Amazonで買ったゴッホ の絵がついたTシャツを愛着しています。 

 大好きだからこそ批判させていただくと(!!)、ヤクルトスワローズ詩集の「野球」の取り上げ方は、たとえば朝井リョウの「桐島、部活辞めるってよ」とだいぶ、時代がさかのぼります。ただ、村上春樹さんの予感と直感は、まるで「僕だけに書いたか」のように、一読者である私に語りかけます。

 村上春樹さんには、これからも、どんどん新しいことにチャレンジしていっていただきたいと思います!

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