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備忘録が書きたいお年頃。

 こんにちはこんばんは、みざです。
溶けちゃうような暑さ、というのがもはや冗談にならない毎日ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。熱中症と夏バテにはくれぐれもご注意下さいね。

 さて、備忘録というものが世の中にあります。恥ずかしながらこの言葉の意味を結構最近まで分かっていなかった僕ですが、もう文字のまんまですよね。忘却に備えた記録。それが備忘録です。noteでも色んな作者さんが備忘録と題した文章を投稿されているのを見かけます。そして僕はいつもついつい見ちゃってます。どの方のどの備忘録もとっっても素敵です。その時その時に浮かんでは消えるような感情や気持ちを大切に掬い上げて表現していて、すごく勉強になりますしなにより読んでいて楽しい!

 で、安直すぎる僕は備忘録を書いてみたくなったよ、というのが今日の話です。

 という流れで備忘録をいきなり書こうかとも思ったんですが、その前に一つ考えたことを今日は書こうかなと思います。

 

 備忘録というのは、青年期の少年少女達にとって大切なものなのではないか?ということです。

 みなさん、ご自分の青年期時代を一度思い出してみて下さい。もしかしたら今が青年期という方もいるかも知れませんね。

 きっと、みなさん色んなことで悩んだり、考えたりしていたのではないかな、と思います。周囲の大人たちは中々自分の本質を理解してくれない、もはや自分ですら自分自身のことがよく分からない。という経験をされた方も少なくないのではないでしょうか。僕はたくさんありました。特に中学三年の受験期は相当精神的に荒ぶってましたね。

 そんな時によく起きる事件が、
「湧いてきている感情の正体が自分も分からない」
という現象です。ほんっとうに僕はこれに悩まされました。
 怒りなのか悲しみなのか妬みなのか、或いはそれら全部なのか。なにかどす黒いものを抱えていることだけは分かるけど、その正体が分からず、抑えきれずに他人に当たってしまったりということがたくさんありました。その当時の自分はできる限りのことはしていたのでしょうし、仕方のないことではあるのですが、誰も幸せにはなりませんよね。

 そんなとき、備忘録が役に立つのではないかなぁ、と思います。

 心を文章化するということは自己理解において驚くほどの力を持ちます。名前のない混沌とした感情をそのまま一度文字にしてみることで、実はそこまで複雑ではなかったり、絡まった糸を解くように順序立てて解決する道筋が見えることがしはしばあります。僕が高校受験に失敗したときは本当にこの作業に救われました。今でも当時の痛み全てを取り除くことはできていませんが、当時の自分に少なくても落ち着きや平穏を与えてくれたのは文章化で、今でも大切にしている習慣です。悩みや感情の起伏こそあれど、冷静でかつ自分の理性をコントロールすることが昔より得意になったのは、この習慣を続けている恩恵も少なからずあるのだと思います。

 

 僕には今まさに悩める青年期の人たちを助ける能力はありませんから、一人一人がありのままの自分と向き合えるようになればいいなと、少し大人に近づいた、かもしれない、いやまだまだ全然青年期真っ只中な僕は思います。


それでは皆さん、良い一日、良い夜を〜(^_^)/~


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