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認定症ケアにおけるコミュニケーション

私は、スウェーデンで素晴らしいケアワーカーと仕事をしたことがあります。

以前の職場にいたケアワーカーであるアリーさんはイラン人でもうすぐ定年を迎える男性です。
多くの患者さんは、彼が仕事に来ることを待っています。彼の物腰はとても穏やかで、「こんにちは、アリーです。今日はお天気がいいですね。」といって右手をそっと相手の前にだします。
これを認知症の患者さんには毎回同じようにします。事務的な感じではく、馴れ馴れしい感じでもなく、大人同士の普通の会話の始まりのように、丁寧にあいさつします。

そして、相手が握手してきたタイミングで「調子はどうですか。」と尋ね、もっと話をしたいような患者さんには、座って世間話をします。

「今日は眠いですか。」など感情や気持ちについて尋ねることはあっても、「お昼は何をたべましたか。」と記憶を聞くようなことはしません。もし、握手をする手を出しても反応のないときは、「今日仕事をしていますから」といって、それ以上無理に話を続けることはなく、また少し時間がたってから、声をかけます。

着替えや食事の介助のときには、自分が何かの目的のためにその人のところへ来たという様子は見せず、「調子はどうですか」と相手の話を聞いて、「今8時になりましたし、着替えますか?」と聞き、本人が望めばそれをお手伝いし、患者さんのタイミングに合わせて、ケアを進めていきます。
 
ある日認知症を患ったハンスさんが、家に帰るといって自分の車を探し始めました。もちろん、この方は車の運転はここ何年もしていませんし、入院中でまだ退院の予定もたっていません。アリーさんは一緒に歩き回りました。「あなたは入院していて帰れません。」といったり、「車は持ってないですよ。」と相手の考えを否定するようなことも、間違えを直したりもしません。

ゆったりとした態度で、一緒に歩き回ります。ハンスさんが歩き疲れたタイミングを見計らって、飲み物でも飲みましょうと、食堂へ誘い、別な話を始めます。そして、ハンスさんは車のことを忘れて落ち着きました。


認知症の方のケアでは、その方の考えを正して、強引に理解してもらおうとしても問題は解決しません。認知症の人が過去生きているのであれば、その人の世界の中のその時間、時代に合わせて話をし、少しでも穏やかな心の状態を保てるようにお手伝いすることがケアです。
さらに、ケアをする人は「お手伝いしますね」とよく声を掛けますが、手伝ってほしいと言われる前に善意の思いでいったとしても、認知症の方には「あなたは自分ではできないので、私が必要ですね」と聞こえることもあります。自律できている、という思いを尊重しつつ、「一緒にやりましょうか。」と声をかけることも一つの方法です。

一人の大人に対して、敬意と尊重をもって接する態度は、言葉だけではないコミュニケーションであり信頼関係を築くためにとても大切なものです。
 
認知症ケアはとても忍耐のいる仕事です。コミュニケーションが取りにくく、認知症を患う方の感情の浮き沈みも頻繁です。

ケアをする人、ケアを受ける人はいつでもお互いに影響しあいます。

スタッフが忙しくてイライラしていれば、ケアを受ける人も落ち着きがなくなりますし、認知症の人が不安で俳諧を始めれば、担当のスタッフも「どうしよう」と動揺します。

できるだけ穏やかな気持ちで仕事しようと心がけていますが、そうはいかないことも多々あります。一日中同じ人の担当をしていると、一人の認知症の人に付きっきりになり、気持ちが落ち込んだり、イライラしたりすることもあります。

その時にはチームメンバーがケアを変わり、担当の人が別な場所で一呼吸して気分を変え、何か問題を抱えていれば話合うようにします。
一人で抱え込んでしまうことは、ケアを受ける側、ケアをする側にとってもいいことはありません。認知症の人の思いに共感し、分かりにくい表現を解釈するには、心の余裕が必要です。


ケアをするときには、「私は、十分な時間がありますから、慌てずにしましょう」と明確に伝えます。そうすることで、高齢者の方は安心して、自分のできる方法で試したり、手伝ってほしいことをいうこともできます。

私の職場では、ケアに時間がかかることは、ケアをするスタッフの能力の問題ではないと、みんなわかっています。
時間がかかる高齢者を受け持つときは他のスタッフに協力してもらいます。みんなどんなケアが良いケアで、その人にあったケアをすることを一番に考えるという同じ理念の基に仕事をしていますので、仕事が終わらないようなことがあれば、みんなで解決策を考えていきます。

どうすれば人員の限られたなかで、質の高いケアを提供できるか、いつも話し合っています。

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