短歌:省みる
かなり前に他界した亡父は、子育てにも子ども自体にもほぼ興味を持たない仙人のような人でした。しかし、子どもの頃はほかの家庭のことは何も知りませんでしたから、世の父親とはそういうものだと信じていました。
ですから、言いたいことを思いきりぶつけたことがありません。言ったところで相手に聞く気はなく暖簾に腕押し状態。なんなら、父はわたしの発言を母に告げるため、母の歪んだ理解によって、その後、理不尽な返り討ちに遭う、というパターンがあったからです。
奇妙な二親の下で育った割にはわたしは素直で、ぐれずに道を外れることもなく、かなりまっすぐめな大人になりました。なので、晩年に長患いをしていた父に対し、子どもの頃から言いたかったあれこれをぶつけることもしませんでした。大人気ないことと思っていたからです。
しかし、亡くなってみると、父に言いたかったことが山のように残りました。
返事がないことをさみしいという感情で括ってよいのか、自分の中の納得ゲージはあまり振れていないのですが、少なくとも伝えたいこと、伝えるべきことは、相手が意識あるうちに届けるべきです。
あの頃から短歌を詠んでいれば、短歌に思いを乗せて気持ちを発散できていたかもしれません。
いろいろ理解困難な父でしたが感謝する面もありまして、読書を趣味とすること、百人一首を覚えたことは、間違いなく父の影響です。
わたしの短歌の根底にあるのは、百人一首との出会いです。
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