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短歌:触れ合う

君の手が左の頬を包み込みその手に僕は両手を添えた/銀猫
きみのてがひだりのほほをつつみこみそのてにぼくはりょうてをそえた

 スキンシップ短歌が増えてきた感があります。不満を溜め込んでいるつもりはありませんけれど。

 この構図は、大好きな「ふたりの世界」なんです。ドラマでも映画でもマンガでも小説でも、この描写には弱くて。やわらかくてやさしい愛情が漂っているというか流れているというか。

 余談ですが、ヘッダー画像の猫さんのイラスト、とてもよくわかります。我が家の二猫様たちも、ほっぺむにむにが大好きですから。

 戻りましょう。
 ただし、ドラマも映画も小説もマンガも、恋愛が主軸のストーリーは苦手なんですよね。別のメインストーリーがあってサブストーリーとして恋愛もしくは匂わせがあって、そこでこの描写が入ってくるのに弱い。

 はっ! それは短歌も同じではないのか。短歌はいいのだろうか。どうして短歌は許されるのだろうか(すべて自問です)。

 わたしが作歌で意識しているのは、その歌の前後にあるストーリーが見える/想像できる状態で、その中のワンシーンを切り取ることです。つまり、物語の一場面を詠みたい。できているかどうかはわかりませんが。

 読み手の想像に委ねる部分が大きいですが、読み手の数だけの解釈があって然るべきだと考えます。

 自分が他の方の短歌を読むときもそう。わたしはけっこうアクロバティックな読み取り方をしている自覚があり、もしも作者がそれを知ったらがっかりするだろうという予想が付きますが、それでも自分なりの自分だけの解釈をしたその短歌の世界に入り込むのは至福です。

 わたしにとって、短歌は小宇宙です。
 銀猫の短歌に触れてくださるみなさまも、小宇宙へ誘うことができていれば、詠み甲斐があるというものです。

 いつも💛をありがとうございます。

 

 

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