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短歌:足りない

で、僕らは何度も縋りキスをしたまるでひとつの生になるよう/銀猫
で、ぼくらはなんどもすがりきすをしたまるでひとつのせいになるよう

 特に小説を読んでいて思うのですが、キスの描写って、文章の巧拙が強く出るような気がしています。わたしが選んで読むものがそう感じさせるだけなのかもしれませんが。

 わたしは、短歌の前後に物語を構築してから短歌を詠みます。そんなに大袈裟な話ではなくて、「このふたりのバックグラウンドはこんな感じで、こういうことがあったから短歌の場面になって、そのあとにはこんなふうに関係が進んでいく」ということを考えてから詠んでいるということ。

 その中に自分の経験や感情経験を混ぜ込むことを意識していますが、時には100%が妄想から生まれることもあります。

 妄想主体となるときに、これまで読んだ本/見た映画/聞いた話を思い出して場面化することが多いのですが、キスの描写がうまい表現作品ってイイなあ、と思っている自分に気付いてしまいました。

 なんでだろう。まあ、単なる嗜好の問題と思いますけれど。

 いつもは夕方あたりに大まかに下書きして深夜に更新しているこのnoteですが、今日は時間がなくて、深夜に一から記事を作りました。
 だから、いつもよりねっとりした話になるんだろうなあ、きっと。

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