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12.いつか野良猫になるときに


私は エレクトーンとピアノを習っている。


先生は
かわいがっていた猫が 亡くなったとき
「もう 猫は飼わない」
と 言った。
「最期までみれるか 分からないから」

先生は 私の母親くらいの歳だ。

また あるとき
「もう 小さい子のレッスンは
新しく 受け付けない」
と 宣言した。
「最後までみれるか 分からないから」

私たち先生の生徒って 猫みたいだ。

そうは 言っても
受け持つことにした子も いた。
生徒の 子どもや親戚だ。
「私が みれなくなっても
ママが 何とかすればいい」

そんな最後の小さい子たちも 大きくなり
新生活を 始めるタイミングで
ひとり またひとりと
レッスンも 卒業していった。

今春 専門学校に通うために
親元を 離れた子がいて
先生の生徒は 私のように
何十年も 通っている人だけになった。

高校から始めて 途中中断した私ですら
20年は通っているから
長い人は いったい何年通っているのだろう。

私はまた 1番最近入った子に戻った。

もちろん 人数は多くない。

けれど みんな
いつ 野良猫になっても
好きに楽しく 弾いてゆける人たちだ。


先生の レッスン・スケジュールは
土曜の午前中にひとり 午後にひとり
と いった感じだ。

時間も
決まっているけど 決まっていない。
家を出るときに
「今から行きます!」と連絡して
着いたら まずおしゃべり。
それじゃあと弾いて またおしゃべり。
そして
そろそろ 終わりだね
という雰囲気になったら 終わる。

発表会は 2年に1度。
後輩の先生と 一緒に開く。
後輩の先生は まだお若くて
小さい子たちが にぎやかだ。


先生は まだまだお元気で
発表会も あと50回はやりそうだ。

でも お友達の集まりに
来れなくなって しまった人が
ちらほらいる という話を聞く。

こういうことは
順番に みんなに
やってくる。

最初のレッスンが あったのだから
最後のレッスンだって あるのだ。

それを
どのような形で 迎えるのかは
分からないけれど

そのときがきたら
こうして私が書いた記事の存在を
先生に伝えよう と思っている。

先生 びっくりするかな。
こんなこと あったっけ?って言いそうだ。


私は 最近老眼が進んだ。
先生は とっくに老眼だ。

五線の上や下に
いっぱいはみ出た 音符を指差し
「これ何?」
「レじゃない?」
「ファだ」
と 言いながら ゆっくり進むレッスンが
1日も長く 続きますように。


先生は いつかだったか
話してくれた。

私は 大学に進学するために
レッスンを やめるとき
「実家に戻ったら またレッスンに来る」
と 言ったらしい。

でも きっと来ないだろう
と 先生は思ったそうだ。

それなのに
ある日 ドアを開けたら
あか抜けた女の子が 庭に立っていた。

こういうときが
この仕事をしていて
1番うれしい 瞬間なのだ と。

 Fine

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