「当たり前」など存在しない?

 毎日新しい発見がある中で、一つ気付いたことがある。
 私の中の当たり前は、案外当たり前ではないらしい。
 これは別に今食うに困らぬ暮らしを当然のようにしているけれど、実際は奇跡に近いことなのだとかいう話ではなく(勿論大事なことではあるのだが)、私が当たり前にやっていることを、他の人がこうしなさいああしなさいと説いている場面に遭遇したり、自分の考えを伝えたら鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされたりしたことが、立て続けに起きたのだという話だ。
 以前「疑うのって普通じゃないの?」という記事にも書いたが、私は普段から色んなことを疑ってかかっている。それはただの逆張りだったりすぐにものごとを信じられなかったりするだけで、あまり誇って言うべきことではないのかもしれないが、疑ってかかることで独自の思考や発想が生まれると説いている人が居た。そしてそれに感心している人も少なくない数居た。そうか、疑うことは普通じゃないのか。

 他にもある。仕事中簡単な計算をすることがあるのだが、いちいち難しい計算をしなくていいように、私は少しだけ工夫をしている。といっても、ある数字から380を引くときに、400引いてから20足すとか、その程度のことだ。他にもあるにはあるが、あまり詳しく書くと職場の人にバレる可能性があるのであまり言わないでおく。
 そうして計算を簡略化しておいて、私は快適に過ごすのだが、皆何故か電卓を使う。いちいち電卓を引っ張り出すことの方が面倒ではないかと思って、私は自分の行っている計算方法と、「そうすれば電卓使わなくて済むよ」という一言を付け加えて伝える。
 すると皆ポカンとした顔で、「そんなこと考えたことも無かった」と言う。そして結局電卓を使う。まあ別に自分が楽な方を選んでくれればいいので電卓を使うかどうかに関してはどうでもいいのだが、そんなに不思議そうな顔をされるようなことを言った覚えが無かったので、私は少し、いや大分戸惑った。
「何をそんな偉そうに、そんな計算誰だってするわ。何なら簡略化するまでもないわ」と思う諸氏も居るだろう。というか居ると思っているので、こんな初歩的なことを書いて非常に恥ずかしいのだが、本当に起きたことだから許して欲しい。

 こんなこともあった。先日、YouTubeのショート動画を見ていたら、何かの切り抜きで、「本はただ読むだけじゃ意味がない。自分に置き換えて、自分はどうだ? と問いながら読むことで初めて意味がある」というような内容を語っている人が居た。それを見て私は、「何を今更改まってそんなことを言うのだろう。というかそれ以外にどういう読み方があるんだ?」と思った。元々その人物のことは勉強になる部分もあるけれど基本的には苦手だと思う人だったということもあり、そのままスルーしていた。
 そして昨日。Audibleで読書術についての本を視聴した。もうすっかり生活の一部となったAudibleから、とんでもないことが聞こえてきた。
 本を読む前にタイトルや帯などの装丁から出来る限り情報収集しよう、タイトルを組み合わせたり分解したり、著者を下調べして「こういう本なんだろうな」と推測してから読むようにしよう、読みながら相槌を打ったり質問を考えたりして、記者になったつもりで読みましょう……。
 いや、全部普通にやってますけれども。
 はじめにどのチャプターにどんなすべが載っているかについて説明している部分でも、馴染みがある行為しか聞こえなかったので、私はその本の視聴を中断することにした。だってもう知ってるから。もしかしたら私の知らない何か特別な技法が得られる可能性は0ではないかもしれないが……どうだろう。その望みに賭けてこれ以上視聴する気はあまりない。
 これは私がいけないのだが、書店で本を選ぶときとは違い、Audibleでは内容を確認しないで再生してしまうのだ。故に再生してから初めて、これが今まで読書をしてこなかった層に向けての指南書であることに気付いたのだった。そりゃあ話が噛み合わない訳だ。私はAudible上でもきちんと内容を吟味してから再生しようと心に誓った。無料だからといってむやみやたら、手当たり次第に再生するのはよそう……。

 こんな具合に、自分の中では当たり前でも、他人からしてみればそうではないこと、というのはたくさんあるのだろう。勿論、私も私で、「なんでこんな当たり前のことを偉そうに講釈垂れてるんだ?」「なんでこんな当たり前のことも出来ないんだ?」と思われていることだろう。そうでなければむしろおかしい。
 よく、自分の得意なことは自分では気付きにくいと言う。これを得意なことと呼んでいいのかは分からないが、自分には何の取り柄も才能も無いと思って生きてきたので、これは大きな収穫と呼べる。
 加えて、「出来て当たり前」という視点から脱却することの必要性も身に染みて学んだ。この姿勢は非常に危ない。無意識に他者を見下しかねない。他人を意味も無く見下すという行為は、私にとっては禁忌に値する。故に新たな視点に気付かせてくれた周りの人々や情報発信者に感謝して、今日の更新は締め括ろうと思う。


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