褒められて「嬉しい」と思ったことがあまりない
先日有難いことに人から褒められることがあった。曰く「完璧で頼れる人」とかなんとか。
勿論お世辞か社交辞令かなにかだろうことは分かっているのだが、それでも私は「そんな人間じゃない!」と猛反発し、その後何故か落ち込んだ。褒められて落ち込むなんて奇妙な話だ。
思い返せば褒められて何故か落ち込むというサイクルは何度か経験している。努力を褒められれば「そんな頑張ってない」、優しいと言われれば「全然そんなことない」と反発し、結果気分が下がる。向こうはきっと思ったことを言っただけなのに、それも嫌なことを言われた訳でもないのに落ち込んでいては言ってくれた側にも失礼だろう、と考えてまた落ち込む。これほど阿呆らしいこともない。
阿呆らしい現象をこれ以上悪化させないためにも、どういう思考と感情のサイクルが起きているか考察してみることにした。ら、あまりにも長くなったので、手短に知りたい方は大見出しの部分だけ読んでいただけたら幸いである。
結論
INTJの心理機能のうち、代替機能であるところの内向感情機能(Fi)の暴走なのではないかという結論に至った。
心理機能とはなんぞや、という諸氏もいらっしゃるかもしれないので解説を試みたのだが、私の文字だらけの解説よりもずっと分かりやすい、画像付きの解説が多数あるので、そちらを参照されたし。ここではそれぞれのMBTIには情報収集のための機能と意思決定をする機能が設けられていることと、INTJの心理機能が得意な順に、
主機能:内向直感(Ni)
補助機能:外向思考(Te)
代替機能:内向感情(Fi)
劣等機能:外向感覚(Se)
という風になっていることだけおさえてもらえれば大丈夫だ。今回は主に外向思考(Te)と内向感情(Fi)の話をしていく。
外向思考(Te)と内向感情(Fi)
流石にそれぞれの働きまでよそ様に任せるわけにはいかないので、簡単に説明する。
といっても思考機能と感情機能にそれぞれ内外の向きがついただけなので、予想がつくかもしれない。
外向思考(Te)というのは、客観的事実や論理に基づいて、ある物事に対し合理的・効率的な判断を下す際に用いられる心理機能のことだ。
対して内向感情(Fi)は、自分の倫理観や価値観に基づいて、物事に判断を下すための機能だ。INTJは合理的判断を下すのは得意だが、そこに自分の気持ちや価値観を乗せることはあまり得意ではないということになる。
故に自分がどう思っているかは関係無く、外界から仕入れた情報に基づき、「こうあるべき」「こうでなければ」という思考に陥りやすい。そしてそのせいで完璧主義になったり、完璧に出来ない自分に対して「なぜできない?」と問い詰めたりして苦しみやすい。書いていて思うが、何とも生きづらい性格である。
INTJとINFJ
このINTJとよく似たMBTIのタイプに、INFJというものがある。
どちらも内向直感が主機能、つまり一番秀でていて、外向感覚が劣等機能、一番苦手という共通点を持っている。今まで積み上げてきた経験から未来の予測を立て、それに向かって邁進することは得意だが、今現在起きていることそのものに注力するのは苦手という性質を持っている。
INFJは究極の理想主義と呼ばれることもある。内向直感機能を用いて得た未来のビジョンを、周りがどう思うか、周りにとって一番良い選択肢を取るべきだということを主軸に考えるため、現実味が無い選択肢になりがちなのかもしれないと考えた。対してINTJは、理想は同じくらい高いけれども、客観的、論理的に見て実現可能なラインを模索するのでまだ現実味がある目標で留まれる、のかもしれない。あくまで現実味があるのは当の本人にとってだけで、周りから見たら机上の空論のように見えることも多々あるのだが。
さて、INFJはよくINTJと間違われることがあるという。これは自分でチェックしたときも、他人から見たときも同様らしい。そのためINFJとINTJの見分け方、なんて記事も存在する。
詳しい違いや解説はまたそちらの記事に任せるとして、私もどこが違うのか考えてみた。
INFJは人格に対しての理想が高いのではないか?
先日、同じくINTJの人と会話をする機会があった。そのとき、INFJの友人が居るとのことでその友人の方についても少し話を聞けた。詳しい話は割愛するが、私と会話相手のINTJの方は他人を性悪説で捉えがちなのに対し、そのINFJの方は性善説で捉えがちという話になった。
ここでいう性悪説、性善説というのは、「世の中の人は皆悪人/善人」ということではない。人間の持って生まれた性質のことで、本質は悪性だが教育によって善性を得ているとする見方を性悪説、反対にどんな悪人にも人には善性があり、教育によってそれを拡充すれば万人が善人になる、という儒家の思想の話である。
どちらもまあ極端な話ではあるが、基本的には私は性悪説を推している。人間なんて私を含めてそんな大したもんじゃない。人格に対しての理想はあるけれど、それよりは技術や思考力、知識、自らの成果物など、それらの理想を追及したいし高めたいと思っている。
INFJはその逆で、人格に対しての理想の方を重視しているのではないかと考え、この違いがINFJとINTJを分ける大きな差となり得るのではないかと考えた。
まあこの辺に関しては推論を導くためのサンプルが少なすぎるため、反論したい方々も居るだろう。私も多少無理のある推論だと自覚している。しかしこの推論がある程度正しいと仮定すると、私が何故褒められて落ち込んだのか説明出来ることに気付いたのだ。
あまりにも前置きが長くなり申し訳ないが、そう。今回の話の主題は、「喜ぶべきところを喜べないどころか負の感情を抱く羽目になった」自分の心理状況に対する推論である。
なぜ褒められて落ち込むのか
褒められた結果「そんなことない!」と否定し至らない点を挙げ連ねる。一体「そんなことない」と感じているのは私のどの部分なのだろう?
現状の自分を理想と乖離していると判断して、褒め言葉が妥当でないと判断するのは誰だろうか。
人格面での理想を掲げているのは、恐らく外向思考と内向感情の二つの部分だろう。外から仕入れた情報を元に、こういう人でありたいという倫理観、価値観を抱く。そしてその視点を、「現実的じゃない」「合理的じゃない」と切って捨てるのが思考機能の部分だ。この時点ではまだ私の中の感情機能は大人しくしている。
大人しくしているからといって、何も不満が無い訳ではない。日々理想の自分とかけ離れた自分へのフラストレーションは溜まってゆく。にも拘らず私が生きていけているのは、自分の技術や成果物へのブラッシュアップに熱中しているからだ。
それが突然、褒められたことによって人格面に目が向くと、思考機能と感情機能が共に判断をする。思考機能は比較的冷静に自己評価と他人の評価を分析し、乖離を受け入れられるのだが、問題は感情機能の方だ。普段押さえつけられている分、「私はあれもこれもそれも何も出来てないのにそんな風に言われる資格なんて無い!!」と暴走を始める。結果、湯水のように感情が溢れ出し、最終的に気分の落ち込みが発生する。
更に性質が悪いことに、思考機能はこの感情すらも冷静に判断しようとする。「他人から見たらこう見えるのか。ならこういう行動をとって正解だったな。ところで、なんで私は取り乱しているんだ? 褒められたら喜ぶものじゃないのか?」という具合に。思い返せば、褒め言葉で苦しんでいるとき、常に「なんでこいつ褒められてんのに苦しんでんだろう」と自分を俯瞰しながら嘲笑する自分の存在も認識していた。
ちょっと厨二病のように思われるかもしれないが、実際感情的になっているときでさえ「何故感情的なのか」を分析しようとする自分が居るのだ。真実を語っているので、どうか信じて頂きたい。
こうして自分の中で思考機能VS感情機能という構図をとった結果、感情機能は普段自分を押さえつけている思考機能からの理解を得られなかったことで益々動転し、酷いときは長期間悩みの種として私の中に存在し続けることになる。
今回はそうなる前に自分の中で折り合いをつけることが出来たからよかったが、そうでなかったらどうなっていたことか。想像するだに恐ろしい。
総評
たまには内向感情(Fi)の話も聞いた方がいい。
気が付くとAIかロボットか何かになろうとしているかのように感情を排除しようとする癖をなんとかした方がいいと思いつつ、どうやって感情を発散させてやったらいいのか自分にも分からない。いずれまた似たような問題に直面する日も近いかもしれない……。
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