3.11の振り返り解像度上げてみませんか? -東日本大震災から10年-
東日本大震災、並びに福島第一原発事故の発生から10年が経過しました。
※冒頭の写真は、楢葉町・広野町にあるJ-Villageです
大学入学を控えた当時の私は、受験勉強を終えた解放感も束の間、二つ折りの携帯電話の画面越しに観る映像に釘付けとなり(TVは停電で使えず)、断片的に伝えられる耳慣れない原子力関連用語に漠然とした不安を抱えていました。
それからしばらく時を経て、社会人となった私は、福島県の復興支援事業に携わることになります。仕事柄、業務の詳細をお伝えすることは出来ないのですが「福島イノベーション・コースト構想」と呼ばれる国家プロジェクトの中の教育・人材育成事業を担当していました。(今は関わっていません)
(福島イノベーション・コースト構想とは?:福島県浜通り地域等の産業を回復するための新たな産業基盤構築を目指す一連の取り組み)
産業基盤構築の構築と教育・人材育成の繋がりにピンとこない人がいるかも知れません。本構想は、2014年に経済産業省の音頭で始まった取り組みですが、各重点産業で成果を上げるために、発足当初は主に福島県外からイノベーション推進人材が招集されていました。
彼ら/彼女らが構想の火付け役となったのですが(その割には県外での知名度が低いので説明を加えています)、構想を持続可能なものとするためには福島県内からも推進役が出てくる必要があります。そこで、県内の子どもたちに今後の「ふくしま」を形作る本構想に興味・関心を持ってもらおう、震災復興を大人たちの責務ではなく、自分事として捉えてもらうきっかけを作ろうということで教育・人材育成にもスポットライトが当たることになりました。
「内発的なイノベーションをふくしまから」が当時のスローガンです。久しぶりにHPを見たのですが、様々な関係者と議論したあるべき人材教育のコンテンツが、ますます拡充されている様子が伝わってきました。
前振りが長くなりましたが、私もこの10年という節目にあたり、東日本大震災や原発事故の知識をアップデートしました。この記事をたまたま見つけた人に向けて、少しでも考えるきっかけになるような題材(Food for thought)を提供できればと思っています。得られた情報を基に、私たちの身に起こった厄災を振り返る際の解像度を高められればと筆を取っています。
1. 事故当時に浮かび上がった課題は、組織運営上の普遍的課題
福島原発事故の後、政府事故調、国会事故調、姉川プラン(東電の姉川尚史氏を中心とした事故原因の総括と再発防止プランをまとめたもの)、民間事故調と様々な主体が、複合災害と形容される福島原発事故の原因究明や当時の対応の是非を検証しています。
今回、一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ(前身:日本再建イニシアティブ)から民間事故調最終報告書が発行されました。
全300ページにわたる充実したレポートの中で検証されたのは、やや乱暴にまとめると、①人災である原発事故はなぜ起こったのか、②再び同様の事故が発生しないための取り組みは十分であるか、③不十分な点はどのような手段で改善に向かうのか、の三点であったと思います。以下、備忘録として要点を書いていきます。時に箇条書きで、時にまとまった文章で。
(②③については、かなり専門用語が入るため、詳細はレポートに譲ります。)
①人災である原発事故はなぜ起こったのか
まず、震災発生前の予防措置と事故発生後の対応の要点です。
・福島原発事故の原因は、震災発生前の予防措置と事故発生後の対応の両方に問題があった
・震災発生以前から、原子力施設の想定を超える(想定外の)津波の発生確率は工学的に無視できないレベルであり、東電土木調査グループが対策を講ずる進言を行ったが却下されていた
・上記に加えて、津波が原子炉プラントを越える高さに達した場合の影響を検証する部門会議検討会議設置の進言も却下されていた
・事故対処においても、技術判断を経営上の総合的な判断で覆そうとした
・現場の判断と外部の判断のいずれを優先すべきか、誰が意思決定権者か、といったことが事前に決まっておらず、判断ミスやコミュニケーションの齟齬が頻発していた(一例を挙げると、炉心を冷やすために大量の氷を調達するよう指示が出ていたが、それが正しい判断なのか半信半疑で調達・運搬している間にすべての氷が溶けてしまった)
同じような事態に見舞われものの、福島第二原発と東北電力女川原発では、適切な対応で最悪の事態を回避できていたようです。
・福島第二原発は、増田所長(当時)のリーダーシップの下、事故直後に運転管理部長に原子炉冷却を、保全部長に復旧をそれぞれ指揮させるよう業務分担を明確にし、所長は全体指揮に徹した
・これにより、保全班は生き残った電源から仮設ケーブルを引き直して電源復旧を行うことに集中し、冷却班は津波によって損傷した海水ポンプを復旧させるための緊急冷却機能維持活動に専念できた
・まとめると福島第二原発では、クライシス・マネジメント(危機管理)に優れていた
・一方、女川原発は震源から最も近い距離にあったが、13メートルに達する津波に対して、原発立地場所が海抜15メートル地点であったため、建屋や原子炉に影響がなかった
・原発の敷地高決定に際しては、元東北電力副社長の平井弥之助氏が1960年代の女川原発建設計画段階から、貞観津波や明治三陸津波の調査を行い、工学的な見地から津波対策を講じていた(50年も前から!)
・まとめると、女川原発は危機が起きる確率を抑えるリスクマネジメントに長けていた
このように、予防的措置と事後対応の両方で辛くも難を逃れた事例があったことを鑑みると、福島第一原発の対応のまずさが改めて浮き彫りとなります。ではなぜ、福島第一原発ではこれら予防的措置と事後対応がまずかったのでしょうか。当事者インタビューを眺めて見えてくるのは、次の3点です。
1) 過度な費用対効果主義(重大事態発生時の損失は甚大だが、発生確率が低いために対策を後回しにした)
2) ボトムアップ型のコミュニケーションの機能不全(現場の細かい情報が、マネジメント層にまで上げにくい組織風土。言い換えると、どうせ言っても無駄だという諦念が組織下部層に蔓延)
3) グループ思考≒思考停止(ルールはルール、マニュアルはマニュアルと中身に疑問を思っても、とりあえずこれさえ守っていれば大丈夫という「宿題的」発想)
ざっと書いてみて改めて感じるのが、これらの組織的な課題は当時の東京電力に留まらず、規模の大きい組織であれば多かれ少なかれ見られる傾向であるということです。
これらの組織文化・風土を含む課題を、どのようにシステム・制度設計上で解消していくかについては、いくつかの独立した外部専門機関の設置や詳細マニュアルの変更等が為されているようです。ただ、原発大国であるフランスや原子力技術先進国である米国のリスク管理・対策に比べると、日本の現状は専門人材不足や有事を見据えた資源配分の不徹底があり、まだ道半ばといった現状とのことでした。
(2018年に楢葉町、富岡町を訪れた時の写真)
2. この10年間で社会的弱者に向ける「まなざし」は改善できたか
本記事を書いている時点での災害関連死者数(地震と津波の犠牲者)は1万9,729人、行方不明者は2,559人、そして「震災関連死」は3,767人にのぼり、震災関連死者数は増え続けています。
震災関連死とは、避難生活を続ける中で体調を崩して亡くなったり、災害との因果関係があると認定された人の死を指します。故郷を失った人々が避難先で受けた差別については、震災発生後、各所で見られた出来事でした。そのような目立った形で表出する社会的弱者に加えて、3.11は日本社会が抱える構造的な格差を見つめるきっかけともなりました。
1) 原発作業員・廃炉従事者
哲学者の高橋哲哉氏は、日本社会がある特定の地域・人の犠牲の上に成り立っている「犠牲のシステム」であることを論じています。福島第一原発においては、年間許容被ばく線量こそ定められてはいますが、危険と隣り合わせの作業を行っている人々がいるからこそ、電力が安定供給され、首都圏の経済活動が維持されていました。
原発事故後は、廃炉作業に多くの人々が駆り出されています。どのような背景を持った人が廃炉作業員となるかに関しては、自ら廃炉作業員となった体験をマンガで表現した「いちえふ」が分かり易いです。
この廃炉作業は、燃料デブリの取り出しで難航しているようです。事故で溶け落ちた燃料デブリを取り出す作業は、二号機で2021年内に、三号機では2031年までに始めることを目指しています。(まだ始まっていません)
建屋内には、溶け落ちたデブリに加えて、使用済み核燃料も存在しており、依然として予断を許さない状況です。
そして一番事態が深刻なのが一号機です。燃料デブリの状況を確認できておらず、使用済み核燃料取り出しの開始は、早くても2027年度。その前に瓦礫の撤去をする必要があるものの、撤去の際に汚染されたダストが飛散するのを防ぐため、一号機を覆う大型カバーを建造しなければならず、そのカバー完成は2023年度の予定とのこと。
これらの作業に従事する人を「人柱」としないよう、継続的なケアをする必要があります。
2) 農業・漁業従事者(風評被害)
現在も核燃料を冷却するために、注水が続けられており、その結果一日当たり180トンの汚染水が発生しています。この汚染水は、セシウム除去装置、淡水化装置、多核種除去設備などの装置によって放射性物質を除去する方法が採用されていますが、それでもなおトリチウムという放射性物質が微量ながら残ります。これらは処理済み汚染水として保管されていますが、この保管タンクが2022年夏ごろに原発敷地内で満杯となり、汚染水の海洋放出の可能性がたびたび検討されています。
科学的な観点からは、人体や海洋環境に影響はないとの見解が一般的ですが、福島県で漁業を営む人たちに対する風評被害が強化されることが強く懸念されています。この点、厳しい安全基準を自ら課して安全性を証明してきた福島の漁業者の反発は必至でしょう。
風評被害に苦しむ農業・漁業従事者を社会としてどのように支えていくか、この点についても立ち止まった検証・検討が必要かと思います。
3) 甲状腺内部被ばく者
原発事故の発生に伴い、様々な放射性物質が飛散しました。その中で、放射性ヨウ素は甲状腺ガンの原因ともなり得るため、どの程度の内部被ばくがあったかを調査し、基準値を上回った対象者については、経過観察をすることが望ましいとされています。
この放射性ヨウ素は、半減期が8日と短く、何度か半減期を迎えると消えてしまう。消えてしまうと甲状腺内部被ばくの状況は調べられないため、迅速な検査が期待されていたものの、震災・事故発生時、それらが十分に行われていたかに関して、疑義が呈されています。
健康被害と被曝を結びつける因果の特定が明示的でないとの報道がある一方で、半減期の関係で正確な被ばく量を測定できた人が少なく、疑いがあっても数値上の根拠を示せないために泣き寝入りせざるを得ない現状が作られつつあります。(高度経済成長期の負の側面として語られる、公害の被害者も似たような構造に置かれています)
このあたり、当時の対応が杜撰であった可能性を追いかけた記録として、『福島が沈黙した日 原発事故と甲状腺被ばく』は考えさせられました。
このような人たちが、科学技術を結集した原子力発電所の事故の犠牲となり、後々まで続く影響を受け続けているという現実を、この3.11という日に直視する必要があるのではないでしょうか。
3. 今こそエネルギー政策を見直す時がきたのでは
資源エネルギー庁のHPを見ると、第五次エネルギー基本計画を見ることができます。
昨今、脱炭素が話題となっていますが、現時点でのエネルギー基本計画を見ると、エネルギー安全保障(多様な発電手段の確保)の観点から安定的な電力供給を実現するためのベースロード電源の一つとして、原子力発電が位置付けられています。
2030年には原発の電源構成比率を20-30%としているのですが、これはパリ協定の削減目標を見据えて「低廉かつ安定的な電力供給や地球温暖化といった長期的な課題に対応する」ため、福島原発事故を経験してより安全性を高めた原発を今後も稼働させていくという意思表示のようにも読み取れます。
そもそも、日本は広島・長崎を経験した被爆国であるのだから、原子力に関するアレルギーがあるのでは?という疑問が自然と湧いてきます。その疑問に一定の答えを提示しているのが『原子力の精神史 -<核>と日本の現在地』です。
本書は「核エネルギーを利用するシステム」が日本社会にどのように根付いたかを問いかけています。このシステムは、安全保障の前提にアメリカの核兵器を置き、原発と核燃料サイクルを維持するという政治・経済の論理を支持する価値体系であり、同時にそこから生み出される価値体系のことを指しています。
少し言い換えると、日本は、安全保障上の核の保有を、アメリカの核の傘下に入ることで放棄したものの、核の平和利用については別物として後ろめたさなく推進している(かに見える)振る舞いを指します。そして、原発と核燃料サイクルを維持することで、潜在的に核保有国になれるという事実が、巡り巡って日本の安全保障上重要であると認識する価値体系でもあります。
確かに本書を紐解くと、広島・長崎の原爆投下の惨状は、GHQの情報統制下で広く知られるまでに時間を要しており、第五福竜丸事件まで核を忌避する国民感情は醸成されずに至っていることが分かります。
10年前の原発事故当初は、原子力発電所の維持・存続を疑問視する論調が言論空間のみならず世論として見られた感もありましたが、昨今、真正面から反原発を唱えている政治家は希少となりつつあります。
(目立った動きとしては、小泉元総理くらいでしょうか)
しかし、ここまで長々と書いてきた通りで、原子力発電所はひとたび事故が発生すればその収束にかかるコストは、とてもエネルギーミックスの議論に見られるような「低廉な発電手段」とは言い難いでしょう。
当の福島県は、再生可能エネルギーの普及に向けて着実に歩みを始めています。
都道府県や市町村単位でのエネルギー政策の見直しが、そろそろ来ているような気がしています。試しに今住んでいる自治体のエネルギー計画を眺めるところから始めてみてはいかがでしょうか。
最後に
ここ4年間、福島復興に何らかの形で公私ともに関わってきました。その中で、福島を取り巻く様々な利害関係者に対して、複雑な感情を抱くようになったことも又事実です。
例えば、東電職員の父を持つ福島在住の高校生。彼ら家族は、もちろん東日本大震災とその後の原発事故の被災者でありますが、同時に父は事故責任を有する企業の職員でもあります。被害者であると同時に加害者でもある。また、事故前は原子力発電所で働くことは、科学技術の最先端拠点にいることを意味しており、尊敬の対象でさえありました。
実際、福島第二原発を見学した際、非常に高精度な構造に「科学の力は凄い」と思わずにはいられませんでした。原発事故は、皮肉にも彼らの自尊心を傷つけ、絶え間ない贖罪意識を与え続けています。
誰が正義で誰が悪かという二元論は、この事例一つをとっても微妙になってきます。だからこそ、10年という時の経過を、災害・事故の忘却による癒しに費やすだけでなく、再発防止と今後の方向を決めるための立脚点として、ひとりでも多くの人が捉えることが大切なのかと思います。
まだ検索していない方は、ぜひ検索だけでも。
大学院での一番の学びは「立ち止まる勇気」。変化の多い世の中だからこそ、変わらぬものを見通せる透徹さを身に着けたいものです。気付きの多い記事が書けるよう頑張ります。