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ダブルマイノリティの生きづらさ

私は精神疾患を持っている。それに加えて、LGBT当事者である。このように複数のマイノリティ性を持っていて、生きづらさを抱えている当事者を「ダブルマイノリティ」というらしい。今回は、私が感じる「ダブルマイノリティ」ならではの生きづらさをお話ししようと思う。

1番大きな生きづらさは、「どのコミュニティにも入りづらい」ということだ。例えばLGBT当事者の集まりに行くと、
「普段はどんなお仕事をしているんですか?」
と聞かれる。それに対して、
「精神疾患を持っていて療養中なんです」
と言うと、なかなかパートナーや友人が出来づらい現実がある。
そして、精神科の病院の中では「LGBT」はなかなか見えづらい。私も最初の入院の時に、心の性別は聞かれることなく、女性病棟に入院することになっていた。私の場合はその病棟が居心地が良かったからいいものの、友人の中には「本当は心の性別が男性に近いから嫌」だけど、「言い出せずに」女性病棟に入院になった方もいた。そうなると、入浴など治療以前の問題が生じてしまう。

中には、「ダブルマイノリティ」向けのコミュニティもあるが、かなり少ない。

私は、少なくとも精神科病院の中ではもう少し「LGBT」が見えるようになったらいいのにな、と思う(もちろん他のマイノリティも)。なぜなら、セクシャリティやジェンダーでの生きづらさが、心の不安定さに繋がっていることもあると思うからだ。本当に小さなことでいい。例えば、「恋人がいる」と言う話になった時に「異性である」と決めつけないことや、女性病棟か男性病棟か男女の混合病棟か決める際、患者本人の意思も聞くとか、そのような小さな配慮が「この病院は信用できる」に繋がると思う。

私の場合は、出会って4年目の主治医に、前回の診察でやっときちんと心の性別や好きになる性別の話をした。「このカミングアウトがきっかけで、距離を置かれてしまったらどうしよう」と思うと、なかなか言い出せずにいたのだ。だが、先生は「僕は詳しくないけれど‥」と言いながらも、丁寧に私の話を聞いてくれた。

私の夢は将来、居場所支援をすることだ。自分にしっくりくるコミュニティの無さに、私はずっと苦しんできた。だからこそ、誰もがふらっと立ち寄れて、ただ自分のことや好きなものを否定されない。そんな居場所を作りたい。

いくつものマイノリティが重なっていても、「ただいま」と言える場所があって、「生きていたい」と思える社会になったらいいなぁと、ふんわりと思った。

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