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【コラム】仕事で自信は不要だと思う話


はじめに

こんにちは。SiLoです。
たまに、仕事に関しての考え方だったり、色んな視点から学んだことを
のんびりコラムにしてお届けします。
めちゃくちゃゆるーくお届けします。

本来、私、SiLoはどんな環境でも立ち向かうための「トランスファラブルスキル」を高めるnoteを発信しているWebライターです。
ぜひ、気になる方はコチラをご覧ください。

今回のテーマは「自信」です。
皆さんは自信を持って仕事に臨んでますか?

「もちろん自信満々よ!」
って人もいれば 
「自信なんて全然ないです...」
って人もいると思います。
おそらく後者が大多数ではないでしょうか?

結論というか、持論から申し上げますと
私は自信なんて不要だと思っています。
持っているとか、持っていない、とかではありません。

不要です。

なぜなら、「自信」とは主観的な要素が色濃く出る感情だからだと思っているからです。
あくまで持論なんで、そう思わない方は聞き流すか、コメント書いてください。
色んな人の考え聞くの大好き。

たとえば、こんな話を聞いたことがあります。
日本人に「英語は話せますか?」と尋ねたところ、ほとんどの人が「話せない」と答えるそうです。
しかし、アメリカ人に「日本語は話せますか?」と尋ねたら、
「Yes!スシ、フジヤマ、ゲイシャ!」
と、少しでも知っている日本語があれば、話せると自信を持って答える人が多いと聞きました。
これは、個人差ももちろんありますが、国の違いで自信を持つ、持たないのハードルの高さが異なるからだそう。
そして、日本人はそのハードルが高い傾向にあると言われています。

英語は流暢に会話が出来ていなきゃ
スポーツはアスリートみたいな実績を残していなきゃ
自信を持って「Yes」と答えられない!
と思うのが日本人に多いみたいです。 

「自信」は主観的な要素が色濃く...などかっこよく前述しましたが
要は、「自信」は「気の持ちよう」ということ。
私はそこにあまり魅力を感じません。
言語化するのが難しいけど
「気の持ちよう」みたいな曖昧で、簡単に外的要因に左右されそうなアンバランスな感情に危険を感じるからです。


「自信」の持ちすぎは危険

「気の持ちよう」から来る「自信」は非常に危険性が高いと私は思っています。

なぜなら、自信を持って挑んだチャレンジの結果が、良かろうが悪かろうが
その人にとって良いことにはならないからだと感じるからです。

たとえば、初めてアイススケートをする人がいるとします。
その人は、初体験だというのに、何の根拠もない自信を持っていたとします。
「私は運動神経が良いから、1発で滑ってみせる!」
それで、失敗したとしましょう。
盛大に派手に滑って転んで、周りの人に嘲笑されたとします。
そうなると、落ち込むと思います。
自信を持っていた理想の自分と、失敗して恥をかいた現実の自分とのギャップに衝撃を受けます。
「二度と滑りたくない!」とでさえ、思うかもしれません。
このギャップのことを「劣等性」と言います。
本来、劣等性は成長のために必要な要素ではありますが、1歩間違えばコンプレックスを抱いてしまうリスクも孕んでいます。

次は大成功したパターンです。
「え、初めてなのに滑れてる!すごい!」
と、周りから賞賛をもらったとします。
成功者はもちろん鼻高々と誇らしい気持ちでより一層思うでしょう。
「やっぱり私はすごい!」って。
しかし、これも厄介だと感じます。
確かに、アイススケートを例にしたため、その成功者の体幹が強かったとか、バランス能力が凄まじかったとか、実力的要素もあり成功した可能性もあります。
だけど、忘れてはいけない要素

それは「運」です。

  • なぜか、成功した。

  • たまたま、褒められた。

  • なんとなく、上手くいった。

これは仕事じゃ良くある話です。
根拠もない成功体験は、自信過剰をさらに乗算させていく危険性があります。

だからこそ、自信の取り扱いに注意しなければなりません。
劣等性のコンプレックスや、自信過剰に陥らないようにマインドをちゃんとコントロールしなければなりません。
そしてそれが私にとって

めっちゃめんどくさい!

だったら最初から、自信なんか持たない方がいいです。
ただ、目の前の目的のために、役割を淡々とこなすだけ。
そう、私は感じたので、自信は不要と結論づけました。


「自信」は「持つ」ものではなく、「使う」もの

でも、自信を全否定している訳ではありません。
自信を不要だと思っている私にとって
仕事において「自信を持ったフリ」をする必要な場面があるからです。

なぜ、「自信を持ったフリ」をするのか?
私は、自信は「気の持ちよう」すなわち、感情の1つだと前述しました。
そして、加えて語るなら
感情は使うもの
だと思っているからです。

私は医療現場で働いています。
たとえ、自信が必要だろうが、なかろうが
自信を持った(フリ)対応するのがプロだと思ってます。

仕事の1つに患者様を治療目的で、腕に針を穿刺する場面があります。
高慢な患者様も中には存在し、その対応を私がする際、こう言われたことがあります。

「お前が刺すのか?上手いのか?自信はあるのか?

新人に対応させなくて良かったと思いました。
私はヘラヘラこう返しました。

「私は自信を持って対応するだけです。
上手いか下手かは貴方が判断してください。」

こう言うと大抵の方は、受け入れてくださります。
おそらく、こんな発言をする患者様は内心、恐怖している方が多いと感じます。
そこで

「じ、自信ないけど頑張ります!」

と、言うと患者様に不安と恐怖を与えてしまう可能性があります。
それは、目的として違います。
私達、医療従事者は自信があろうがなかろうが不要だと思っていようが、「自信」を持って対応しなければなりません。
それがプロ、というか礼儀な気がします。

自信は不要。
しかし、「患者様を安心させる」という目的のために、「自信を使う」ことは必要と心がけています。
これはどの業界にも当てはまる考え方じゃないでしょうか?

まとめ 

長々と私の「自信」の持論ついて語りましたが、まとめると

・ 自信は不要
・ 自信を持つことはリスクだらけで面倒
・ だけど、時には「自信を持っているフリ」は必要

こんな、感じです。
このコラムを読んでくれた方々で意見があると思いますが
この考えもありだと私は「自信」を持ったフリをして語っております
...この場合は「騙っております」が正しいのかも知れませんね。


さいごに

いかがでしたでしょうか?
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また、私、SiLoは新環境に立ち向かうあなたに寄り添う記事を、これからも書いていきますのでぜひ、フォローもよろしくお願いします。
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それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!


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