見出し画像

~蚕は人と自然の間の存在~ 社会学博士・沢辺満智子さんのおはなし

お久しぶりの投稿になります。SILKKIの作り手である、川上です。
最後の投稿からまた随分と時間が経ってしまいました、、、色々とお伝えしたいシルクにまつわることがまた溜まってしまっています!
ブランドとしては、お店を開店したりと変化の多い春を迎えておりました。
またそのお話も後ほどnoteに掲載しようと思います。
のらりくらりな更新となり申し訳ありませんが、気長にお付き合いいただけたら幸いです。

さて、今回はSILKKIによるシルクにまつわるインタビューをお届けしたいと思います。
ゲストは社会学博士である、沢辺満智子さんです。


沢辺満智子さん
ポリフォニープレス合同会社代表 / 一橋大学、多摩美術大学非常勤講師



突然ですが、ちょっとここでシルクの歴史のはなし、養蚕の歴史のはなしをしたいと思います。


〜〜〜

日本では弥生時代から始まったとされる養蚕業。

今では信じられないかもしれませんが、何万という数の蚕と共に生きる生活。それがかつての日本では当たり前の光景でした。




全国各地でそれは受け継がれ、それぞれの土地で手工業として発展しました。
それが我が国の国営事業という大きな存在となったのは明治維新の時代。

諸外国からの植民地化を防ぐため外貨を稼ぎ近代化しなければならなかった日本は
輸出用資源として生糸の生産に特化し、養蚕を国の一大産業にすることを決めました。

これまで地域事業の一つでしかなかったこの養蚕業を急ピッチで国の一大産業にするためには養蚕自体を国として奨励するための知恵と技術だけでなく、人々が「養蚕をがんばろう!」と意気込むための信仰が不可欠でした。

今でも続く宮中養蚕が始まったのはこの時からです。
皇后が養蚕を行うことで養蚕を女性の素晴らしい仕事の象徴として定義づけ
養蚕が女性達の憧れの職業となるよう国から奨励されました。


沢辺満智子著『養蚕と蚕神ー近代産業に息づく民俗的想像力』(慶應義塾大学出版会 2020年)より



そしてさらに養蚕にまつわる信仰や民話は、近代化する際大切な実務を担う養蚕家の女性達のマインドとして非常に重要な役割を担ったのです。


女性達がこの信仰のもと、気持ちを一つにし養蚕業に励んでいなければ
もしかしたら日本はうまく外貨を稼げず、どこかの植民地にもなっていたかもしれません。


沢辺満智子著『養蚕と蚕神ー近代産業に息づく民俗的想像力』(慶應義塾大学出版会 2020年)より



技術は信仰と共に受け継がれる。
一般的に近代というと、科学的な合理化が前進した結果、民俗や民話の世界が失われていったと捉えられがちですが
実際にはそうでなく、科学知、神話的・民俗的な知いずれもが共に近代国家形成において重要な役割を果たしていたのです。


〜〜〜

少し長くなりましたが、この養蚕の歴史と史実について、文化人類学という視点からご自身によるフィールドリサーチも交えつつ学術的に論述されているのが沢辺満智子さん。




著書である『養蚕と蚕神』。
この本が出版された2020年2月、ちょうど私たちSILKKIはブランド立ち上げのための準備をしていました。
シルクのブランドを始めるからには養蚕の歴史を知らなければ、と
色々な本を読んでいた時に出会った沢辺さんの本。
養蚕業の歴史にまつわる本の中でもここまで細やかな史実をまとめ、女性達の視点に着目した学術書は珍しく、また著者である沢辺さんが私と同世代でもあることから、いつかお会いしたいと懇願しておりました。

今回は、そんな念願の沢辺さんに対するオンラインインタビューをレポートさせていただきます。



(以下太字:SILKKI 川上) 
まず、沢辺さんがシルク産業に惹かれたきっかけを教えてください。


(以下細字:沢辺さん)
もともと大学生の時に、女性の働き方について関心を持っていました。それは年配の方と接する時に女の人は社会に出ると大変だという話をよく聞いていたからだと思います。

そんな時、社会学の授業の中で山梨県の伝統工芸である大石紬に携わっていた女性と出会いました。戦後、女手一つでどう生計を立てたのかという実体験についてその方から直接お話をお聞きする中で、ご自身で繭を育てて糸を作り、それを反物にすることで生計を立てていたことを伺いました。当時は、そうした女性が多くいたことに気付き、そこから段々と絹産業と女性の働き方について興味を持ち始めたのがきっかけです。

あとは、単純にものとしてシルクの繭が綺麗だと思いましたね。沢山の繭を間近で見た時にしっとり白く輝いていてみんな同じ大きさの楕円で。この真っ白な繭は完全な自然物ではなく人類の叡智と自然界の命が交配して出来上がったもの。言わば人と自然のハイブリッドが具現化したもので。ああいうものって他にないなぁって思うんです。人によって感じ方は様々だと思いますが、私にとってはとても美しい存在に見えたんですね。


シルク産業についてリサーチを重ねる中で出合った印象的な出来事はありますか。


本を執筆するにあたり、文献を読んだり言葉になっているものを調べると同時に、実際に養蚕の現場に行く機会をいただきました。その際感じたのが、養蚕作業における身体感覚の圧倒的な重要性でした。

手を使い蚕を触って成長を確かめたり、肌で室内の温度や湿度を感じながら「暑くないかな、寒くないかな」と何万匹という蚕と言葉無しのコミュニケーションを取る。それがないと成り立たない作業だと事前に知っていても、実際に目の当たりにし体験するとその感覚的な経験は、圧倒的なものがありました。ですが、多くは言語化されてこなかったと思います。

歴史学の観点から言うと、言語化できないということは文献に残らないため社会的に評価されづらいということなんです。学術的にも評価されない。だからこういった身体感覚ってこれまでの日本の長い歴史の中であまり評価されず、記述されず、忘れられて沢山取りこぼされてきた部分があると思うんですね。
だけど、本当に人々の生活を支えてきたのは紛れもなくこの言葉にされにくい感覚で。

その事実に直面した時にもっとこのことの重要さを考えたいと思いました。その意味で、身体感覚も含めたフィールドワークにこそ重きを置く人類学的なアプローチは、私の関心にはもっとも適したものだったと思います。その視点から本を執筆できたことはとても良かったなぁと思っています。


おもしろいですね。ところでもともと沢辺さんは文化人類学をやりたくて大学に入ったのですか?


いえ!そういう訳ではないんですが、もともとアートが好きでした。アートは人類学と近い部分が大きい学問だと思います。それこそアートって言葉にできないことを表現する媒体だったりもすると思うんですけど、そういった言葉になかなかされない、人の感覚や感情の問題にも重きを置いて学術的に研究できるのが人類学の魅力だと私は感じています。

大学の中で出会った人類学の先生方がまた面白い方達で。そうした先生方との出会いからも導かれてこの人類学に興味を持ちましたね。人との出会いがいつも大きなきっかけになっています。


養蚕やシルク産業から現代の私たち学べることって何だと思いますか。


養蚕って「ケアすること」がベースにある労働だと思うんです。繭というプロダクトを作る、というよりは、命を守ること、蚕という対象に共感しようとする想像力が労働のコアにありますし、それがないと生まれない素材がシルクだと思います。それが生地になって服になって、私たちの身体を包んでくれるってすごく長い道のりで壮大で。貴重なことだなって思います。

なぜそもそも私たちは服を着るんだろうって考えた時に、身体の保護が重要な目的ではあるけど、それだけではないですよね。

色々な目的がありますが、例えばその一つに、シルクを纏った時の心地よさとか。繊維そのものから生起される触覚的な経験が、この素材は何だろうって知る素直なきっかけになったらいいなぁって思っています。それが今よく言われているエシカルやSDGs、サステナビリティに興味を持つきっかけになると思うんです。


野菜作りにも近いですよね、養蚕って。実際農業組合の一部で、農業でもありますし。


確かに人間の都合に合わせて同じような規格を作るんだけど、そのプロセスに自然界の摂理が絶対に関わってくるという点で養蚕も農業も同じですよね。どちらも、自然界を人間の五感を通して感じる取ろうとすることが、技術の基盤になっていると思います。
一方で、私たちの現代社会は、多くがビジュアルの感覚に頼りすぎているところがありますよね。SNS用に写真を綺麗に取ることとか、ゲームやスマホの作業も、目から入ってくる視覚情報が多い訳です。
これからはさらにメタヴァース(インターネット上の仮想空間)の技術が発達するという時代の中で、複雑に存在している私たちの身体感覚が、どこまで再現可能なのか興味深いです。
私たちの身体や精神にとって、触れる/触れられることに対する喜びを考えることは大切なことですし、シルクはそうした人々の欲求と分かちがたく結びついてきた素材だと思います。


本当にそうですよね。きっとデジタルがここまで発達する前はそういった体験や喜びは意識しなくても感じ取れたのだと思うけど、今は意識しないと忘れてしまう、ちょっと複雑な時代なのかもしれないですね。
そんな中今でも養蚕業をされている方達がまだいらっしゃることに私自身とても嬉しいし、とても励まされるのですが、沢辺さんは今どんな思いでいらっしゃいますか。


個人的にすごく印象的だったのが、お世話になった養蚕農家の方が、養蚕を文化としてではなく、産業として残さなければならないとお話しされていたことです。産業であるためには、現代社会において必要とされる商品として、絹が使われることが重要な訳です。そのための養蚕でなければならない、とお話しされていました。養蚕農家が数少なくなった日本で、養蚕の歴史がこの先どうなるかはわからないですが、絹を纏いたいっていう私たち人間の欲望がある限り、世界から養蚕がなくなることはないと思います。



本の内容に関して少し触れたいのですが、日本にとっての養蚕の神話である金色姫物語があるように、他の国にも蚕にまつわる神話ってあるんでしょうか。


ありますよ。例えば中国では馬と娘の話が有名です。
昔、ある家の父親が戦争に駆り出されて家には娘と雄馬だけが残されました。娘は父親恋しさの余りもし父を連れて帰ってきたらあなたのお嫁さんになると言ったところ、雄馬はすぐさま父親を連れて家に戻ってきた。でも事情を知った父親は激怒して雄馬を射殺して皮を剥いでしまいました。その後、娘が雄馬の皮の側で戯れていると、馬の皮が不意に飛び上がって娘に巻き付き家から飛び出していった。数日後、娘が発見された時には娘は馬の皮と一つになって大木の枝の間で蚕に変身して糸を吐いていたという話です。

これに類似したお話は、中国だけでなく、日本やベトナムや韓国といったアジア圏でも見受けられます。日本では、馬は蚕の守護という観点からも重要な動物と考えられてきたので、蚕と馬が一緒に描かれる絵などは数多くあります。蚕のことを数える時、一頭、二頭と数えるのも、一説には馬からの影響もあるのではないかとされています。

先ほどの馬と娘の話では、蚕は死んだ娘(人間)が化生した姿でもあるのですが、そこには蚕=人間というイマジネーションが働いています。このことは、アジアの共通認識としてあったと言えるのではないかと思います。

このようなアジアの神話に対して例えばイタリアですと、養蚕の守護神としては、ヨブ神が有名ですね。旧訳聖書に出てくる聖人ですが、イタリアの民間信仰では蚕を守る神としても知られています。ですが、日本やアジアのように虫そのものが神になる、というイマジネーションはありません。やっぱり蚕という虫そのものを敬うという感覚は、アジア特有の部分が大きいのではないかと考えられます。
日本では蚕のお墓が沢山今でも残っていますがその話をイタリアの人に言うとびっくりされました。それはしないなぁって。


本当に面白いお話です。もっともっとお聞きしたいのですが時間が来てしまいました。最後に沢辺さんの今行われている活動や今考えていらっしゃることについて教えていただけますか。


現在は、地元つくば市にて出版社ポリフォニープレスを設立しました。絵本の出版や、芸術文化事業のマネジメントなどをしています。その他ご縁もあって、介護福祉企業の人事コンサルや広報等に広く携わらせてもらっています。あとは大学で教鞭を執っています。それと、個人的には昨年出産をして、今は一児の母もやっています。

養蚕の技術書には、江戸時代から「蚕を育てるは赤子を育てることと同じ」というフレーズが繰り返し出てくるんですが、確かに子育てをしていると節々で養蚕のことを思い出します。養蚕家の皆さんが、蚕を育てることは子育てと似ていると仰っていた意味が今よくわかりますね。自分の身体が自分だけのものでなくなることを実感しています。部屋の温度が子供にとって暑いかなと思ったら下げたり、いつも相手の立場に立って考えなければならない。そう考えれば、
何かをケアすることって自分のままならないことに大半の時間を費やすことでもあって、それに対する忍耐力が試されることでもあるなぁと感じています。

今はそういったケア全般の分野、仕事のご縁もあってですが、福祉の分野により強く興味を持っています。このケアの重要性や文化的な豊かさについてこれから科学的にもっと論証されていくことを願っていますし、自分も仕事を通してそうしたことについて考えていきたいと思います。

沢辺さん、本当にありがとうございました!


沢辺 満智子(さわべ まちこ)
1987年生まれ。2017年、一橋大学大学院社会学研究科地球社会研究専攻博士課程修了。博士(社会学)。ポリフォニープレス合同会社代表。一橋大学、多摩美術大学非常勤講師。単著に『養蚕と蚕神ー近代産業に息づく民俗的想像力』(慶應義塾大学出版会 2020年)、共著に『VIVID銘仙――煌めきの着物たち』(青幻舎、2016年)、『越境するファッション・スタディーズ』(ナカニシヤ出版、2021年) など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?