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不眠症・泥だらけ・人は夢を二度見るにおける久保史緒里と山下美月のストーリー


この記事はそもそも




この方のこの記事を読んでインスパイアされて書きはじめたものなので、もし同じような内容があったり同じような言い回しがあったとしたら、それはパクりではなく完全にこの方をリスペクトしていて似てしまったオマージュだと思ってもらいたい。それぐらいSoLさんが書いてくれた【よだももとくぼしたの物語】は名作だと思うし、このおかげでなんとなく点と点で考えていたことが今回線で繋がったので、今日はそんなお話を。


乃木坂46の最新シングル【人は夢を二度見る】はもう既に聞いていると思いますが(それ前提の話なので聞いてから読んでください)この曲が、今回のダブルセンターの久保史緒里と山下美月が過去にダブルセンターを務めていた【不眠症】という曲のアンサーソングなんじゃないか?という話題をチラっと目にしたので歌詞を掘り起こしてみたら、なるほど、と。


まずはその歌詞を見てもらったほうが手っ取り早いので【不眠症】【人は夢を二度見る】さらには久保と山下の二人がツインボーカルを務めたバンド曲【泥だらけ】の3曲の『夢と眠り』について書かれている部分だけ抜粋して掲載しておきます。


不眠症


明け方近く 寝返り打ちながら
何度も眠ろうとしてあきらめた

ふかふかのベッドでは
もう夢なんか見られない

カーテン引いて 暗闇作っても
瞼をちゃんと閉じなきゃ眠れない

限られた時間では
見た夢なんか忘れるさ

あれが足りないとか
これも足りない
今を満足するな
不眠症でいい



泥だらけ


何をやっても上手くいかなくて
さすがに心が折れて来るよ
あの頃に見てた夢なんか
どこかで置き忘れて来た

何 思い 何 諦め
不幸を抱きしめて 眠りにつくのか


人は夢を二度見る


誰も 夢から覚めるけど
せめてその続きを見ようって 寝返り打つよね
目をそっとまた瞑り 楽しかった物語を
一生懸命 思い出すんだ
ああ 夢は一度じゃないよ
ベッドの中で二度寝するように また見てみればいい
きっとあの頃のように いつの間にかワクワクして
叶えるために夢を見られる

夢をもう一度見ないか?
叶うわけがないと諦めたあの日の何かを
人はそう誰だって みんな過去に持ってたはず
大人になってやりたかったこと
ああ 夢は二度見るもの
若さは熱しやすく冷めやすく 目移りするだけで
とても大切なもの 見失ってしまうけれど
それでも 人は夢を二度見る

今ならちゃんと夢を見られる




まぁ、もうこの歌詞を読んでもらった時点で答えは出ているというかみなさんも納得だと思いますので今更これについて語るのもおこがましいのですが一応歌詞考察みたいなことを軽くさせてもらいます。


まずは不眠症

この曲では眠れない病気である不眠症について、それを悪いと言っているわけではなく、『ふかふかのベッド(乃木坂46)』でのんびり寝てる場合ではないから外に出ていけ、そのためなら寝れなくてもいいし夢なんか見てる場合じゃない、と書かれている。これはSoLさんの作品に当てはめると、先にセンターに立ったアイドルの天才よだももに対して、演技と歌の天才だったくぼしたが遅れを取ったことを秋元先生が鼓舞しているのでは?と自分は解釈している。君たちは努力できる天才だから寝る時間を削ってでも外仕事を取ってくることで夢を見られるし願いが叶うし欲しいものが手に入るよ、と


これは結果論になるけど、まだデビューしたばかりの久保と山下にこの曲のセンターをやらせて歌詞で暗示をかけたことで7年後、二人は朝ドラ女優と大河女優になりWBCの始球式を務め一人でチョコラBBのCMに出るようになる。もちろん秋元先生がここまで読んでこの曲を作ったとは思えないけど、実際そうなっていることを考えると【不眠症】という曲の持つパワーの恐ろしさを改めて感じる。


そして、そのあとに飛鳥がドラムを叩くバンド曲としてリリースされたのが【泥だらけ】である。こちらは2021年リリースで【不眠症】のリリースから4年後の話。これはバンド曲なのでダブルセンターという括りではないがツインボーカル曲なのである意味ダブルセンターみたいなものとして扱うが、その歌詞にも夢と眠りについて、歌詞にて描かれている。

2021年に至るまでに久保も山下も多忙による疲労から一時休業をしていて、さらには外仕事(ドラマ)のためにたくさんのオーディションを受け、合格もしただろうけどたくさんの不合格もあったはず。そんな久保と山下の現状を憂いてか歌詞は、『人生があまり上手くいっていないのは綺麗事ばかり言ってるせいだからまわりを気にせず泥だらけになって暴れてみろよ』といった感じで、頑張ってる二人に対する応援歌のような内容になっている。


【不眠症】で寝てる暇なんてないとされていた眠りについては、不幸を抱きしめて眠りにつくといった表現になっていて、眠ることは容認されているがその際は嬉しい感情を抱かずに悔しい感情を抱いていて、夢に関しては【不眠症】の頃はふかふかのベッドでなければ見れていた夢を【泥だらけ】では夢なんか置き忘れて来た、と見ることすら許されなくなってしまっている。


4年前に才能を買って、外に飛び出せと鼓舞した秋元先生がその二人の活躍を認めながらもまだまだ足りない、もっともがいて必死になって強くなれとさらなる暗示をかけているようなそんな歌詞と自分は捉えた。


PVがあるので良かったらこちらをどうぞ




そしてそこから2年の時を経て、1期生・2期生は全員卒業して乃木坂は11年目に突入する節目のタイミングを迎え、3期のエースが7年間眠れずに泥臭く育ててきた蕾がようやく開花する。


それが今回のシングル【人は夢を二度見る】


これについては歌詞をしっかりと読んでもらえればここまでの流れとこの曲でこの久保と山下の物語が一度完結したことが伝わると思うので、多くを語る必要はないと思っているが大サビの最後の歌詞『今ならちゃんと夢を見られる』が言いたいことの全てではないか?

【不眠症】では眠ることさえ許されず【泥だらけ】では不幸を抱きしめて眠りにつき、夢なんか置き忘れていた主人公が7年の時を経て乃木坂46を引っ張っていく2大エースへと名実ともに変貌を遂げたからこそ、秋元先生はそんな二人にベッドの中でワクワクして二度寝することを許し、ちゃんと夢を見ることを認めたのではないかと。


ようやく久保と山下を認め、手放しで褒めても二人が今後も自分自身で鼓舞し続け乃木坂を前に進めてくれると秋元先生が信じられたからこそ
『今ならちゃんと夢を見られる』という結びになったんだと思う。


そんなことをSoLさんの物語を読んで、ふと思ったのでここに記しておこうと思います。もちろん勝手な思い込みで間違っているかもしれないですけど、そんな夢を乃木坂46に見てる人がいてもいいじゃないですか?という感じでお許しいただければ。


この二人のストーリーをここまで感じるのは、4期の賀喜遥香と遠藤さくらという2大エースが表題曲のセンターをどちらも二度やりながらも、4期曲やユニット曲を含めても一度もダブルセンターの曲がないからだろうなーとも思います。それぐらい久保史緒里と山下美月の二人のストーリーは乃木坂46内でも稀に見る奇跡的であり運命的なものとして今後も語り継がれて欲しいですね。





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