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親として子供たちにどう差別を説明したらよいのか?

米国在住の者として、今回のあまりに痛ましいGeorge Floydさんの件(5/25/2020 ミネソタ州ミネアポリス)、それに続く暴動や混乱を経験し、いまだうまく考えを整理できないでいます。ですが、未来のためにも、これは子供たちと考える機会をつくりたいという義務感にかられています。

そして、今回の件をきっかけに、どれほど似たような事件がこれまでも起きていたのかを知ることとなり、またそれらをきちんと把握していなかった自分が恥ずかしくなりました。

直近だけでも、知っておくべき事件

以下の3つがあると思います。

1.Christian Cooperさんの事件(5/25/2020, ニューヨーク州) (これは大事に至らなかったものの話題になりました)NYのセントラルパークの出来事で、犬のリードを付ける事が義務付けられている場所で飼い犬を放し飼いにしていた女性に、リードをつけるように紳士的に言ったところ、「アフリカ系アメリカ人が私を脅かしている」と警察に通報。このビデオがネット上で拡散し人々の怒りを買いました。

2.Breonna Taylor事件(3/3/2020、ケンタッキー州)
いきなりノックもなしに警察が家に入り捜索、そこで寝ていたBreonnaさんを射殺。捜索する住所を間違えたというお粗末なもので、彼女は無罪。彼女は看護師を目指す希望にあふれた26歳の女性で、コロナの状況で医療活動にも従事されていたという事です。どんなに嘆いても彼女は戻ってきません。

3.  Ahmaud Arbery (2/23/2020、ジョージア州)
家の近所をジョギングしていただけなのに白人に追いかけられて射殺された25歳の青年。

今回の事件を受けて自分のアメリカ人チームメンバーとどんな話をしたか

今回自分の部下で黒人のメンバーがいるのですが(仮にクリフォードという名前だとします)、彼が本音で色々と話してくれて、非常に考えさせられました。彼は、私のチームにきて2年以上たちますが、大変勤勉で、ナイスガイ。担当分野に対する専門性も高く、チームの大切な一員であり、当然人種など普段意識して仕事することなどありません。しかし、彼にいわせれば、いわゆるシリコンバレー/ベイエリア在住においても、勿論差別はあるとの事。会社で差別を感じる事はないが、おもに会社を出た後の私生活そして、毎日の通勤。特に警察におびえながら通勤しているという事を語ってくれました。特に何もしていないのに、自宅までパトカーにつけられることもたまにあるそうです。また、警察に止められた時に銃をもっていないかなど怪しまれないよう、ポケットには一切ものをいれず、運転席のギアのあたりの小さなポーチに財布なども入れるようにしているとのこと。黒人にとって、警察に止められることは恐怖であり、正しく対処しないとマジで殺されるかもしれない、というのはクリフォードの子供にも教えているといいます。他にも、デパートにいくときには、スーツとかきちんとした格好で出かけないとちゃんと対応してもらえないとか、彼が若かったころ、面と向かって、「お前はこの地域に住む権利がない」と言われたりした経験とか。会社から支給されているコーポレートクレジットカードをある店で使おうとしたら、信用できないから会社に電話させろと言われた話とか。こんな話を身近なメンバーから聞くとは思いもしませんでした。

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また、自分のチームには白人以外のメンバーもいます。ベイエリアには中国系、香港系、などアジア人も多いです。白人以外は基本的にみな差別の対象なんですよね。そういう意味では日本人も勿論差別される側。また、英語でアクセントがある人も差別の対象になるのはご存知でしょうか?(イギリス英語とアメリカ英語以外)

アジア系の彼女たち曰く、ベイエリアでも特にペニンスラ地区(サンフランシスコ空港から南、サンノゼまでの中間地区)は、比較的差別が少なく、嫌な思いをする事が大変少ないが、橋を渡って向こう側(イーストベイ)のあたりにいくと、もう扱いが異なる、らしいのです。個人的には、特にカリフォルニアに来てから比較的差別が少なく、というか感じた事はなくて、またそもそも黒人の人をあまりみかけない地域でもあります。一度、トイレが我慢できなくて、Stopサイン(一時停止サイン)で止まらなかったところを警察につかまってしまいましたが、その時は注意喚起だけですみました。自分が黒人だったり、住んで居る地域が橋の向こう側なら、扱いが違ったのでしょうか。

自分が昔差別を受けた話

私はむかしニューヨークに住んで居た頃、差別をうけたと感じる出来事がありました。地下鉄に乗っていて、満員なのに自分の横の席が空席の事が多いかも?と感じる事は日常茶飯事。

また、アッパーイーストにある、みんながよく知っている超有名ブランド店での出来事です。お店に入り、店員に質問をしようと話しかけても、誰も相手にしてくれない。最初は接客で忙しいのかなと思ってました。ところが次の瞬間、白人の男性が店に入って来て、私が最初にいろいろ質問しようと順番待ちだったはずなのに、彼が質問したら満面の笑顔で接客しているではありませんか。ちなみにその場にいた店員は全員白人でした。

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これには頭にきて、帰宅後、カスタマーサービスにメール。人種差別を受け、必要な対応を受ける事ができなかったと。しかも、店内には白人しかいなかったので、ダイバーシティが全然進んでないんですねと嫌味を書いてやりました。するとすぐさま電話がかかってきて、再度ご来店ください、お詫びいたします、という事でしぶしぶ1か月後くらいにアポをとって再訪。その時、扉をあけて迎え入れてくれたのは黒人の男性でした。私の批判に対応して雇ったのですかね。

アメリカといっても広い。最近アメリカが好きなのか、カリフォルニアが好きなのか、中でもいま自分が住んで居るベイエリアというオープンマインドな人たちが集まっている地域が好きなのか、がよくわからなくなってきました。

子供たちとした話

また日本の中でも差別はいろいろあります。みんなが意識していないようなものも含めて。

中学生の子供たちから質問を受けました。「日本は日本人ばっかりだから、こんな差別は無いんだよね?」と。(うちの子供たちは日本で育っていないのです)

そこで、江戸時代から続く部落差別問題や、日本在住の外国籍の方に対する差別問題などを細かく説明しました。子供たちの反応としては、特に部落差別などは「同じ日本人同士なのに馬鹿らしい。住んで居る場所だけで差別なんて意味がわからない。アメリカに来たらいいよ。そんなん誰も気にしないから」とのこと(笑)。まあそうかもしれないですね。

次の質問。日本人同士じゃなかったら馬鹿らしいとは思わないの?と聞いたら、そういう意味じゃないと猛反論。彼らの親友には、韓国系や中国系のアメリカ人が沢山いて、それも差別する理由が分からないという。

じゃあ最後は肌の色なのかとか、生まれたときは偏見や差別もないのに、なんらかのインプットにより差別をするようになる、それはどういうきっかけなのだろうかとか、正解はないのだけれど、こういう事を考える機会が大切であり、とても大切な話しができたように思います。

最後は、もう何人とか、肌の色とか、年齢や性別ではなくて、「その人」を一人の個人として接する事のできる世の中に、みんながなるといいね、という風になりました。

無意識かもしれないけど日本でよくある差別

日本にあるのは、部落差別や在日系の差別だけではありません。よく雑誌などを読んでいると、中年のおじさんが気持ち悪いとイジッた記事がよくあります!これは実はアメリカではあまり見ないので、日本独特かと。セクハラと言えばいいものを、「40代の中年おじさん」、とか「空港投稿おじさん」とか面白おかしく記事にします。SPAとかこういう低俗な雑誌にありがちな記事です。

これとは逆に、若者に対する差別もあります。年齢が若いというだけで、上司部下の関係でもないのに、偉そうな態度にでられると勘違いする年上の人たち。勿論いうまでもなく性差別、LGBTQなど、日本は結構差別大国なんじゃないかなあと。企業におけるダイバーシティなどは特に遅れています。

もう一度黒人差別を考える

ここまで書いて、一口に差別といっても、特に黒人の方々が米国で経験する差別というのは、「日本の中年おじさんキモイ」なんていう差別とはレベルが異なります。特に警察に与えられた特権により、殺される危険があるとか(実際に多数殺されています)、白人ならば疑われないところをすぐに尋問されたりとか、アメリカの警察の問題、というのは一つの大きな課題としてあるのかな、と思っていたところに、前大統領のオバマ大領も、以下の通り、警察問題の改革を呼びかける声明を出しました(6/3/2020). 

なぜ差別をしてしまうのかの考察

これが最近考えているテーマです。専門家ではありませんので、あくまで一個人の域をでませんが、自分なりに考えた落ち着きどころとしては、こんな感じです。

本来は人間も動物であり、自分と家族の命・利益を最優先にしようという本能があります。そして、潜在意識も含めて、目の前に近づいてきた人を、瞬時にして自分より上か下か、自分にとって脅威があるかないか、を判断するのではないかと思います。つまり、信頼できるかできないかを一瞬にして判断します。原始的な時代から続く、動物としての生存本能からくる部分ではないかと思います。これともう一つは、自尊心というか自分が優位に立っていたいと思う心理です。他の人を見下すことで自分を高めようという本能があるのではないかと。また、最後に、一人の人間を行動をみて、すぐに集団の一員と見なす傾向もあります。例えば、すぐに「〇〇人はだめだ」とか、「あそこの大学を出た人は~」とか「あそこの会社の人は」とか、そういう発言をする人はその典型例です。

この原始時代からDNAに刷り込まれたのではないかと思われるような思考パターンを克服するには、やはり正しい知識を得て、その人をある集団の一人としてではなく、一人ひとりの個として判断し、接していくという風に自分を高め、そしてそれを子供たちや次の世代につないでいくというのが、我々ができる事なのではないかと思います。

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