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僕が遭遇したサイクリングでのトラブルの話 (昔話です): その3

(その2)からの続きです.

 前回,自損事故の話を書いたが,その後,私は高校生になってから自損事故ではない「相手のある」事故を2度経験した.
 (その3)と(その4)ではそのときの話を書いてみたい.

5.ヤビツ峠で事故った話


 ヤビツ峠
 いまやロードバイク界ではほとんどの人がその名を聞いたことがあると思われる有名な峠となったが,僕が10代の頃は地元のサイクリストしか知らないローカルなヒルクライムコースに過ぎず,休日に走りにいっても他にローディーはおらず,シングルギヤのピストでトレーニングをする地元競輪選手をたまに見かけるくらいであった.
 そんな時代のヤビツで僕は事故を起こしてしまった.



 男の子は中学生くらいになると冒険的なことをしてみたくなるものだ.
 中学の頃,周囲に自分ほど自転車趣味にドップリハマった友達はいなかったものの,「自転車でどこかに行こうよ」と誘われて冒険感覚で友達と一緒に走りにいくことが度々あった.

 中3のとき,同じクラスのK君が26インチのドロップハンドル車に乗っていて,江ノ島で自転車を担いで登り降りしながら探検をしたりした仲だった.
 ある日K君から「もう少し遠出をしてみたいね,どこかいい場所ない?」と誘われたので,僕は裏ヤビツを教え,一緒に走りに行った.

 H君という友達もいた.彼はヤンチャ系の元気な奴で,同じクラスになったことは無いが,なぜか僕はH君に気に入られていて,お互いの家に遊びに行く仲だった.H君は兄貴のお下がりの赤いロードレーサーを持っていた.
 それでH君ともたびたび湘南海岸あたりを走っていた.
  H君との初めての遠出も,やはり裏ヤビツであった.

 話が前後するが「裏ヤビツ」について解説する.
一般に言われるヤビツ峠(表ヤビツ)は国道246号線の名古木交差点から峠まで北向きに登る,距離11.8km,高低差670m,平均勾配5.9%のヒルクライムコースである.裏ヤビツは,北の宮ヶ瀬集落から南向きに登るルートで,距離は長いが平均勾配は2.4%とゆるやかだ(下図参照).
 裏ヤビツは丹沢の奥地にある本格的な林道だが,勾配が緩いために平地感覚で普通に走っているうちにいつの間にか峠に着いてしまうという,初心者向きのラクラクコースなのだ.
 裏ヤビツコースは僕の住んでいた地域から往復80km程度と距離が手頃なこともあり,僕は友達との「初めての遠出」には,いつもそこを選んでいた.


 高校に入学すると,一緒に走っていたK君はサーフィンに興味が移って,サイクリングは辞めてしまっていた.H君はLOOKペダルや専用シューズを買うほどのめり込んだが,ある日ロードレーサーを盗まれてしまい.それ以後一緒に走ることができなく無くなってしまった.
 そのため,僕はしばらく一人でサイクリングをする日々だった.


 中学の時に通っていた塾の友達にS君がいた.
 彼は明るい人気者で,誰とでも仲良くなれるタイプの陽気な奴だった.
 S君と僕は別々の中学校で,進学した高校も別だったので,もともと接点は少なかった.ところが,高校に入学してしばらく経った1988年のある日,そんなS君から突然僕の家に電話が掛かってきた.
「ロードレーサーを手に入れたので見に来てほしい」とのことであった.
(彼は僕が自転車オタクであることを知っていた)

 早速S君の家に行くと,それはDuraAce EXで組まれたKOGA-MIYATAのレトロなロードであった.なんでも,彼の家の近所の粗大ゴミの回収日に,いろいろな廃品と混ざってこの自転車が捨てられているのを見つけ,あまりにも勿体ないと感じて拾ってきたとのことであった.

 そんなわけでそれ以後,S君と僕は湘南海岸あたりを時々走りに行く仲となった.そしてしばらくしてから,遠出をしてみようということになり,やはり裏ヤビツに行くことになった.
 K君,H君とそれぞれ走った時には,なんのトラブルも無い楽しいサイクリングであったから,今回もとくに問題は無いだろうと考えていた.

宮ヶ瀬ダムができる前の宮ヶ瀬小学校前交差点の様子
宮ヶ瀬湖「水とエネルギー館」の写真から
https://www.miyagase.or.jp/publics/index/51/

 いつものように土山峠を超えて宮ヶ瀬集落に到着し,上の写真の道を直進し,裏ヤビツに入った.このころの裏ヤビツは残り少なくなったダートの舗装工事が進められていた頃であった.


Googleストリートビューより

 裏ヤビツの林道は1970年代までは自動車のラリー競技が開催され,ラリー車のテストコースとしてもよく利用されていた.
 上の写真の唐沢キャンプ場付近だったと思うが,当時崖の下に転落して回収できなくなったままのラリーカーがまだ残っていた.
(あのクルマって今でもあるのだろうか?)

 いつものように,快適な林道のサイクリングを楽しんだ.
 そして二人とも大きな疲れを感ずることなく,予定通りヤビツ峠に到着した.

 帰りは南側の表ヤビツを下って国道246号線に抜ける予定である.
 峠で少し休憩をしてから,ダウンヒルを開始した.

 僕が先に出発し,その後ろからS君が走り始めた.


Googleストリートビューより

僕はいつもの調子で,最初のコーナー(上の写真)を右に曲がった.
その数秒後,後ろから

ガッシャーン

という大きな音が聞こえた.
S君がカーブを曲がりきれずガードレールに衝突したのだ.

50mほど先行していた僕はすぐに引き返した.
僕がS君のところに戻るのとほぼ同じタイミングで,S君のすぐ後ろを走っていた乗用車に乗っていた家族連れの人たちも,その場で車をとめて降りてきてくれた.

 S君は左手をガードレールに強く打ち付けて手首が切れてしまい,血がダラダラと流れていた.
 そこは1車線ちょっとしかない狭い道で,その場に車を停めたままだとすぐに渋滞してしまうため,カーブの少し先にある待避所まで移動した.
 S君は意識はあり,立って歩くことはできたが,出血がひどい状態だった.車を停めてくれた家族の方々が,タオルで止血してくれて,そのまま国道246号線沿いにある東海大学病院の救急まで連れて行ってもらうことになった.
 僕はS君の自転車を分解して車のトランクに積ませてもらったのち,車とともに病院まで走った.


国道246号からみた東海大学付属病院の現在の様子(Googleストリートビューより)

 病院に着くやいなや,救急の方からS君の氏名と事故時の状況を聞かれた.当時,僕とS君はお互いにニックネームで呼びあっていた.
 僕はS君の名前を当然知っているはずなのに,このときは気が動転してしまっていて,どうしても名前を思い出すことができず,救急の方に伝えることができずに,とても恥ずかしい思いをした.
 その後,S君はその場で手首の手術をするとともに,お母さんも駆けつけた.現場で応急処置をしてくれて,車で運んでくれた親切な家族連れの方々にはとても助けられたが,その後どのように別れたのかはよく覚えていない.

 この時僕は,この事故の原因は自分にあったのではないかと思った.
友達と遠出のサイクリングを計画するにあたって,僕は「走りやすさ」のことしか頭になく,安全面については全く考えていなかった

「表ヤビツはキツイけど,裏ヤビツなら初心者でも楽に登れる」
 当時の僕はそのことしか頭になかった.
 でも,初心者にとって大事なのはそんなことではなく,ダウンヒルの仕方だったのだ.
 
 K君,H君とそれぞれ表ヤビツをダウンヒルしたときには,何も問題は無かった.そのため,S君のときも同じ調子で,僕は自分のペースで下り始めてしまった.
 S君は僕に遅れまいとして同じように下り始めたものの,ブレーキングやハンドル操作に慣れておらず,最初のコーナーでパニックになってしまったのかもしれなかった.



 2021年4月に東京都内の某大学の自転車部の新歓ツーリングにて,新入生の女子部員が下り坂でカーブを曲がり切れずに,縁石に衝突して亡くなるという,とても悲しい事故があった.
 この事故については,その後詳細な事故調査報告書がまとめられ,インターネット上でも公開された.
 私はそれを読んで,S君のときのことを思った.
当時はまだノーヘルの時代で二人ともヘルメットは被っていなかった,
あのとき,あの状況で手首の怪我だけで済んだのは,まだ幸運だったのかもしれない.

 あの事故の後,僕はS君に声をかけずらくなり,たまに一緒にロードレースを見に行ったりはしたものの,S君の手が回復してからは共に走ることはほとんどなくなってしまった.
 そうして,僕は再び一人でロードレーサーに乗る生活に戻ることになるのであった.

(その4)に続く


12月27日 7:30
今このnoteを東海道新幹線の中で書き終わったところなのだが,場所が丁度ココだった ↓

右が大山で左が富士山だ.ヤビツ峠も見えている.
なんたる偶然! (笑)

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