僕が遭遇したサイクリングでのトラブルの話 (昔話です): その5
(その4)からの続きです.
長距離のサイクリング(ロングライド)では,それなりの携行品を準備し対策も立てて出発をする訳ですが,それでも「もしも遠い場所で予期しないトラブルに遭ったらどうしよう?」 と心配になるものです.
(その5)と(その6)では,私が遭遇したロングライド中のトラブルと,そのときどのように対処したのかを紹介したいと思います.
7. 柳沢峠に行ったときの話
1989年のある日,綾瀬-相模湖-奥多摩湖-柳沢峠-鳥坂峠-精進湖-山中湖-御殿場-綾瀬というコースでロングライドをした(下図).
山梨県の柳沢峠に行ってみるのが目的で距離は285kmである.
そのときの出来事を以下に記す.
自宅を早朝に出発し,いつも通り順調に相模湖を通過したあと,上野原から小菅村を経由して奥多摩に向かう県道33号線に入った.
僕は山梨県の「道志みち」も好きだったが,この上野原-小菅村ルートは,当時(80年代)の道志みちをさらに10年くらいタイムスリップさせた感のある,とても鄙びた山道で,大好きなサイクリングコースのうちのひとつだった.まだ秋川から入る甲武トンネルも国道139号線の松姫トンネルも開通しておらず,この地域は外部からのアクセスが極めて限られたところだったのだ.
ここを最初に走った時(1986年)にはまだ一部未舗装の部分が残っていたが,柳沢峠に行ったこのときにはすでに全線舗装が完了していた.
僕はこの上野原-小菅村ルートを走るたびに,いつも気になる場所があった.西原地区の道路が大きく右カーブするところにおもちゃ屋があったのだ.そこは周囲に人家のないところで,なぜこんな山奥におもちゃ屋があるのだろう? といつも不思議だった(下図).
そこは昭和30年代から時間が止まっているかのような古色蒼然とした店で「だるまや (長田商店)」という店だった.
窓から店内をのぞくと,いかにもな昭和なおもちゃが多数陳列されているのが見えた.
2006年にサイクリングをしたときに撮影した写真を下に示す.
(少なくとも18年前にここに来た時にはまだ営業していた)
僕は,この上野原-小菅村ルートの「だるまや」の前を通るたびに,なんだか感傷的になるかのようなホッとするかのような,不思議な気持ちになるのであった.
なお,ここで実際に買い物をした人がいて,下のブログに写真が載っている.
いつもと変わらぬ「だるまや」を通過した僕は,鶴峠(870m)を超え,小菅村を経由してから奥多摩湖に入り,国道411号線をヒルクライムして108km地点の柳沢峠(1460m)に到着した.
その後,甲府盆地までダウンヒルをしたのち,再びヒルクライムし,九十九折れの急坂をヘロヘロになって登り.ようやく鳥坂峠のトンネル(1010m)に到着した(下図).
鳥坂峠(旧道のトンネル)を越えた僕は芦川村までダウンヒルし,自販機で休憩をすることにした.だがこのとき,たいへんなことに気がついた.
いつも持ち歩いている財布が無いのである
どこかで落としてしまったのだ.
僕が今いるその場所は,全行程(285km)のほぼ中間の151km地点で,自宅までは残りあと134kmもあった.このとき大きく2つの問題が発生した.
第一に,そのときはまだ空腹ではなかったものの,何も食べずに自宅まで走れるだろうか? ということ.補給食は既に食べつくしてしまっていて手元には何も無かった,
そして,実はこちらの方がより重大なのだが,この先で有料道路(甲府精進湖道路)を通る予定だったのだ (下図).
財布を落とした場所はだいたい見当がついていた.鳥坂峠への九十九折の坂道に入る前にサドルバッグから荷物の出し入れをした.そのときは確かに財布を見た気がする.おそらくそこで落としてしまい,それに気がつかずに出発をしてしまったのだ.なお,落とした財布の中身は現金のみで1500円くらいであったと記憶している.
僕は頭をフル回転させてシミュレーションをした.
財布を探しに戻るべきか? しかし,仮に見つかったとしてもあの九十九折れをもう一度登るのかと思うとウンザリした.
探しに戻ったところで,もしかすると自分の記憶違いで,財布は見つからないかもしれない.その場合には有料道路を通らずに帰れるルートでなければならない.
持ってきていた地図のコピーを見ながら考える.
東の新御坂トンネル(有料)は通れないから,国道137号の御坂峠(1375m)が候補になるが,明らかにキツそうな山道だ.他の案として国道20号の新笹子トンネル(717m)も考えられるが,標高300mの甲府盆地まで降りてから再び登り返さないといけない.
いずれのルートも補給食なしで走るのは困難なように思えた.
結局,僕は財布を諦めて,予定通りのコースを進むことにした.
たいへん申し訳ない事なのだが,有料道路の料金所で事情を説明するしかないと考えたのだ.
甲府精進湖道路の料金所は精進湖側の出入り口にあり,そのときの僕の方向としては "走り終わってから" 料金所に至ったのであった.
料金所で徴収係の人に財布を落としてしまって所持金がないことを正直に話し,なんとか通してもらうことができた(なお,自転車の通行料は20円であった).もしも逆方向,つまり料金所が "走る前" にあったなら通してもらえなかったかもしれない.
一安心したが自宅まではまだ100km以上ある.幸いだったのは,僕がそのときいたのは標高1000m近い富士五湖周辺で,帰り道はほぼ下りと平地しかなかったということである.
エネルギーを無駄に消耗しないように,ゆっくりと走った.
御殿場で国道246号線に入るころには腹が減ってきたが,ここから山北まではずっと下り坂なので,空腹には気がつかないふりをして走り続けた.
財布をなくした芦川村から休まずに走り,さすがに疲れてきたので,山北の国道246号沿いのコンビニで休憩をすることにした.
空腹が辛くなってきたが,水で我慢するしかない.
ところが,このとき不思議なことが起こった.コンビニの駐車場でサドルバックを開けたところ,なぜか50円玉がコロンと出てきたのだ.
お金はいつもちゃんと財布に入れていたし,財布の紛失に気がついてサドルバックの中身を調べまくったときにも,そんな50円玉は無かった.
なぜこんなところにお金があるのか? 理由がさっぱりわからなかったのだが,とりあえず腹が減って仕方なかった僕はその50円玉を握りしめ,
これでなにか食べよう!
と,コンビニに入ったのであった.
(10分後)
買ったのはハイチュウである(これしか買えなかった(笑))
その後,僕はそのハイチュウをひとつずつ大事に舐めながら予定のルートを走り切り,無事に帰宅することができた.
あのときのコンビニはだいぶ前に閉店したようだが,今でも建物と駐車場が当時のまま残っている(下図).
しかし,なぜあのとき,突然50円玉が出てきたのか?
いまでもスーパーやコンビニでハイチュウ見ると,あのときの不思議な出来事を思い出す.
(その6)に続く
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