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”評価”とは一体なんなのか(後編その13)

プロ雑用です!
前回はトーナメント表の勝者が評価を決めるということの異常性について解説しました。

今回は評価者がどのように周囲を納得させるのか、という点について解説していきます。


単調な事実より、劇的な物語こそ重要

人というのは物語を好みます。それは物事を事実ではなく、ナラティブで理解する人間の特性によるものです。人の記憶はエピソードのつながりを強く記憶できるという、というよりも、勝手に物語を作ってしまう癖を持っていまるのです。

それはつまり、「単調で起伏のない事実(ドライ)」より「感情を揺さぶる劇的な物語(ウェット)」の方が印象に残るようにできている、とも言うことができます。

単に事実を並べた見出しよりも、少々大げさでもそそられる見出しのほうがインプレッションが稼げるのと同じように、多くの人に共感され感情を動かす物語こそが重要なのです。

事実は演出され、刺激的な物語になる

評価者は評価したい人を評価するため、その成果を物語にします。そして、その物語を盛り上げるために、評価者は彼にささやきます。「もっと具体的でインパクのある数字をこの物語に加えよう。少々大げさでもいい、数字を丸めればそれっぽく大きな数字に見えるから。」
そしてこうもアドバイスします「この部分は出すとマイナスイメージだからぼかしておこう。なに、結果は出てるんだから誰も気にしないさ!」
そして大きな声で彼を褒め称えます。

ねぇ聞いて!彼はこんなに素晴らしいことを成したの。だから彼に多くのものを与えるわ。みんなも彼のように素晴らしい成長をしてほしいから、この物語をシェアするわ!

さまざまな表彰制度も、周りに認めてもらう場として評価を確実なものにするための演出として機能します。

更生した不良が絶賛される不具合

物語は刺激的であればあるほど良いのです。
ミスやトラブルを未然に防ぐことが求められる守りの部門よりも、劇的な結果が出せる営業などの攻めの部門が評価されるのは、後者のほうが刺激的な物語が作れるからです。

子犬をたまたま助けた不良は絶賛されますが、日常的に規則を守っている多くの人々は褒められることはありません(それどころかたまに嫌味を言われたりします)。

あなたのことを私は評価してるけど、他の人を納得させるには足りないの。あなたのやってきたことは、大切なことだけど、シナリオが単調だからオーディエンスは盛り上がらないのよ。ごめんね。次回はがんばって!

凡庸でつまらない物語は評価されません。上司は評価してくれても、すり合わせ会議をすればあら不思議、あっちの刺激的な物語に比べたらなぁ、というお気持ちに簡単にすり替わります。

結局、モテるやつがモテているだけ

評価があろうがなかろうが、活躍する人は活躍するし、活躍しない人は活躍しません。しかし組織は、評価したい人を勝者にしたいので、評価内容を劇的なストーリーを演出し、喧伝しなくてはいけません。

つまり、評価とは印象論、事実の話ではなく、印象の話なのです。

しかし、印象(イメージ)というのは大切です。今の時代、ものを売るにも機能より印象に残るストーリーこそが重要です。ですから、演出が上手な人は重宝されます。なので、評価が印象論に過ぎないとしても、それはそれで良いのです。

問題なのは、印象論が報酬と結びついているということ。
後編その9その10その11で解説した通り、報酬は安全欲求と生理的欲求に含まれています。

マズローの説によれば、五段階の欲求は、下層から順に満たされていくものです。これは逆に言えば、下層が崩れれば上を満たしてもバランスを崩すことを意味しています。

印象論でもなんでも、承認欲求が満たされ、自己実現につながればいいのですが、報酬と結びつくことで、人間関係以下の層(社会的欲求〜生理的欲求)が崩壊してしまうおそれがあるのです。

組織の人間関係なんでどうでもええわい、売上だけが重要じゃ、後の奴らはいくらでも変えがきくわい!と言わんばかりのブラック企業ならいざ知らず、そうではない組織、特に働き方改革やダイバーシティインクルージョンを取り入れようという組織は、報酬と評価制度を結びつけるのはリスクがあることだと認識を改める必要があります。

今回はここまで。
次回から少しこのシリーズのまとめに入っていきます。

それじゃ、また👋

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