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輝ける場所

はじめに

最近、「アーロン収容所」って本を読んで感じたことを書いてみます。

どんな本?

「アーロン収容所」ってのは、第二次世界大戦の終戦後にビルマ(現ミャンマー)で終戦後にイギリスによって運営された日本軍捕虜収容施設のことです。そこで著者が体験したこと、感じたことを高度経済成長時代に著した本です。イギリス人、インド人、ネパール人、日本人の精神構造や社会性の差を実体験をもとに書き記した本になってます。

ここから本題

その本の中で、「前線での戦闘中、戦闘準備中に尊敬されていた人物と、捕虜収容所での生活が続いていく中での尊敬される人物が変わっていった」という記述ありました。
そこから著者が、「それぞれの人間にはそれぞれが輝ける場所や環境があるのであって、本来的にダメな人間は無いのではないか」というような事を書いておられました。
例として挙げていたのは、「実際に敵との交戦中に勇ましく敵に向かっていき武勲を上げていた人でも、捕虜収容所ではただのわがまま放題で身の回りの整理もできない困りものだった」とか、「敵に包囲され、いつ攻撃されるかわからない状態なのだがかろうじて生き延びているような状態でも、脱出のための物資の手入れを日々確実にこなし続ける男が、捕虜収容所では要領の悪い馬鹿正直な厄介者になっていた」という話です。
逆に「戦闘場面では病気がちで頼りにならなかったような男が、捕虜収容所での生活では監視兵の目を盗んで食べ物やタバコなどをどこからともなく手に入れてくる能力があり、一目置かれるようになった」ということでした。

こういう話を踏まえて、現在の世の中に当てはめて考えてみたら、「各人が各人の才能を活かせる環境に出会いさえすれば、誰でも一目置かれる人材になれるんではなかろうか…」って思ったわけです。

そこで必要になるのが自分がどういう場所で輝けるのかに気づくことです。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。」ということですね。

100m走でトップになるには、持って生まれた才能人並み以上の努力が必要だという事は誰もが認めるところでしょう。ただその時に自分は100m走で速く走ることができる才能があることに気づかなければ、100m走でトップになることは無いんですね。また速く走る才能がそれほどでもない人が人並み以上に努力しても、やっぱりトップにはなれないんだよね。

同じことが、全ての領域にあると予想されるから、自分の才能に気づく機会をどれだけ持てるかが大事になってくるって訳です。
ということは、今まで自分がいまいち輝けてないと思う人は、現在までに経験したことのない事を積極的にやってみる必要があるんじゃないの?
要するに自分の興味がある事ばかりやっていても、代り映えしない未来しか起こらないんじゃないか。

小説家や作曲家が、机に向かっているときよりも、他のどうでもいいことをやっているときに閃くという話は、よく聞くところです。
だったら、例えば本屋さんに行ったら、自分の興味のある棚じゃないコーナーに敢えて向かって平積みになってる本を開いてみるとか、友人が好きなアーティストの曲をひとまず聞いてみるとか、「時間の無駄」って考えちゃう脳みそのいう事を聞いてないで自分の身体で感じてみたら何か変わるかもしれないじゃんね。

おわりに

鳴かず飛ばずの現在の状況を少しでも変えたいんだったら、やってみる価値あるんじゃないか?

まとめ

誰にだって輝ける場所の1つや2つあるもんだよ。
ってこと。

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