視力検査は「分かりません」が許されているので好き(短歌も)
保険金で新しい眼鏡を買いました。少し度を強くしたので世界が湾曲に見えます。
丸メガネって流行ってるのかな?お洒落なピープルがこぞってかけている気がして、わたしも丸いのが欲しくなりました。イケてる人の仲間入りだぜ。
店員さんにも試着姿を確認してもらって、ウキウキで決めた眼鏡。フレームが金色に光っている眼鏡。家に帰ってすぐに掛けてみたら、驚くほど似合ってなかった。わたしは視力が弱く、加えて乱視に近視なのでレンズが結構きつくなるんです。お陰でもともと小さい目が更に小さくなり、そのせいで顔の余白が目立ち、丸いフレームがそこを嫌に強調している。これはあれだ、虫の顔だ。間抜けなトンボみたいな感じ。いや、間抜けなのはわたしだけか。
コンタクトしたままフレームを選んだのですが、頭のいい人は眼鏡に度が入ることを考えて、実際に掛けた時のイメージもちゃんと描いて購入するんでしょうね。丸メガネの魔力に憑りつかれていたわたしは、そんな遥か未来の事なんて考えもしなかった。その結果がこれかと鏡の前で悲しい顔をする羽目に。悲しい顔もなんかおかしい。
保険金ってなんか不穏な言葉ですね。ちゃんと手順を踏んで貰ったやつだからね。誰の事も手にかけてないんだからね。院生の時に摂食障害で入院してたことがあったんですよ。過食ってやつ。食べるのが苦手だったの。今さら通院保険の申請をしたの。貰えることを忘れてました。
わたしには分からないことが沢山あって、「なんだこれは?」ってざらざらしたものを手に取って、蹲りたい瞬間ばかりで日が暮れちゃいます。でもそんなことしてたら置いていかれそうな気がして、湧いて来る分からないもの達に顔を背けた。なんだか色々を受け流せるような顔をして、馴染むためにブランドを買って、わたしは大丈夫って態度を取ってました。世間で定義されてるような「正解」を出していけば、自分の事を守っていけると思ってたのですが、何か違かった。「正解」欲しさに色々な物を捨ててきたみたいで、疲れちゃって、それで食べるようになったのです。
(今はだいぶ落ち着いているけど、全盛期の食欲引っさげて大食いYouTuberに挑んでみたい)
ありがたいことに、「正解」に耳を貸さなくてもいいんだよ、好きな事をやっていいんだよって教えてくれる人たちと会えて、ひとつ力が抜けつつある感じです。ええ~そんな世界が本当にあったの~と驚き。自分の好きな事を好きなようにやって良いってご存知でしたか?そっちの方がずっと面白そうだし、ちゃんと納得しながら進められそうだなと感じてます。休職が終わったら、わたしも好きなことをやりたいな。
(わたしにも大切な人や場所や時間が沢山あるのですが、また少しずつ増えています。忘れたくないなぁ)
光浦靖子さんの、「49歳になりまして」(「文藝春秋」2020年11月号)ってエッセイが好きでよく読み返すのですが、いつかわたしもこぼれ落ちた物を掬ってみたいなと思います。時間は沢山あるんだろうし。
今日はこんなこと書くつもりじゃなかったし文も気に入らないけど、書き直すの手間なので載せちゃう。頭のチューニングが合わなかったDAY。
輪菊。テレビの前に置いて簡易的お月見。
Die Will die その真ん中のDying
だけ操って 愛撫の煙草
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