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才能について「リィンカーネーションの花弁」(2020年)

漫画のリィンカーネーションの花弁がおもしろいです!
脳が沸いちゃうフィーバー♪偉人だけでなく独裁者や猟奇殺人鬼やシリアルキラーなども登場させるなんて理解力あるよね!歴史上の変態がいっぱい、萌えちゃうね~♪
様々な変態を登場させて物語を作ってしまう作者の構成力が凄いです!歴史上で悪とされている人物も、そのまま悪と描かず救いも考慮している点も凄い。

シュレーディンガーのコスプレしたいと少し惹かれた。
(=^>▽<^=)ねこねこにゃーにゃー♪
顔が出るコスプレは容姿劣化が激しいからね、極度に精神不安定に陥った時に生き抜く為に容姿は不要と切り捨てた。
認知療法しながら不要なものはガンガン切り捨てたな~。

枢軸国の人外フレンズである、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル、シモ・ヘイヘ、舩坂弘も出てきますね!

老子や荘子を登場させて欲しいな。
才能名「逆説の王」能力的には全ての攻撃を逆用反射する事で攻撃者を攻撃する。


僕の才能名は「満たされない胃脳(異能)」かな?
能力的にはダヴィンチの万能器や石川五右衛門の盗人の右腕左腕と似た感じ。
胃脳は食指が働いたものを脳で食べる意味合い。そして異能とかけた。

幼少から数字にやたら強く、それが自分の一番の得意分野だと思っていたけど、最大の特徴は好奇心と探究心が旺盛な事だと思った。
興味を抱いた事柄は数字絡みや生物絡みや心理絡みなど何でも修得してきているし、脳だけではなく武術剣術やサバイバルや菜園なども修得してきているし。
でも僕の才能は器用貧乏で中途半端だよね 笑。

好奇心旺盛の難点は倫理観が吹っ飛ぶ事だよね!はっはっは!人類の主観で善事にしか好奇が湧かない者は、真の好奇心を持ち合わせてはいない。真の好奇心は善悪の垣根がなく、全ての事象を脳で食べる。
認知療法や守り重視への切り替えで倫理観が吹っ飛ぶような事に強い興味は持たないようにはなったけど。認知療法の副作用は情熱の低下だね。


自分に才能が無いと思っている人は、自己暗示で思い込んでいるようにも思える。アインシュタインも全ての人に才能はある、それに気付くかどうか?みたいな発言をしていたような。ただ皆と同じように学校に行って会社に行ってと、ロボットのような生き方をしていたらロボットにしかなれない。

僕は様々な事をブログに記述しているし、世の中には様々な本(多くは古典の応用だから古典を読んだ方がいい)がある。文章を読んでも本質にある技術や機微は知り得ない。だから体験を繰り返して失敗し続けるのがいい。文章に本質的な意義は無いのは故事だと「古人の糟粕」や「庖丁解牛」みたいなものだから。


幸福のサバンナ理論という考え方があって、IQの高い人々は社会的相互作用が少ない方が幸せを感じる。逆にIQの低い人々は社会的相互作用が多い方が幸せを感じる。
IQは一面的だと以前から言われているので「知性的」とか「自立心」とか「一人で何でもやる」とかに置き換えた方が解り易くなると思います。

一人で何でも出来て望みが叶う人からしたら、直接的に人と交流するメリットは少ないけどデメリットは多くなるんですよね。間接的には特に食糧を生産してくれる人達は大事ですけど。
逆に一人で出来る事が少ない人はどうしても他者を頼る必要が増え、その分群れやすくもなるし同調圧力にも従いやすくなるのかな?

IQに関連した事でICEという考え方があって、I=IQ知能指数、C=CQ好奇心や創造性指数、E=EQ感情指数や心の知能指数。
3つのバランスが大事みたいな意見もありますね。「智・情・意」や「心・技・体」や「天・地・人」みたい。はたまたゲッターロボか?笑

天才や高IQについての意見で不幸になりやすいってよく見掛ける 笑。と同時にそれでも才能が無いよりかはあった方が良いと羨望の意見も見掛ける。

僕は天才や高IQを脳が過剰に働いた状態とも捉えていて、あらゆる事が増幅効果を得ていると思っている。
プラス面は学習能力が高かったり鋭敏な感覚で察知出来たり。
マイナス面は負の事でも深く考えてしまったり感じ過ぎてしまうところ。
多くの人が+3~-3の感じ方をしているとしたら、+10~-10の感じ方をしているみたいな。


総合すると維持費(時間、金銭、心身)を少なくして、なるべく何でも一人でこなして、負のものに感染しないように人付き合いを少なくして、隠者のように生きるのが最適解になってくるんですよね。
隠者思考の無為自然も好きで、いたちごっこのように善悪や禍福を延々と繰り返して人類は楽しいの?って疑問もある。最初から取り組まない方がエネルギー効率がとても良いですよね。
後は世の中を改善する事にエネルギーを割くより、范蠡のように崩壊する組織からは崩壊前に逃げる方がメリット高いんですよね。
全ての生物は何の利益も無い行動は絶対にせず、どんな善意も利他もその個体にとっての利益があるから行動する訳で。

数字の強みと数値化的な心理学と歴史好きと野生動物的な感覚を合わせると大体で先読みが効くようになったんですよね。
多重人格の進化応用もすると洞察力も高まるし、一人で多様性も持てる。
洞察力は対象の脳をスキャンして心理動向を汲み取る感じ、俳優や憑依みたいな。多重性や多様性は自分で自分を心理操作する感じ。
例えば躁や鬱はその症状が表れる(結果)前に何かしらの心理的な影響(過程)が事前にあって、その過程の影響で脳の神経伝達物質の分泌量が激増したり激減したりを起こし、その脳内の影響が結果として心身に表れている。
この脳の仕組みを応用したり病を逆用して、自分で自分に心理的な圧力を掛ける事で脳内を操作するんですね。
それと盤上を眺める自分と盤上に居る様々な自分という客観と主観を持ち続ける事で制御不能に陥る危険を回避しています。


現在の自分は客観寄りかな?客観が強まると主観が薄まる。現在自分の主観は天賦である旺盛な好奇心と探究心を満たすこと。
現在精神的に病んでいないから倫理に外れる事に深い興味は湧かない。逆に短期的な善も後にある悪や禍が見えてしまうから興味が湧かない。
たまに人類憎悪が甦るから完全には認知療法は成功していないのかも?ただ人間にも好ましい人が大勢いる事も、人間がとても弱い生物である事も理解している。

人間はか弱い生物であるからこそ、群れを作り協力し、数多の文明を築き、情感を深め思い遣ってきた。
人間はか弱い生物であるからこそ、同調圧力で異分子を排除し、数多の文明で事故を起こし、憎悪や狂気で残酷な事をしてきた。

才能に善悪はない。才能の使い方と人々の主観によって善悪が決められる。
事象に善悪はない。それを観る人によって都合が良いか悪いかなだけ。


旧ブログにて2020年05月06日に記載していたもの


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