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【YMO】温故知新…な話をしよう【イエロー・マジック・オーケストラ】

ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー
(SOLID STATE SURVIVOR)

イエロー・マジック・オーケストラ
(YMO)
オリジナルアルバム
2nd 1979年9月25日

既知の人 キタコレ
聴きませう

無知の人 ナニコレ
聞けば人生は確実に豊かになります
聞きませう



概要
Yellow Magic Orchestra(イエロー・マジック・オーケストラ)という名称は、細野が1970年代後半に提唱していたコンセプト「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも、黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)でも、そのどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱した「黄色魔術」(イエローマジック)である。細野がYMO以外で「イエローマジック」の名前を使用しているものとしてはティン・パン・アレーの曲「イエロー・マジック・カーニヴァル」、細野のアルバム『はらいそ』の作成者名義「ハリー細野とイエローマジックバンド」が挙げられる。また坂本のアルバム『千のナイフ』のライナーノーツの細野の寄稿文でも、イエローマジックについての記述がある。
1980年代初頭に巻き起こったテクノ / ニュー・ウェイヴのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(=解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には米国等でのレコードリリース、およびコンサートツアーも行っている。英語圏で著名な日本人ミュージシャンでもある。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再々結成している。
当時、シンセサイザーを駆使した音楽としては、すでにドイツのタンジェリン・ドリームやイギリスのエマーソン・レイク・アンド・パーマー、日本の冨田勲などが有名であり、1978年のディーヴォの「頽廃的美学論」やクラフトワークの「人間解体」にも、電子楽器の導入は明らかであった。よって、YMOはその路線に東洋趣味をそれと分かる形で歌詞・アレンジ・コンポジションの全てに入れ、プロモーションから黄色人種経由であることを主張し、バラエティ番組やコント番組などにも多く出演し積極的に露出を増やしていき、認知度を高めた。
クラシック、レゲエ等様々な音楽性を柔軟に取り入れている反面、ポストパンク的なシンプルさや攻撃性とは無縁である。このためテクノ御三家の一角としてムーブメントを支えたP-MODELの平沢進は後年「あれはフュージョンだと思っていた」と、自分たちの音楽性とは乖離があった旨を述べている。
YMOは、そのファッションも特徴的であった。特に、初期のアルバムジャケットやライヴでメンバーが着用していた「赤い人民服」(高橋のデザインによる、明治時代のスキー服をイメージした衣装であったが、その形状が中国の人民服と似ていたために、一般的に「赤い人民服」と呼ばれるようになった)、そして、すっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす、当時の若者の間でも流行した「テクノカット」(本多三記夫考案)と呼ばれる髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげなし)の2つは、YMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知されている。
ライブにおいてヴォコーダーヴォイスで挨拶することでも有名。いくつかのライブ盤でそのヴォコーダーヴォイスによる挨拶を聞くことができる。

Wikipediaより抜粋引用

言いたいことは山盛りてんこ盛り
…と言うか
知った風な感じのうんちくがんちくを
たらたら書き連ねてみれば気持ちいい −かも−
結局
百聞は一見に如かず。(*´ω`*)

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