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【イングリッシュラベンダー問題】Roots of The English Lavender.

なんかイイ物手に入れました!

大半の女性ならパッと見でわかるかと思いますが、まぁ見ての通り香水なんですよ。
実はこの香水、ラベンダー業界ではかなりの歴史・罪深いキーアイテムなんです。(私とて最近知ったんですけど!)

なんでもこの商品名はまんま「イングリッシュラベンダー」

詳細は後述しますが、英国の香水会社が発売した香水なのでイングリッシュラベンダー。
まぁまんまなんですよ。

これのどこが”罪深さ”を持っているのか、語っていきましょう……。

大勢の人はEnglish Lavender=富良野のラベンダーと認識している現状

イングリッシュラベンダーとググると、当たり前のように富良野のラベンダーの景色やその苗木やらアメニティ商品が出てきますよね。
それもそのはず。

みんなが富良野で見られるラベンダー(学:Lavandula angustifolia)の名称がイングリッシュラベンダーだと思い込んでいるからなんですね。

でもこれは”俗称”だとまず先に述べておきましょうか。。。

イギリス・ブリテン島原産のラベンダー(植物)は存在しない

植物分類学上では、"イングリッシュラベンダー"という言葉は大間違いなのですよ。
図鑑とか生きものに詳しくない方へカンタンに説明すると、博物館や植物を研究する大学などの研究機関の中では、イングリッシュラベンダーという植物は存在しないことになっているんですね。
コモンラベンダー/Lavandula angustifoliaがイングリッシュラベンダーと呼ばれる植物の正しい名前となります。

例えば、吹奏楽の世界でチューバやトランペットなど楽器は存在しますが、「ラッパ」という楽器が存在しないのと同じですね。

イングリッシュラベンダー問題をカンタンに説明

コモンラベンダー/Lavandula angustifoliaは南フランスの高山帯が原産地

原産地南フランスの高山帯に生える『野生のLavandula angustifolia』

ではどのようにフランスから英国・ブリテン島に伝わったか?

ラベンダー(コモンラベンダー)が海峡を渡り、はるか北方のブリテン島・イギリスに渡った歴史イベントは大きく3つあるようです。

まず1つが、ローマ人のブリテン島侵入。
これはコモンラベンダーに対してLavare:洗うの意をもたらし、ラベンダーの生活利用を始めた紀元1世紀のローマ時代に遡ります。
ラベンダーはその語源通り、ローマ時代から浴用品として生活に用いられていたことが知られていて、そのローマ人がブリテン島に居着いたのが1世紀後半。
なのでラベンダーを扱う、植える文化が持ち込まれた可能性が大いにあるわけです。

2つ目が、17世紀の宗教弾圧によるプロテスタント教フランス人の亡命。
フランスの時の国王ルイ14世がキリスト教の新興宗派であるプロテスタント教を厳しく迫害・弾圧したことで、数十万人ものプロテスタント教徒たち(ユグノーと呼ばれる)がプロイセン、スイス、イギリスなどへ逃れたそうです。
その際に、ユグノーたちの故郷の花であるラベンダーもともに持ち込まれ、亡命先で建立した教会のまわりに故郷を偲んで植えられていたと言われています。
これがブリテン島・イギリスにコモンラベンダーが定着することになった大きな理由の一つです。

そして3つ目が、19世紀の近代資本主義の浸透にともなう国際貿易の発達と園芸業界の発展王立園芸協会/RHSの成立です。
資本主義と貿易が発展する中で、国際企業が商品をプロモーションする場として国際万博も行われてきました。その中で英国ブースに「香水」という商品ジャンルが登場します。
実はこの香水に関して、後述するコモンラベンダーのイングリッシュラベンダー呼称問題と大いに関連があるのです。

そしてイギリスを園芸大国へと発展させた王立園芸協会(RHS)の成立です。
この組織の中には実に多くの著名な植物分類学者や園芸家、栽培家などが所属。ラベンダーの園芸品種の作出もここで主に行われ、マンステッド(1906~)など実に多くの品種が誕生しました。
RHSの成立によって英国の園芸文化がさらに発展し、国内のみならず諸外国の美しい草花もイギリスへと輸入されるようになりました。
このことによって、ラベンダーの移入と品種拡大が盛んになり、ラベンダーもイギリスの"庭園作物"として地位を確立するようになりました。

資本主義と国際貿易の発達にともなって上記2つの情勢が合わさったことにより、薬用・園芸作物の色が強かったコモンラベンダーがイギリスにおいて香水の香料として利用されはじめます。

ラベンダー属植物の中でも最も美しい香りを持つとされるコモンラベンダー/Lavandula angustifoliaがなぜ英国原産ではないものの『イングリッシュラベンダー』という呼び名が染み付いているのか?

諸説ある根元のひとつ(の現物)を手に入れることができました!

ヤードレー・オブ・ロンドンの香水「イングリッシュラベンダー」

うっすらパープル色付きのオードトワレ香水

ヤードレー・オブ・ロンドン(株)は1770年のイギリスはロンドンで誕生したようです。
そしておまけに、世界で最も古く・長い歴史を持つ香水会社。
さすが産業革命が興った国イギリスのお膝元ですよね…。

サラッと解説すると、歴史深い香料会社のヤードレーロンドンは英国王室からラベンダーの香水調合をオーダーされ、時の国王チャールズ国王に絶賛されます。

これがこの社の代表商品である「イングリッシュラベンダー」のようです。

香水「イングリッシュラベンダー」の香り

かつて英国王室ご用達の品であったことを感じさせる高貴なボトルデザイン

どうやら発売当初(1913年)は男性用の香水であったようです。
そりゃチャールズ国王がお気に召したことで多くのカスタマーの手に渡り知られるまでに至ったんですからね。

けど実際のところの香りは、
ラベンダーの生花および精油の香りを知っているエフゲニーマエダが試すと、「不快感が少なめのめちゃくちゃ甘い香り」。

どちらかというと都会にお買い物に出かけるママとかから香ってくるようなイメージを持つ香りでした。(あくまでエフゲニーマエダの育ちによる)

これがイギリスで言えば男性用に当たるのか〜なんとオシャレで気品しか感じないような香りなんだ、、、とカルチャーショック。笑

使用品種は”香料用品種として名高い英国品種”のロイヤルパープル?

ひとつ情報を成立すると、日本のラベンダー苗木として現在入手が安易な「イギリスでの香料用品種」と紹介されているL.angustifolia "Royal Purple"の作出・導入年代は1944年のようです。(ソース:下記リンク)

北海道の伝統品種のように後から栽培用品種として品種名がつけられた可能性は否定しきれませんが、どうも香水の発売年数とは大きく開きがありますね。

ヤードレー公式サイトの写真を凝視してみる。

上記サイトより引用。

ラベンダー品種探偵、こういうのがエフゲニーマエダ本人の楽しみだったりするんですよw
少なくともこの写真がヤードレー本社が香水に収穫している畑の花の写真であるかは真偽怪しいところなんですが。。。

花穂の形状はどう見ても長穂品種のロイヤルパープルではないことがわかりますね。

これは"バレル型"いわゆる樽型とされる花穂形状になります。

で、この形状をとるラベンダー品種を片っ端から当たれば見つかるやんとも言えるんですが、なんせ園芸品種ラベンダーが多いのが英国ラベンダーなのですよね…。

エフゲニーマエダはサイコパス。既製品を魔改造!

(ちょっとまっててね)

【あとがき】香水としての使用は英国が初。商業化を発展させたのはフランス。

こうしてイングリッシュラベンダー呼称問題からラベンダーの歴史を紐解いていくと、花のアロマを感じるための香料・香水として世界で初めて活用したのは紛れもなく、世界最古の香水販売会社であるヤードレーロンドンであることには間違いなさそうです。
そしてより良い香水づくりのために最高の香りのラベンダーを国王命令でリサーチしたところ、以外にもそれはかつてフランスから伝来済みであった同種のL.angustifolia/コモンラベンダーだったよう。19世紀にはもうすでに英国内に存在していたんですね。
これにより「ラベンダーの香りは英国人のもの」として英国人プライドに刻まれることになりました。

そして香水原料として値打ちが出ることがわかった、L.angustifolia/コモンラベンダー原産地の南フランス(プロヴァンス地方)では我こそはと地域の農作物としてラベンダーの栽培がスタート。
そして1930年代に香りのアタックも強く収油量も高いハイブリッドラベンダーであるラバンジンが登場したり、戦後日本の北海道でもラベンダー産業が成立したり、医学・アロマテラピー文化へ発展したりなどとラベンダー精油産業の歴史へと移っていくワケです。

というように、香り商品としての開発歴史とプライドを持っているのはイギリス。
ラベンダーの生産量拡大や品種、産業発達など生産史を持っているのがフランスや日本というワケになるようです。。。

若い人がどんどん減る地元【三笠市】もついに人口7000人台目前。 朝カフェやイベントスペースを兼ねたラベンダー園で今いる住民を楽しませ、雇用も生み出したい。そして「住みよい」を発信し移住者を増やして賑やかさを。そんな支援を募っています。 畑の取得、オイル蒸留器などに充てます。