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#010 『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン 〜ネガティブケイパビリティのススメなんだ!



Lectioのビジネス書読書会にて課題図書として読む機会を得ました.
『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン著になります.

去年(2022年)には同じ著者の『限りある時間の使い方』も読んでいました.こちらの本では,時間に対する考え方を変更するよう促されるような書きぶりでとても示唆的だったのを覚えています.いわゆるタイムマネジメント本の考え方へのアンチテーゼになっていました.つまり一生懸命に時間をハックして生産性を上げようとしても限界があるという素朴かつ現実的な実感から,再び時間について考え直してみようという試みだったように思います.

今回,同じ著者の本書を読むにあたり,とても期待を持って読み始めました.結論から言うと,概ね著者の考えに同意することが多かったなと思います.なるほどと新鮮な発見をする部分もありつつ,自分の場合,仏教思想や東洋思想の世界観や人間観を文学作品を含めて知っていたため,イギリスの作家である著者がテーマに対して仏教思想の影響を受けているのだなと興味深く感心する部分も多かったです.

まず,率直な印象として,本書の邦題について言及したいと思います.
『ネガティブ思考こそ最高のスキル』

このタイトルから多くの読者は,「ネガティブ思考」の効用を知り,それが幸福になるための「スキル」として紹介されていくという想像をするかと思います.
それは自己啓発本によくある「ポジティブ思考」に対置する形で,反対側の優位を論として展開していくのだろうと….しかし,実際の記述内容はそのような新しいスキルやHOW TOを紹介するものではないです.なので少し著者の言いたいことの焦点がつかみにくいという印象が続くかも知れません.
(実際,読書会の参加者の皆さんにも共通した感想としてありましたww)

原著のタイトルは以下になります.
The Antidote: Happiness for People Who Can't Stand Positive Thinking
(直訳=解毒剤:ポジティブシンキングに耐えられない人のための幸福論)

こちらのタイトルからは,ポジティブシンキングへの無理な固執に対してバランスをとるような距離感が感じられます.実際,じっくり読みますと著者はそのようなスタンスで語ろうとしています.「ポジティブ思考への偏向を是正するためのカウンター・ウェイト」であるとか,ネガティブな道が「単一のきれいにパックされた包括的な哲学思想ではない」と言っています.

しかしながら邦題が「ネガティブ思考こそ最高のスキル」というインパクトを持たせてしまっていて,少しミスリード気味にさせてしまうなと感じられました.ですが内容自体はとても真摯に幸福へ近づく微妙な知恵についての探究となっていて,そこに大きな価値を感じることができました.


主な問題提起について触れつつ感想を書いてみたいと思います.

ポジティブ思考では幸福になれないのではないか.
著者はこのような問いを提示します.自己啓発セミナーや思考が現実化する系の一連のポジティブ思考の系譜があります.僕自身も目標を立てて,それにフォーカスし,それを達成するイメージを強く描き,ポジティブな言葉を使い行動をするという手法の本を(無数の本を)読んで来ました.それらは心理学的なエビデンスなども紹介しつつ語られますので,とても強く読者を動機づけていく.

でも確かに,それで全てが上手くいくのかというと現実的には疑問を感じることがありました.副作用として燃え尽きてしまったり,心の余裕を失ってしまうことがあります.ポジティブであろうとして,頑張っているのに,心は渇いて何か欠如感のようなものを感じる.ポジティブ思考への疑念が生じることに深く共感しました.

ネガティブ思考を排除しようと懸命に幸福を追求する努力が,逆に空回りをしてしまう現象への言及があります.「アイロニック・プロセス・セオリー」という精神心理学で,「ある思考や行動を抑制しようとする努力は,皮肉なことにそれらをより普及させる結果に終わる」というものです.

ネガティブ思考をしないように努力する視点とは,つまりは自己モニタリングする視点です.言い換えるとメタ認知している自分ということになる.しかしこのメタ認知も現実の困難に直面して「精神的負荷」に苦しむような状況下においては正常に機能しなくなる.これが空回りや自尊心の悪化のメカニズムとして説明されていました.

これすごく共感できました.自分も経験的にそれを感じることがありました.ある目標を立てる.その目標は自分の人生の意義やヴィジョンをしっかりブレインストーミングして計画した目標です.それを達成するための具体的な時期とか明示的な達成条件も決めます.そこへ至る行動をタイムスケジュールとして配置していく.年単位から月単位,週単位,一日単位のタスクへと落とし込んでいく.要するに逆算思考です.さらに肝心なモチベーションもイメージトレーニングしたり,言語化したりあの手この手で作り込んでいく.ポジティブなアファメーションも欠かせません.自己暗示的に「絶対にそれを達成するに決まっている」くらいにめいいっぱい引き寄せようとする.あとは継続,成功体験の積み重ね…というわけです.とてもエッセンシャルです.….ですが燃え尽きます.「今ここ」の楽しみや充実感が疎外されていると感じて途方に暮れる.

なぜなのでしょうか.
本書を読んでヒントになったのは,つまりは現実との齟齬や心理的な齟齬が生じてもそれを否認しようとして,無理が重なりやがて限界がやってくるというシンプルな事実なんだなと思いました.そのシンプルな認識に向かって,著者は色々なアプローチで近づいていこうとしているように思いました.

ストア哲学者からは,「物事が直接人々の心を動かすことはない。人々が動揺するのはそれぞれの内なる考えによるものである」というシンプルな哲学を学びます.また「悪事の熟考」という究極のネガティブ思考を試すことにより,「極端に不快な結果と、単に好ましくない結果とは明らかに違う。」という認識に至ります.絶対的に不快な結果を想像してみると,意外にも現実化する結果や失敗はそこまでの程度ではありません.この感覚は,妄想的に不安感を感じつつ一生懸命それを拒絶しようとする態度より,健全なアプローチだと思いました.

オイディプス神話の例では,「人は自分の中に住む悪魔から逃れようともがけばもがくほど、悪魔たちを増長させる結果になるということ」を学びます.

仏教的な思想の影響もすごく強く感じました.
著者も瞑想体験する場所へ参加することで多くの具体的な発見をしたようです.「完璧な仏教徒は、思考そのものを別の環境としてとらえ、何ら執着心なしに観察すべきものとしている。」と述べられていることから,ポジティブ思考だけに一体化しようとする自我の在り方が「執着心」でしかないこと.その執着によって逆にメタ認知が不可能になってしまうことを学んだようです.

とても面白かったのは,日本でもそれほど知られていない森田正馬の「森田療法」にまで言及があったことです.森田療法は不安症などの治療法の一つです.森田の言葉を紹介していました.

「自分の行うことを何でも好きになれる人は、心配のない人生を送ることができる。ところが、不愉快なことや退屈なことを避けようとする人は、そもそも不可能な試みに精神的エネルギーを費やす結果となる」

『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン著 より

この言葉はすごく鮮明に心と行動の関係を洞察しているなと感心しました.ネガティブ思考かポジティブ思考のどっちが優れているかではなく,「自分の行うことを何でも好きになれる人」というように,執着心や葛藤から離れていて,自己の感じ方を操作しようと思わず自然体でいることが行動を自由にするのだなとハッとしました.例えば日常のタスク一つ一つに対して,目標管理や逆算思考でギチギチにマネジメントして,くたくたに燃え尽きていた自分の理由を説明しているなと思えました.つまりは完璧主義やモチベーションに拘泥するあまり精神的エネルギーコストが肥大化していたのです.


もう一つ新鮮で面白かったのは,メキシコの「メメント・モリ」の精神を紹介している章でした.

少し難しい感覚なのですが,死との関わり方,距離の取り方で最もバランスの良いスタイルはどういうものかという探究に思えました.

文化人類学者のアーネスト・ベッカーの『死の拒絶』に言及しつつ,ベッカーの考えを紹介します.いかなる宗教も,いかなる政治運動や国民性も,いかなる投機的事業も,いかなる慈善事業も,いかなる芸術活動も,すべてが死の引力から逃れようとする必死の努力,つまり「不死のプロジェクト」に他ならない.この死の否定のメカニズムがうまく機能しなくなると精神疾患の状態をもたらすという考えです.

僕も,この人間存在の本質への直観はとても深く説得力を持つものだなと思います.著者の論旨では,この「不死のプロジェクト」という死の拒否は,死を考えないように,絶えず葛藤している状態であり,さらに自らの死を意識すればするほど「不死のプロジェクト」へのこだわりを強めていくことへも言及していきます.

死を意識することは逆効果を生むというわけです.より死を拒絶しようとしてしまう.実験例としても,死について考える機会を頻繁に与えられた人たちは,人体からの排泄物の話をすることに非常に強い嫌悪感を示したことが紹介されます.他人の嘔吐を目撃すると,見る人に吐気をもよおすのも拒絶反応の表れということになるようです.

では死に対して拒絶しないあり方とは可能なのでしょうか.一般的なポジティブ思考の自己啓発でよく言われる「毎日を最後の日のごとく生きよう」という説教はリップサービスに過ぎないと著者は断じます.

そして心理療法士の話から,古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想が紹介されます.

「死は、われわれにとって何の意味もなくなる。なぜなら、われわれが生きている間には死はやってこないし、死がやってきたときにはわれわれは生きていないのだから」

『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン著 より

ここでもストア哲学にも通じるシンプルで潔い思想の特徴が表れているなと感じました.「物事が直接人々の心を動かすことはない。人々が動揺するのはそれぞれの内なる考えによるものである」というマルクス・アウレリウスの考えと同じですね.つまり死の実態は我々の心の外部にあるので,それをどうこう考えるのは無意味だと言っている.死への恐れは想像からくる錯覚だ,というわけです.非常にタフな姿勢で共感が持てます.けれど本当に死を恐れずにいられるかどうかは別問題です.

そこでメキシコの文化にヒントを見出そうとする.メキシコの随筆家,オクタビオ・パスの『孤独の迷宮』からの引用がありました.

「ニューヨーク、パリ、あるいはロンドンの住民は,死という言葉は不吉だからといって口にしたがらない。反対にメキシコ人は、死としばしば出会い、死を茶化し、かわいがり、死と一緒に眠り、そして祈る。死は彼らが大好きな玩具であり、最も長続きする愛である」

『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン著 より

この文章が,僕が本書の中で最も鮮やかに異文化として感じられた価値観です.このメンタリティの中では「不死のプロジェクト」は無力化されているように感じられます.死をかわいがる,とは近代以降の我々の人間観との差分を鮮明に感じる感覚です.この独特な死への信仰,「偏在する死の中での生活」という感覚には,妙な明るさと憧れを感じさせられました.

著者は,「死者の日」の儀式の文化について「死を再び人生の中に染み込ませようとする」のであると語ります.つまりポジティブかネガティブかという二項対立ではなく,第三項として中庸にも近い在り方を感じているようです.

死の運命と一緒にリラックスすること、死の運命と一緒に気持ち良く共存すること、生きることと死ぬことの交わりを知ることだった。

『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン著 より

最後の章で著者は,イギリスの天才詩人ジョン・キーツの考え,「消極的能力(ネガティブ・ケイパビリティ)」を紹介していきます.キーツはシェイクスピアの芸術性の豊かさの源泉となる資質について考え次のように言語化しました.

ぼくが言いたいのは「消極的能力」、つまり人間が不確実さや不可解さや疑念の中にあっても事実や理由を求めていらいらせずにいられる能力のことである

『ネガティブ思考こそ最高のスキル』/オリバー・バークマン著 より

この最終章では著者の最も言いたいバランス感覚がまとめられている.
消極的能力(ネガティブな能力)がいつも積極的能力(ポジティブな能力)より優れているというのではない.楽天主義も素晴らしいし,ゴール(目標)を設定することは役に立つことが多い.ただ幸福を考える際に,ポジティブなものを慢性的に過大評価してきたことがバランスを欠いていると言いたいのだ.

ストア哲学の「悪事の熟考」も,仏教思想や瞑想も,エックハルト・トールの悟りも,ブレネー・ブラウンの「脆弱性の心理学」も,メキシコの「メメント・モリ」も,そのどれかに偏って確実性を求めることなく在ることを主張していました.

最後に中国の老子の言葉「良き旅人は計画を持たず,行先に執着せず」で締められていましたが,僕はなるほどと思いました.自分自身が計画とか目標とかタスクマネジメントで燃え尽きたとき,目標や計画ではなく「方向性」という言葉に変えて生きようと思いました.少し余白を持って「あっちの方に行けば良い」というコンパスだけ信じて,あとは毎日や今をリラックスして楽しむことが幸福への歩き方なのかも知れません.


今回もLectioのビジネス本読書会で楽しく感想を語り合えました.本書と読書会参加者の皆さんに感謝です.ではまた!


【こんな人にオススメ】
・ポジティブ思考,ゴリゴリの自己啓発本を読んだけど少し疲れてきた.
・将来やキャリアに不安を感じる.
・死や事故や失敗に過剰に不安を感じてしまう.
・ストア哲学,仏教思想,瞑想など西洋思想と東洋思想の共通点を考えたい.
・ネガティブケイパビリティという概念について考えたい.

















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