地元の電車の中で
富山駅から金沢駅に向かう電車。
12月29日、
北陸地方はいつも通りの曇り。
薄灰色の空と雪が少し積もった白い地面を横目に見ながら、時間の「流れ」を感じる車中。
お気に入りの曲が詰まったプレイリストをランダム再生する。
ノイズキャンセリングで全ての外音を私の中から閉め出す。私の心を満たす曲だけを摂取する。
家から出る際、香水をつけた。
急いでいたので適当につけてたせいか、自分では分からない強い香りを発しているようで、
駅に向かう途中、父は車の窓をさりげなく開けた。
電車に乗ってからも、心做しか付近から人が去っているように感じた。
灰色の空の隙間から、光が私を照らす。
雲が太陽を反射して、空全体が反射板のような役割を果たす。
車中、岸政彦の「断片的なものの社会学」を読む。
目次「手のひらのスイッチ」を読みながら私は思う。
自分は
自分のいままで過去、経験を愛せない。
愛せていない、自分の中身を、自分を作った「もの」たちを愛せていないから、
今の自分を作った「全て」を誰かに愛されたい。大切にされたい。
自分を作った過去達を、本当は愛したい。でも自分ではできない。
だから、誰かに私の代わりに愛してもらいたい
だから自分は、好きな人に過去を語ろうとするだと思った。
私を作った過去がもし丸ごと愛されたなら、
それは、今の表面的な「私」だけでなく
細胞にいたる全ての私を愛されたように感じると思うから。
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