理念でつながる世界 (vol.2 / residence)
ドーパミンと幸福度
Take it easy.
トレーニングを終えてキッチンの冷蔵庫を開けたら、ジョンソンからスムージーが届いていた。その日の体調やトレーニング内容に合わせていつもオリジナルでつくってくれる。昨日若干飲みすぎたと伝えたからか、今日はオレンジとレモンの酸味を強めにしてくれて、タンパク質源であるお気に入りのチアシードも忘れずに入れてくれている。
ドーパミンと糖質で満たされてリビングのソファに横たわる。ジョンソンに感想を送ろうとアプリを開くと、新しい入居希望のオファーが届いていた。さわやかな笑顔の下に★が5つ並んでいる。いくつかの言語で書かれているレビューは解読できないものもあるが悪い内容でないことは分かった。10個ほど羅列された#の中には「#BOX修理」というのもある。ふと、年季の入った自分のBOXを思い出す。それ以上に気になったのは、「型にはまらず枠におさめる」という彼の【サインワード】だ。ついでにいうと顔も少しタイプかもしれない。
群れずに集う
私は「KAKINOKI」というシェアグラウンドに1年前から住んでいる。夏と冬にそれぞれやってくる鳥たちの声が気持ちいい。
「Donʼt crowd, get togather.」というコンセプトにも引き寄せられた。キャンピングカーで点々とするような生活に憧れていたのもあって、BOX持ち寄り型の集合住宅とも言えるシェアグラウンドは私の心にささった。世界各地にあるシェアグラウンドには、空きがある場所にBOXごと移動して利用できる。
5年前に独立したのを機に、自分のBOXを手に入れてメンバー登録をした。ここは3箇所目で、今のところ一番居心地がいい。BOXは、昔でいうコンテナハウスが便利に快適になったもので、いろんなデザインやタイプがある。いくつかを組み合わせてファミリー用にすることもできる。最近では太陽光を取り入れたり、リサイクル可能な素材を取り入れたり、環境にやさしいものが人気みたいだ。
シェアグラウンドの敷地内にはキッチンやバスルーム、場所によってシアタールームやトレーニングルーム、プール、ライブラリー、ワークスペース、ゲストルームなどの共有部がある。個人オーナーが敷地内の空きスペースを1 BOX分提供しているところから、100以上のBOXが入れるところまで規模も色々。都心なら立体駐車場みたいな積立型タイプが多いけれど、郊外にいけば平地にBOXが点々としたキャンプ場タイプのものが多い。
新しいシェアグラインドに移動したいときは、オーナーかすでに利用している入居者にオファーを送る。これまでのレビューや、#で羅列された特技や趣味、【サインワード】などのプロフィールを見て受け入れるかの判断をする。
メンバーのプロフィールは、自分が移動先を探すとき、すでにどんな人が住んでいるかを知るのにも役立つ。私は【サインワード】を見るのが好きだ。その言葉からどんな人なのか想像する。自分とは真逆の思考性を持ってそうな人もおもしろい。つまりは直感的にピンときた人が多いところに惹かれる。
日当たりは移動する
新しい入居希望のオファーを承諾して自分のBOXに戻ると、旅行中のお隣さんから預かっている三毛猫の " すもも " が、西側のベッドから反対側のソファに寝床を移していた。もう夕方か。朝、左を向いていたひまわりも右に顔を向けている。時計の針のように動物も植物も太陽の動きに合わせて場所を変える。
かつて家は「不動産」とも呼ばれ、動かないことが安定を指した時代もあったらしい。今は「すぐに動けること」が安定を指す。いつでも移動できる、どこでも仕事ができる、だれとでも生活を共にすることができる。夏がくれば涼しい地へ。冬がくれば暖かい地へ。もちろん定住を好む人もいると思うが、私は渡り鳥かジプシーのような生き方をしたい。少なくとも体が元気なうちは。
BOXごと動けるようになって、引越しのたびに段ボールにパッキングするという手間が省けたのも嬉しい。それでも荷物は少ない方がいい。幸い、家具家電だけでなく車も自転車も服だって、今はシェアできる。自分だけのものを持つことは重荷になるし、専用で使いたいものなんて、お気に入りのコーヒーカップくらいだ。
遊牧民がやってきた
翌朝目覚めると、なにやら白い円形テントのようなものが地面に広がっているのが窓から見えた。サーカスでもやってきたかな?と外に出て眺めていたら、みるみるうちに花が開くように立体的に広がった。
あまりにもスムーズな動きにしばし見惚れていたら、「こんにちは、はじめまして。もしかしてケイさん?」と後ろから声をかけられた。振り返ると昨日オファーを承諾した彼が立っていた。入居・退去に手間がかからないシェアグラウンドの入れ替わりはほんとに早い。「今日から住むことになりました。よろしくおねがいします。」そういって差し出された手は、プロフィールでみたままのやわらかな笑顔とは対照的に少し骨張っていた。その意外性に不意をつかれて、ぎゅっと握られた手の内側にじわっと汗を感じた。
「何か職人さんですか?」反動的にさっと引いてしまった手と入れ替えに咄嗟についた言葉でさらに体温があがる。初対面の人にいきなり、しかも外見から予想して仕事を聞くなんて失礼じゃないか。「BOXのデザイナーをしているんですけど、自分でも色々組み立てるのが好きで。」私の動揺をまったく気にする様子もみせず彼は答えた。「でもあれはもうBOXとは呼べないですね。」と笑いながら、自身でデザインした最新のものだというそれを眺める。「モンゴルにあるテントに似てますね。」と言うと、「そうなんです。その名も”Ger(ゲル)”。現地でも使ってもらってるんですよ。中、見てみます?」もしよかったら、と私の返事を待たずに歩き出した彼の後ろをついていった。
風の音とおさまった扉
「これ、回転するんです。」メリーゴーランドのようにぐるっとゲルを回して、入り口を正面にむけてくれる。「おじゃまします。」と少し腰をかがめて中に入る。日本の茶室に入る感じが好きで、あえて入口を低くしているという。外から見るより中は広々と開放的で、中央には暖炉があり、傾斜した天窓から光がさしこんでいた。風の音でシートが細波を打つようにパタパタ揺れ、その動きに合わせて光も泳ぐ。
「自然の中にいるように、雨とか風の音を聞くのが好きで」。音は聞こえるけど濡れないし、寒くないというのが守られている感じがしてほっとするんです、そう言いながら彼は目を閉じて風と草の香りをかぐように鼻から息を吸い込む。私もじっと耳を澄ませてみた。都市部の高いマンションに住んでいた時は、風の音も雨の音も感じなかった、というより気にしなかった。1階まで降りて外に出て初めて雨に気付き、慌てて傘をとりに戻ったことが何度もある。今日は暑いのか寒いのかも外に出てみないとわからなかった。コンクリートに守られているというよりは、外から遮断された感じがして、バルコニーから見下ろす街が遠かった。
「そういえば、ケイさんのドア、少しずれてません?」という声で目を開ける。私のBOXは中古で購入したものでかなり古い。ドアを閉めるときに少し持ち上げて押し込む必要があった。「さっき音が気になって。ちょっと直してみましょうか。」よければ、と言いながらまた彼は私の返事を確認せず工具を取りに行った。
「One truth, 7 colors, 100 feelings、って【サインワード】素敵ですよね」ドアのネジを回しながら唐突に彼が言う。「イメージ通りの方でした。」それは、どんなイメージだったのか。気になったが聞くことはできず、修理のお礼に被せて「ありがとうございます。」と言った。「じゃあ、また。」とゲルに戻っていく後ろ姿を見送りながらドアを閉めると、扉はゆっくりと静かに枠に収まった。
ふたりのパパと臨時ママ
部屋で慌ただしく仕事を終え、暗くなり始めた外に目をやると窓ガラスに雨粒がついていた。気になっていた無声映画でもみようかとシアタールームを覗いたら先客がいるようだった。たしか今月で6歳になるはずの双子ちゃんがスクリーンの前で踊っているのが見えた。
リズム感があるのかないのか、つたないステップに笑いを堪えられず手を振ると「クッキーおねーさん!」と手を振り返された。このあいだキッチンでクッキーを焼こうとしたら「ぼくたちもやりたい!」と寄ってきたので、一緒にやろっかと、こどもお菓子教室を開いた。「こういうの、ぼくらは苦手だから助かるよ。」と2人のパパも喜んでくれた。
念願だった里子をもらうことになった彼らは、子育てするなら、とここに越してきて半年になる。ふだんの生活のなかで「ママ」がいないことに特に不便は感じないが、ここでは臨時ママの存在がありがたいという。今のところ母になる予定はない私も、たまに遊んでもらう小さな存在に癒されている。
ノミスギチュウイ
部屋にもどるとエリから「飲まない?」とメッセージが届いていた。エリは3年前にシドニー郊外のシェアグラインドにいたときに知り合った。そこには共有の放牧場もあって、彼女は2頭の馬を連れていた。自分が住むボックスと馬が住むボックスがセットになったトレーラーで国内を転々としていて、夜になると月に照らされて銀色に輝く馬を前によく一緒に飲んだ。時差が少ないのもあって、私が帰国したあともよいオンライン飲み友だ。
「いいね!」と返してビールをオーダーする。「おつかれー」という声とともに彼女が現れて、すももの横のソファに胡坐をかいた。季節はずれのセーターを着ている。「それ作ったときより3キロやせたよ。」というから、とりあえず体重を減らして、ついでに夏服に着せ変えた。向こうはもうすぐ冬だけど、まぁいっか。
アバターができたおかげで、目を合わせようとすると目が合わない、というオンラインミーティングの気持ち悪さはかなり解消された。触れられはしないけれど、目線も口調も目の前で話しているように合う。おそらくシドニーにいる彼女は今、シャワーを浴びた直後のスッピン姿だろうけど、目の前にいるエリは髪もサラサラだし眉毛もある。
扉の外でコトッという音がした。ジョンソンが運んできてくれたビールをとりにいく。ついでに空き瓶を回収してもらう。「コンゲツノオーダー、スデニセンゲツヲコエマシタ」と飲み過ぎ注意勧告を言い放ち、くるっとターンして戻っていく。「ありがと!」と声をかけると背中に「Enjoy」の文字が点滅した。
「それで、彼とは?」と乾杯代わりにいつもの挨拶をエリと交わす。「それがさぁ…」。今月の私のアルコール摂取量が増えているのは、1月前に越してきたニューフェイスが気になるという彼女の相談をもっぱら受けているからだ。
雨の夜は長い
「自分はどうなの?いないの?気になる人。」一通り話終えて満足したエリが私に話をふる。「うーん…」と逸らした視線の先にドアが映った。まだ話すには早い気もする。言葉にしてしまったら気になっていることを認めることになる。
まぁでも飲みのネタにはいっか。「実はね…」と言いながら、ビールを追加オーダーする。またジョンソンに何か言われるだろうけど今日はいい日だったしな。窓の外に白いテントが浮かんで見える。彼も自然の音を楽しんでいるのだろうか。BOXにはじかれる雨粒の音が強くなってきた。
文:高嶋 麻衣
絵:前田 真由美(innovation team dot)
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