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「私にしか見られない夢の話」 夏の始めの新年報

 29から30になる誕生日の晩、ステーキを焼いた。
少し前に、1200円のステーキ肉が半額で600円になっていたのを、咄嗟に買ってしまったものだ。まさかステーキとかけて、素敵な一年になるように買い込んだわけではなかったが、そんな事を考えるくらい私は「おじさん」になりつつある。笑えないと知りながら、口に出すのを止められないのは、老化による脳のストッパーの欠如のためらしい。駄洒落くらいなら可愛げがあるが、品だけは失いたくない。

加齢に関わる事で言えば、早かった時間の流れが更に早くなっている気もする。28から29になる年、同じように「夏の終わりの新年報」と題して文章を書いた。間違いなく過ぎ去った2年に対し、見合うだけの実感があるかといえばそうではない。不可逆な時間を、どんどんと私は下流に向かって流れている。後悔をするようなことはしていないから、これはこれで正しいだろう。少なくともステーキは、上手に焼けるようになった。

私にしか見られない夢の話
「夏の始めの新年報」 2022


 「丸くなるな、星になれ」。日頃滅多にテレビを見ないのに、これがサッポロビールのコマーシャルだと知っているのは恐らく、コピー自体が優秀でそして同時に、とても残酷だからだ。

社会は、星ではなく歪な球体を作る場所だ。否応のない様々な流れが、日々我々を摩耗する。
流れるのは”時間”であり、”人波”であり、”情”であり、”惰性”や”怠慢”だったりもする。逆らうには相当の努力が必要で、誰しもが持つ引け目や憧れを、コピーは勇敢に突く。そしてもう一つ、ビールなんて呑んで憧れているだけでは、到底辿り着けない現実を突きつける。外側は風船のように膨らんで社会の枠の中でぱんぱんなのに、内側の心だけが星形なのだ。鋭角な心が今にも、自分を内側から突き刺し破裂してしまいそうで、私はこのCMが流れるたびわくわくし、そして辛くなった。

 いつだって、私は星になりたかった。妻夫木聡が大人階段なんて登る前からずっと、ずっと星に憧れている。私だけではなく誰しもが、星になりたくてなりたくてたまらないだろう。もがいたり暴れたり、ついには諦めたり忘れたりしながら、多くは描いた星以外の何かになる。しっかりと泡立てたビールの泡のように社会は、たくさんのあぶくである個人の集まりによって膨らんでいく。鋭角は周囲の泡を割りかねないから、社会は星の出現を許容しない。
社会と心は、常に争っているのだと20代後半の五年間、ぼんやり考えた。そして、それを承知で今も、星に憧れる。あぶくの一つである事を私に求める社会は、しかし私の代わりには夢を見てくれない。私の夢は、私にしか見られないのだ。

 来月末、転職する。北海道の小さな会社に籍を置き、東京でデザイナーとして働くと決めた。聞こえはいいが、デザイナーなんて世界中に何万人もいて、星の数ほどのクリエイティブが日々生み出される。多分、職が変わった程度で、思い描いた星にはなれない。
だが、美大も専門学校も行ったことがなく、営業マンの経験しかない私にとってこの転職は、逃せば次いつ来るかわからない、歯を食いしばって開けるべき人生の扉だと思う。成り行きに任せて生き、いつのまにか見失った夢に向かう舵を、この先で握り直せるかもしれない。そう信じている。

 古く中国では、人生を色と四季に例えた。未来も見えず、視覚も覚束ない幼少を「玄冬」と呼び、青々とした芽吹きの「青春」、魂を燃やすように赤い「朱夏」、そして晩年期は燃え尽きて白い「白秋」へと続く。

2022年、夏は既に終わり、季節は秋に差し掛かる。だが私が魂を燃やすべき、暑い暑い人生の夏は今、まさに始まろうとしている。

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