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【カザフスタン🇰🇿での日々】  ベシュバルマック

「5本の指」を意味する肉料理ベシュバルマック。

カザフ民族にとって(そして隣国のキルギス人にとっても)、草原で遊牧生活を営んでいた時代から伝わる伝統の一品であり、来客や祝いの席では必ず振る舞われる至高の料理だ。

名前は、フォークやスプーンを使わず、手で食べることに由来する。

作り方や味付け、肉の茹で方は家庭によって異なる。
母から娘へ伝えられ、また改良される味が何代も先へと続いていくそうだ。

本記事では、個人的な体験に基づいて、ベシュバルマックをはじめてとするカザフスタンの料理について紹介します。




作り方

ベシュバルマックはシンプルな料理だと思う。

作り方は、
①小麦粉で生地を作り、乾かす。
②肉を塩茹でにする。添え物の玉ねぎやじゃがいもを茹でる
③茹で上がった肉を取り出す。
④肉の出汁と脂がたっぷり乗ったスープに、生地を入れる。
⑤程よく茹で上がったら、生地→肉→玉ねぎの順に皿に盛り付けて、完成。

という感じだ。
味付けは、肉の風味と塩のみ。

シンプルゆえに、肉の茹で加減や塩の加え方、さらには生地の捏ね方で、味わいに違いが生まれる。肉の歯応えや生地のコシ、さらには見た目のシズル感まで異なるのだから、本当に奥が深い。

用いられる肉は、馬もしくは羊。
現在はあまり気にされていないが、本来は、馬肉は冬のみに用い、通常は羊肉を使うそうだ。
個人的には歯がスッと入るほど柔らかな馬肉の方が好きだ。

なお、盛り付けの際、肉を切り分けるのは本来男性の仕事だ。
ナイフを使って手際よく捌いていく様子に、遊牧民としての誇りに湧き立つ血が感じられる。


伸ばした生地を乾かしているところ。透き通るほど薄く伸ばすが、コシは強い。
出汁のため先に茹でた馬肉。薄皮で丸く包まれて見えるのはシジュックという腸詰。
肉と生地を茹でる大鍋と取り分けた出汁で玉ねぎを茹でている小鍋
これから生地を入れる。出汁には脂が浮いている
いかに重ねず形を崩さず茹でるかが腕の見せ所だ
生地を茹でる
大皿に乗ったベシュバルマック。まあ、肉が多いこと。
食後に飲むソルパ。茹でた汁から灰汁を取ったもの。そのまま飲むか、クルト(脱水したサワークリームやヨーグルトをさらに乾燥させたもの。酸味と塩味が強い故に酒のつまみにもなる)を入れて飲む。コラーゲンたっぷりで、肉を食べ過ぎていても不思議と腹に染み込んでいく。


食卓に並ぶ料理

中央アジアで最もロシア化が進んだ国と言われるだけあって、カザフスタンの食卓には民族料理とロシア料理が混ざっている。

ただ、ボルシチやペリメーニ(水餃子)、カツレツといった料理が、客人を招いた会食に出されることはない。

ロシア等の西洋風の料理は食卓を彩る副菜として位置付けられ、メインディッシュにはやはりベシュバルマックやマントゥといった民族料理が選ばれる。

そう言えば、ウズベキスタンではメインディッシュとなるプロフが並ぶことも少ないかもしれない。
妻の親戚とレストランに行った際、注文を聞かれ、これはいい思い出になると思い、「ベシュバルマックとプロフを」と頼むと、「・・・お前、マジか」みたいな顔をされたことがある。
写真の通り量が半端ないのでお腹には米が入る余地はないのだ。

また、鶏肉も本来は家庭用食材であり、客人に出す肉ではない、という考え方もあるようだ。
客人には、やはり馬か羊を召してもらうのが作法なのだろう。

羊肉で作ったベシュバルマック。独特の臭みはほぼ感じられない。
プロフに乗ったローストチキン。さらには、パンとイクラや揚げたナスにトマトとチーズのカナッペなどが食卓を彩る。
蒸したジャガイモはポテトサラダだけでなく、ローストチキンやベシュバルマックの添え物として重宝される。甘くて美味しい。
たらふく食べても、食後のお菓子とお茶は欠かせない
生地に肉を詰めて蒸籠で蒸すマントゥ(饅頭)
ディルをたっぷり乗せると香りが引き立つ
会食時に欠かせないボルサッキ(揚げパン)。ほんのり甘いが、バターやジャム、蜂蜜やスメタナ(サワークリーム)を塗って食べる。


ちなみに、カザフ人やキルギス人との食事する際、食べるペースには十分気をつけたほうが良い。
美味しいからといってバクバク食べ、皿を空けてしまうと、「もっと食べろ」とおかわりを勧められる。客人や年が若い人に食事を勧めるのも作法の一つであり、異口同音に「食べろ」「食べなさい」と言われる。
空気を読みつつ、周りの食べ方に注意を払うのも処世術として重要だ。

さらに、食卓にたくさんの料理が並ぶのでこれで終わりかと油断していると、別のメインディッシュが時間差で出されることもあるのだ。(往々にしてベシュバルマックが出てくる)

こんなことを書きながら、私は周りが喜ぶからとついバクバク食べ、次から次へと取り分けられる肉料理でお腹が破裂しそうになり、毎回同じ失敗を繰り返している。


シャマルガン村で見た放牧

妻の親戚の1人は、アルマトゥ郊外の町・シャマルガンに住んでいる。

ソ連時代にはゴルバチョフの後継者とまで言われ、ソ連崩壊に伴う独立後は約29年に渡ってカザフスタンの国家元首であり続けた、初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフが生まれた町である。

退屈なほど何もない郊外の村だが、そこで見た光景はおそらく遊牧時代から変わらないであろう、自由な馬の放牧だった。

柵もない牧草地で草を喰む馬たちを見て、子ども達は感動していた。
この馬達がベシュバルマックの肉になることは伝えなかった。

春から秋にかけては天然の牧草を喰み、寒さと雪に覆われる冬は乾草を喰む。妻の話では、昔ながらの育て方をしているなら、化学飼料は与える必要がないそうだ。
とても手前勝手な感想だけど、こうして育てられた馬は屠られたとしても生を全うしたと言えるのではないだろうか。
良い馬を持ち、育て、民族の糧にしていくことが遊牧民の存在証明なのだから。

馬に触れようと果敢に向かう娘たち。
牧場に囲いはない。牧草のあるところ、どこにでも馬は行く。
小高い丘陵地帯に放牧される馬たち
牛もいた


親戚の家での失敗

カザフ人は血の繋がりを大切にする。たとえ滞在期間が数日であっても、親戚に連絡も寄越さず、会わないなど言語道断なのだ。ましてや数ヶ月も滞在するなら豈に会わんやである。

シャマルガン村に滞在中、新しく子どもが生まれた親戚の家を訪れた。カザフスタンでは出生後40日の間は赤子を他人に見せない慣習がある。邪気が寄り憑かず健康に育つための習わしで、40日経つ頃に初めて親戚を呼びお祝いをする。日本でいうお宮参りやお食い初めに近いのかもしれない。その祝いに呼ばれたのだ。

家に着くと既にダイニングの食卓には料理が並べられていた。メインディッシュは羊肉のスペアリブ。椅子に腰掛けるや否や、主人から山盛りの骨付き肉を取り分けた皿を渡された。

骨付きの羊肉を食べるのは人生で初めてだったかも

脂が乗ってとても美味しい。舌鼓を打っていると遅れて他の親戚が次々とやってくる。

こちらは御馳走で腹一杯になり、食後のクッキーとコーラで口直しをしているところ。爪楊枝に手を伸ばしながら、席を譲った方がいいのかなと考えていると、

「Toshio、何をしているんだ。奥に来い」

と声が掛かった。・・・奥?生まれた赤ちゃんが寝ているんじゃなかったっけ?と思い、腰を上げて奥の部屋に向かうと廊下の先に、大きなリビングがあった。

リビングにはL字型にテーブルが置かれ、20脚以上の椅子が並んでいるではないか!そして、テーブルの上には先ほどダイニングにあった以上の料理が準備されていた。


「Toshio、さあ座って。パーティーはこれからだぞ!」

なんと羊肉のスペアリブは前菜に過ぎなかったのだ。
席に着いてしばらくすると、大皿に山盛りになったカザフ民族の伝統料理にして誇りであるベシュ・バルマックが運ばれてきた。

当たり前のように、私の皿にはまた山盛りの肉が取り分けられた。

私の胃に肉はおろかクッキー一枚も入る余地はない。
しかし、祝いの席はこれからが本番。盛り付けられた食事を断るなど、できるはずがない。
これまでも同じ過ちをしてきたにも関わらず、珍しさに目が眩み、羊肉をついバクバクと食べてしまった。

しかし、もはや後の祭り。腹を括るしかない。

経験から学ばない自分にトホホと呆れながら、勧められるままにベシュ・バルマックを食べた。食後に、茶碗一杯のソルパを呷ったのは言うまでも無い。

馬肉で山盛りのベシュバルマック。生地に麺を使う場合はフォークで食べる。


これだけ食べても、次の日にお腹を壊さないのはどうしてだろうか。
妻の家族曰く、「食後にお茶を飲むから」だそうだ。

食後のお茶(紅茶もしくは緑茶)も、3杯はおかわりするのが作法だと義父から聞いた。義父に倣い、今でもどれだけお腹がいっぱいになっても、3杯以上飲むようにしている。

郷に行っては郷に従え。
私のお腹もだいぶカザフスタンの料理と作法に慣れてきたのだろう。


レストランで食べるなら

最後に、レストランを一つ紹介したい。
ガイドブックにも掲載されている、NAVATだ。

ベシュバルマックだけでなく、カザフスタンや周辺諸国の伝統料理は軒並み食べることができる。
さらに、店内のインテリアは凝っており、エスニックな絨毯や伝統工芸品が飾られているため、趣がある。

アルマトゥにもアスタナにも店舗があるため、旅行者にも立ち寄りやすいだろう。


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