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追悼 坂本龍一さん:教授から教えてもらったもの

2023年4月2日。
聞きたくなかったニュースが突然舞い込んできました。

坂本龍一さんの訃報。
既に3月28日には亡くなっていたとのこと。

今年1月、高橋幸宏さんの訃報を受け、寂しさと喪失感の只中の訃報。
なんとか頑張ってほしかったのですが、その気持ちも叶わず、教授も幸宏さんの待つ空へ旅立ってしまいました。

癌との闘いを続ける中で、お正月にラジオのスペシャル番組でその声を聞くことができました。
しかし、その声は弱々しく、明らかに辛そうでした。
「もう2時間ほどのライブをこなすほどの体力がない。先日の映像(NHKのスタジオで収録され、配信されたピアノコンサート)も、何日もかけて演奏したものを収録した」と語っていました。

今年は一時代を築いたミュージシャンの訃報が続きます。
記事にも書いたジェフ・ベックの他にも、幸宏さんとも繋がりが深いシーナ・アンド・ザ・ロケッツの鮎川誠さん、そしてムーンライダースの岡田徹さん。

偉大な方々の訃報が次々と入る中、教授の訃報はNHKのニュースで知りました。
流石にしばらく動けなかった。幸宏さんの時と同じく、教授の曲「Ballet Mecanique」をずっと聞いていました。

僕には、はじめと終わりがあるんだ
こうして、長い間空を見てる

坂本龍一「Ballet Mecanique」より

今回は、坂本龍一さんの思い出について語っていきたいと思います。

YMO再生と「HeartBeat」

90年代、既に教授は様々なメディアに登場し、私でもその名を知っていました。
イメージとしては、アカデミー賞を獲るぐらい世界的に活躍する音楽家。

ちなみに「教授」というあだ名の由来について、1995年にNHK Eテレで放送された「土曜ソリトンside B 坂本龍一スペシャル」にてこのように語っています。

(司会の高野寛さんを指して)君の兄貴分の高橋幸宏さんがつけたんだよ。
僕はアカデミックなところでは反アカデミックな存在で、音楽業界のようなアカデミックではない所ではとてもアカデミックに見えちゃうので、教授と付けられたんですね。

土曜ソリトンside B「坂本龍一スペシャル」より

高校の頃から学生運動に参加し、東京藝術大学を卒業後はポップスの道へ。
当時新進気鋭のミュージシャンとセッションを重ねるという、藝大卒のピアニストとしては反アカデミックな活動。しかしその姿にはアカデミックさがにじみ出ていたのでしょう。

映画音楽で世界中の注目を集めた教授。
たまにCMにも出演し、教授が手掛けたポップスがテレビから流れてくるときもありました。

印象的なのは「Triste」という曲。
なんとも軽快なグルーヴとピアノ、フランス語のラップが印象に残り、ずっと頭の片隅にありました。

教授を本格的に追い始めたのは、高橋幸宏さんの記事にも書いたYMO再生だと思います。
そこでYMOの存在を知りました。

当時10代だった私は、NHKで放送された「TECHNODON LIVE」の模様を録画して何度も見ました。
東京ドームという大きなステージ全体をスクリーンにして、曲に合わせた映像が次々と投影される。
今までに見たことがないライブステージに興奮しました。

特に印象に残ったのが、アンコールで演奏された「東風」。
オリエンタルなメロディに洗練されたサウンド。そして3人のステージングが本当にカッコよかった。いまでも聞くとワクワクします。

それがきっかけで、デビューから散開までの音源も聞くようになりました。
YMO再生は3人にとってあまりいい印象ではなかったそうですが、当時10代だった私にとっては心に深く刺さる出来事だったのです。

興味の先は教授のソロワークスへ。
前述の「Triste」は1991年に発表されたアルバム「HeartBeat」に収録された曲でした。
当時流行りのハウスのビートに乗り、洗練されたメロディとハーモニーを聞かせてくれる「HeartBeat」に始まり、テイ・トウワを擁するディーライトが参加した「Rap the World」、おしゃれなスウィング「Lulu」、教授自らボーカルを務める「High Tide」、「Sayonara」。
強いビートとグルーヴで体が動いてしまう「BoromGal」や、アフリカ民族の声がサンプリングされた「Tainai Kaiki」。
1枚で様々なジャンルの曲を聞かせてくれる。今聞いても色褪せないですし、好きなアルバムです。

GEISHA GIRLSで「世界のサカモト」が日本のお茶の間へ

ちょうどその頃、NewYork在住の教授がファンだったという、ダウンタウンの番組「ガキの使いやあらへんで」の収録を観覧したことから二人との交流が始まります。

当時のガキ使はオープニングにミニコーナーがあり、その後は観客を入れたホールで二人だけのトークを見せる、という番組でした。
トークパートを観覧した教授は、その後楽屋にも挨拶に行ったのだとか。
前述の「土曜ソリトンside B」でその時のことを話してくれました。
浜ちゃんは社交的な人ですぐに打ち解けたのですが、松ちゃんとはなかなか打ち解けられず、お互い5分ぐらい沈黙があったそうです。
「会わなければよかった…」と後悔したのだとか。

しかし、その次の週のトークで急に松ちゃんが「世界のサカモトに曲を書かすんですよ!」と、教授プロデュースのアイデアを話し始めました。
「坂本龍一プロデュース、ゲイシャガール!」と松ちゃんはハッキリと語り、浜ちゃんがいつも通りツッコむ。
この回はリアルタイムで見ていました。今でもハッキリと覚えています。

しかし、なんと番組の企画として教授にオファーをしたところ、教授が快諾。
ダウンタウンの二人がNYへ飛び、レコーディングが始まりました。

ダウンタウン側には、二人の同級生である構成作家の高須光聖さんが同行。
教授側にはテイ・トウワさんの姿も。

曲はトラックに合わせてダウンタウンの誘拐ネタの漫才をハイテンションで披露する「Grandma Is Still Alive」、大阪弁丸出しのラップ「Kick & Loud」。
ラップには高須さんも含めた3人の同級生も登場。(森オッサン、のところ)
後日、ダウンタウンのごっつええ感じで尼崎を訪れたところ、街中で曲に登場した森岡さんの妹さんと遭遇。その時のエピソードを話していました。

レコーディングはちょうど教授のアルバム「Sweet Revenge」を製作していたころ。
番組にはアルバムに参加した今井美樹さんも姿を現す場面もありました。

この出来事は、当時の私にとっても、そして世間にとっても大きな出来事でした。
この事がきっかけとなり、バラエティ番組にも登場するようになっていきます。

アカデミー賞やグラミー賞を獲るぐらいだから、きっとすごい音楽家なんだろうなぁ、という当初のイメージは完全に覆され、コントにも出てくれるお茶目な部分も見せてくれました。

こんな反アカデミックな面もある教授ですが、その後は社会活動にも積極的に参加し、最近ではアカデミックなイメージの方が大きいかもしれません。でも、私の世代ではやっぱりダウンタウンと漫才をしたり、コントに出てみたりといったバラエティ番組でのイメージの方が強いんじゃないでしょうか。

インターネットの可能性を教えてくれた

教授の音楽活動といえば、真っ先に思い浮かぶのが映画音楽でしょう。
「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」「シェルタリングスカイ」など。

私の入り口は、前述の通りバンド編成のポップスから。
しかし、それをきっかけに教授が手掛けるオーケストラの音楽や、トリオ編成の曲などにも触れるようになりました。

印象に残っているのは、1997年に開催された「PLAYING THE ORCHESTRA 1997 "f"」。
佐渡裕さん指揮のオーケストラと教授のピアノでのステージ。
このコンサートのために書き下ろされた交響曲と、バルセロナ五輪の開会式のために手掛けた「El Mar Mediterrani」「戦メリ」などお馴染みの映画のテーマソングやトリオ編成の「1919」などが演奏されました。

しかしこのオーケストラコンサート、もうひとつ大きな意味がありました。
それは、コンサートの模様をインターネットで生中継する、というもの。

インターネットは1995年に急速に普及し始めました。
元々は研究機関や大学を中心に発展していったものですが、パソコンが各家庭に普及すると瞬く間に広がり、「Windows95」の登場でそれが決定的になりました。

教授はインターネットに昔から関心があり、1995年のライブ「D&L」で初めてインターネット生中継に挑戦。
私はその時、会場である武道館の客席にいて、その歴史的な一夜に立ち会いました。
当然そのライブを実際に見ていたので、PCの画面上でどのような映像が流れたのかはわかりませんが…。

そして今回のライブもインターネットの生中継に挑戦。
1996年に我が家にもパソコンがやってきたので、その中継を見ることができました。

コンサートに合わせて特設サイトも登場。
当日は、生中継用のサイトにアクセスし、「f」のキーを連打することにより会場のスクリーンに無数の「f」が表示されるという、「バーチャル拍手システム」もトライされました。

コンサートが始まると、ほんの小さなウィンドウにコンサート会場が映った時の感動!
しかし回線が遅いせいか、スムーズに動いてくれません。
仕方なく、同時に配信されていた音声オンリーの中継に切り替えました。

今でこそ当たり前になり、コロナ禍でのエンターテインメントの救世主となったインターネットライブ配信ですが、まるで会場にいるかのようなスムーズな映像と迫力の音声は、高速なインターネット回線が普及したからこそなせる技。

当時のインターネット回線は、電話線を使用した「ダイヤルアップ接続」。
「モデム」を使って、プロバイダというインターネット接続会社が用意した「アクセスポイント」に電話をかけるのです。
ピー、ガラガラガラ、ザーというネゴシエーション音が流れ、ようやく繋がったと思っても、ホームページの文字や画像が完全に表示されるまで数分かかるような速度。
当時の通信速度は約28kbps。
今や4G通信でも1Gbpsですから、それに比べると途方に暮れるような速度しか出ませんでした。

当時のインターネット接続を体験したことがある方は大きく頷いているかもしれませんが…とにかくインターネットストリーミング動画を見るなんて夢のまた夢のような時代だったのです。
しかも、接続している最中はずっと電話をかけ続けていることになりますから、その間電話は使えませんし、電話代もかかります。(アクセスポイントが同じ局番内にあれば、市内料金なので3分10円ほど)
当然、親に怒られましたよね…。

でも、教授の活動を通して、インターネットの可能性を教えてもらいました。
なにより、当時としては新しい技術やメディアですから、新しいモノに触れている、体感しているというワクワク感は今でも覚えています。
「インターネット老人会」なんていう言葉もありますが、インターネットという新しいメディアが世に受け入れられてから、なくてはならないものへと進化する過程を見る事ができたのは、本当にラッキーでした。

しかも、教授の実験的な活動を通して、いち早くインターネットの可能性を見せてくれたことも本当に大きかった。感謝しかありませんね。

語りつくせぬ思い出

このように、教授は常に新しい分野に目を向け、探求し、それをカタチにしてくれました。
中でもミュージシャンとして「音」への探求を続けてこられた。

90年代から教授のソロワークスを追い始めてから、新しいアルバムが出るたびに期待して聴いていたのですが、ちょっと難解すぎてわからない部分もあった。
音楽の構成音として「ノイズ」にスポットを当てた作品もありましたが、コンセプトは理解できるのですが、私にはあまり響いてきませんでした。

やはりロックやポップスを聴いて育ってきているので、私の中でのハイライトは90年代、ポップスに分類されるであろう作品。
この頃本当に好きで聴いていたので、やはり深く印象に残っていますね。

ちょうど、「Gut」というレーベルを立ち上げて活動されていた時期。
J-Waveのラジオも聞いていました。デモテープのコーナーで教授に認められてレーベルデビューした前田和彦さんの「Epitone」好きでしたね。よく聞いていました。

そういった意味では、2000年代から始まるYMO再結成の流れもよかった。
3人並んで演奏する姿を再び見る事ができたことが嬉しかったし、何より仲よく楽しそうにしている姿に安堵しました。
作り出されるサウンドも、93年の「再生」や初期のものとは違う、いい意味でシンプルだけれども奥が深い。歳を重ねたからこそ表現できる、その時でしか作り出せないサウンドを聴くことができました。たまらなくカッコよかった。

…と、語り出すとキリがありません。
それだけ私の中では大きな存在でしたし、世界中の音楽界にとっても偉大な存在でした。

昨年末、NHKのスタジオで収録されたピアノコンサートも見る事ができませんでしたし、教授の新作「12」も実はまだ聞いていません。
時間が出来たら…と思っていた中での急な話でしたから、これから時間をかけてじっくり堪能しようと思います。
また、これから追悼番組や特集が多く組まれると思いますから、そこで当時を振り返って楽しもうと思っています。
それ以上に、今までの教授の足跡を振り返ることで、新しく知ることや学ぶことも多いはずです。

高橋幸宏さんと坂本龍一さん。
この二人が旅立たれたのは私の中では本当に大きな損失です。
でもこの機会に、若かった頃にできなかったことも含めて、いろんな視点から二人の足跡を振り返り、言葉にしていきたい。

そして、細野晴臣さん。
我々ファン以上に胸を痛めていらっしゃることと思いますし、今一番寂しいはず。
二人の活動を振り返るという事は、細野さんの活動を振り返る事でもありますし、当時活躍されたミュージシャンたちの足跡を振り返る事でもあります。
細野さんには、お二人の分も長くご自分の活動を続けてほしい。

最後に、坂本龍一さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
教授、本当にありがとうございました。 

※タイトル画像は、私の好きなアルバム「HeartBeat」と「SMOOCHY」のジャケットを使用させていただきました。

2枚ともサブスクで聴くことができます。
SMOOCHYは特に印象深いアルバム。
1995年のツアー「D&L」も思い出深いライブ。
いずれ振り返り記事を書いてみようと思っています。

【お知らせ】
私の好きな音楽を語った記事を集めたマガジンを作りました。
まだ記事数は少ないですが、今後も好きな音楽を中心に語りたいと思っています。
先日お亡くなりになられた、高橋幸宏さんの追悼記事も書いていますので、あわせて読んでいただけると嬉しいです。


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