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なぜ、アポロは月に着陸できたのに、HAKUTO-Rはできなかったのか?を学んでみた

2023年4月25日
テレビのニュースを見ていると、翌未明に日本の民間企業が開発した探査船が月に着陸するという話題に。
お恥ずかしながら、この計画を知ったのはこの時が初めてでした。

民間企業「ispace」が開発した月探査船「HAKUTO-R」。

昨年12月にアメリカのSpaceXのロケットを使って打ち上げられ、数か月という長旅を経て月の軌道へ。
いよいよ、長い旅のクライマックス。月への軟着陸を目指します。

「月への旅」とは、人類史上長く続くロマンの旅。
1960年代~70年代初頭にかけて行われたミッションで、人類初の月面着陸を成し遂げたアポロ計画。
それ以前に繰り広げられていた、米ソの宇宙開発競争。
数々のドキュメンタリーやドラマを見ながら、そのロマンの旅に魅了されてきました。

長い年月を経て、日本の民間企業が月面着陸へチャレンジする。
その様子をライブで見たい気持ちを抑え、その日は眠りにつきました。

しかし、起きてみると予想外の展開。
残念ながら、月探査船の着陸は成功とはいきませんでした。

ここで少し嫌な不安が頭をよぎります。
先日行われた、H3ロケットの発射実験。
1回目の打ち上げは直前に不具合が見つかって中止。

この時、打ち上げ「中止」か「失敗」かで議論が巻き起こりました。
記者会見でのある記者の一言が無粋だったという話はともかく、多くの人の感覚として「0か100か」「成功か失敗か」の2面だけで見てしまう風潮に、なんとも違和感を覚えました。

それでも、多くの人が「がんばれ!」「次に期待しています!」という声を上げてくれた。
その声に後押しされて、すぐに次の打ち上げに臨んだH3ロケット。

種子島の発射台から勢いよくロケットは打ちあがりましたが、宇宙空間でのロケット切り離しに不具合が生じ、結局ミッションは失敗。
1回目の打ち上げ中止から風潮が変わったのか、今度はJAXAを責める人はいませんでした。

そんな出来事があったすぐ後の月着陸失敗。
世論はまた大きく揺れるのではないか、と心配していました。

翌朝、ispaceの記者会見。
報道陣の前に姿を現した代表の3名は、落胆の色なく、すがすがしい笑顔でした。
途中、技術解説をなさっていた氏家さんが涙ながらにスタッフを労う姿も。

なぜ、彼らは失敗したのに笑顔だったのか?
そして、僕らが生まれてくるずっとずっと前にアポロ11号が月に着陸できたのに、なぜHAKUTO-Rは着陸できなかったのか?

ちょっと時間が経ってしまいましたが、今回の月探査ミッションについて学んでみました。

HAKUTO-Rのミッション

「HAKUTO-R」とは、民間企業「ispace」が開発、制作した月探査船。

同社はかつて、「Google Lunar X Prize」という、無人探査機で誰が最初に月面に到達できるかを競うレースに参加。
最終フェーズに残った、世界の5社のうちの1社でした。
この件はニュースでもたびたび取り上げられましたが、その後は全く話が途絶えていました。

調べたところ、計画は期限である2018年3月31日までにどのチームも探査機打ち上げにこぎつけることができず、コンテストも終了してしまったとのことでした。

しかし、プロジェクトは月へ到達する競争から、民間初の月面着陸へ。
「Reboot」の意味を込めた「R」を冠した「HAKUTO-R」で難しいプロジェクトに挑みます。

今回の挑戦は「ミッション1」。
月探査船を開発、製造して打ち上げ、月への軌道に乗せる。
そして、月の表面へ着陸させる。

探査船の表面には太陽光パネルが取り付けられているので、着陸後は探査船を拠点として月面探査ローバー1台、月面ロボット1台を降ろして調査にあたります。

月面探査ローバーとは、4輪を持つ小型の月面探査車。
今回月面に持ち込まれるのは、UAEの政府宇宙機関が開発した探査車「ラシッド」。
月面を自動運転で自走し、映像を地球へ送る計画です。

そしてもう一つは月面ロボット「SORA-Q」。
JAXAや玩具メーカーのタカラトミーなどが協賛し開発した、円形の変形型月面ロボットです。

最初はただの丸い物体。
しかしこれが、まるでドラえもんの道具のように球体のボディーが二つに分かれ、中からカメラが。
二つに分かれた半円を巧みに転がしながら、月面を進む構造です。

2基の全自動小型探査機器や、日本特殊陶業が開発した全個体電池などを載せ、2022年12月、SpaceX社のファルコン9ロケットに乗せられて宇宙へ旅立ちます。

ロケット打ち上げは成功。
早速宇宙空間で機体が切り離され、燃料を節約しながら時間をかけて月へと近づきました。

2023年3月。HAKUTO-Rは月周回軌道へ。
着陸目的地に近づくのを待って、着陸へのミッションが始まります。

2023年4月26日未明。
いよいよ、HAKUTO-Rの月面着陸が始まりました。

月起動から離れ、逆噴射を使いながら着陸へ姿勢を整え、月面に垂直にゆっくりと降下する。
当然、その姿を映像として見る事は出来ないので、HAKUTO-Rから送られてくるテレメトリーのデータをスタッフが緊張の面持ちで見守ります。

しかし、到着予定時刻になっても、HAKUTO-Rが着陸したというデータが返ってこない。

スタッフが様々確認するも、HAKUTO-Rとの通信が完全に切れてしまい、その後を追う事が難しい状況となりました。

その後の調査の結果、HAKUTO-Rは着陸途中で燃料が切れ、月面へハードランディング、つまり激突したのではないか、との結果でした。

HAKUTO-Rと月面との距離をセンサーを使って計算しながら降下していくのですが、その値がマイナスになったという事から、その計算にエラーがあったのではないか、とのこと。

計算では既に着陸しているのに、実際はまだ月面から離れていた。
それでも降下を続けるうち、燃料が底を尽きてしまった、という事のようです。

何故こんなことが起きてしまったのか、というのは今後の調査で明らかになると思いますが、あと一歩、というところで悔しい結果となってしまいました。

でも、ポルノグラフィティの歌のように、HAKUTO-Rのミッションに関わった多くの人が、アポロ11号の月面着陸を知らずに生まれてきた世代。
1969年に有人月着陸を成功させているのに、何故今回は上手くいかなかったのでしょう?

それを知るために、かつての月面探査の歴史を、簡単ですが振り返ってみましょう。

月面探査の歴史

月面探査の発端は、1950年代後半から始まった米ソ宇宙開発競争にあります。

1957年、ソ連のR-7ロケットに人口衛星「スプートニク1号」を乗せ、人類で初めて地球の軌道上に人工衛星を送り込むことに成功します。

当時、アメリカとソ連は冷戦の真っ只中にあり、両国が同時に宇宙開発を行なっていました。
宇宙開発を行う事で科学技術の進歩を促した、と言えると思いますが、実際は軍事兵器開発の延長線上宇宙開発があったとも言えます。

第2次世界大戦中、ドイツのヴェルナー・フォン・ブラウン博士とそのスタッフ達により、「V2ロケット」が開発されました。
その飛行距離はずば抜けており、イギリスを中心にヨーロッパ諸国を震撼させます。

しかし、戦況の変化によりドイツが劣勢になると、ブラウン博士はロケット開発の進展を求め、膨大なV2ロケットの資料と多くの技術者と共にアメリカへ亡命。
アメリカ軍の元、宇宙開発を担うことになります。

ロケット開発の中心人物ブラウン博士と優秀な技術者を得て、アメリカ宇宙開発は進展していきますが、人工衛星打ち上げをソ連に先を越されてしまいました。

それもそのはず。ソ連にも優秀なロケット開発者がいたのです。
その名も、セルゲイ・コロリョフ。

コロリョフはV2ロケットに匹敵する大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発。
それを応用する形でソ連も宇宙開発に乗り出します。

そして、ICBMとして開発されたR-7ロケットを使ってスプートニク1号を地球を回る軌道へ送りこむという偉業を成し遂げます。

しかし、コロリョフの名前が世界に出る事はありませんでした。
ソ連の当局がその存在を明かさなかったからです。

その後、人工衛星を宇宙に送り出すミッションはアメリカも成功。
米ソ両国の次の目標として、有人宇宙飛行計画と同時に、月探査の計画にも乗り出します。

まずは無人探査機を月に送り込み、成功の後に有人探査へ挑む計画。
月面着陸に最初に成功したのは、またしてもソ連でした。

1959年、ルナ計画の先鋒となる「ルナ1号」を打ち上げ、月の軌道に乗せる事に成功。
本当は月へ探査機を衝突させる計画だったそうですが、それが失敗してそのまま飛行したため、偶然にも月軌道を周回する初の人工衛星となりました。

その後、「ルナ2号」が月面に到達。初めて月面へ物体を到達させました。
着陸、というよりは衝突させた形でしたが。

ルナ計画はその後も続き、3号では「月の裏側」の撮影に成功。
9号では、衝突ではなく月面への軟着陸を成功させています。
正に今回、HAKUTO-Rが目指していた形を最初に実現させたのもソ連でした。

その後、ソ連は有人宇宙船ボストークを開発。
選抜された宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンを始めて宇宙に送り出し、帰還させました。
彼の「地球は青かった」という言葉は有名ですね。

しかし、1966年にコロリョフが死去。
ブラウン博士は、その時初めてライバルの存在を知ることになりました。

ソ連の宇宙開発はその後失速。
有人月探査の計画もあったそうですが、次世代のロケット開発が上手くいかず、月面への有人探査は夢と終わりました。

盛り返したのはアメリカ。
月面有人探査を目標に掲げた、有名な「アポロ計画」を発表。

ジョン・F・ケネディ大統領がスピーチで放った「We choose to go to the moon(一部抜粋)」は有名な言葉です。
ソユーズロケットで宇宙へ行った前澤氏が、自身の計画でこの言葉を引用したのがステキでしたね。

アメリカはマーキュリー計画で宇宙飛行士を宇宙へ送り込み、ジェミニ計画で船外活動を行うなど様々な実験を重ねていました。

月着陸船を宇宙空間へ送り込んだサターンロケットも、ブラウン博士が開発したもの。
今までのロケットよりもはるかに大きなものでした。

数々の失敗もありましたが、1969年のアポロ11号が無事月面に到達。
人類で初めて月に降り立ったアームストロング船長は「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という言葉を残しました。

実はアポロ計画はそれで終わりではなく、その後も月着陸に成功し続け、探査を続けました。
実際に着陸したのはアポロ11、12号と14~17号。
月で様々な探査を行い、数々のサンプルを持ち帰りました。

アポロ13号は映画にもなった有名なエピソードですね。
月に向かう途中に機械船が爆発事故を起こし、月面着陸を断念。
指令室と船内のクルーとの懸命の努力の末、月の軌道を回って無事に帰還したのでした。

アポロ計画は1970年代まで続きましたが、予算の見直しから計画が終了。
その後の宇宙開発はスペースシャトルの登場や、宇宙ステーションの開発など、人類が宇宙で生活する上での様々な研究、実験を行う計画にシフトしていきます。
そこで得られたデータや知見が、我々の生活へも多く応用されているのです。

そして、ソ連崩壊後も優秀なロケット「R-7」は今も健在。
スペースシャトルの計画が終わり、SpaceX社がロケットを開発、実用化した間も、ロシア側から宇宙ステーションへ飛行士を運んでいます。

そして月探査といえば、2000年代以降に中国が月探査に着手。
様々な挑戦を経て、2019年に月探査船「嫦娥(じょうが)4号」が月の裏側へ到達。

月は自転と公転が同期しているため、地球上から見える月の姿は表面だけ。
その裏側への着陸はソ連もアメリカも成し遂げられませんでしたが、中国の探査船が快挙を成し遂げたのです。

アポロ計画とispaceとの違い

今まで月への着陸は、ソ連、アメリカ、中国と達成してきましたが、どれも国家主導の一大プロジェクトでした。

調べてみて驚いたのが、ロケットを打ち上げるスパンの短さ。
次々とロケットを打ち上げていたところを見ると、相当な予算がついていたのでしょう。

対してHAKUTO-Rのプロジェクトは民間が行なっていますので、企業の協賛や投資家からの出資、株式の公開などで資金を得ています。
恐らく国家プロジェクトに比べると、予算も少ないはずです。

また、過去のどのプロジェクトも、月到達までにはいくつものプロセスを踏み、少しずつ目標に到達しながら月面着陸を成し遂げました。

アポロ計画を例に取ってみると、まずロケットに無人の宇宙船を乗せて打ち上げ、宇宙船を大気圏に突入させて帰って来させること。

それができたら、地球の軌道を何周も周回させ、宇宙空間に長期とどまれるかをテスト。

そして3人の宇宙飛行士が搭乗し、地球の軌道、そして月軌道を周回。
ここまで計画を成功させ、ようやく月への着陸を成し遂げました。

HAKUTO-Rの今回のミッションは、それに比べるといわば「ぶっつけ本番」。
目標は月への着陸とし、その間のミッションをどれだけ達成できるかが課題となりました。

まず月探査船をロケットに搭載し、宇宙へ打ち上げる事ができるか?
これが成功してsuccess1。
続いてロケットを打ち上げ、探査船を切り離すまで達成してsuccess2。
宇宙空間で安定した飛行ができてsuccess3。
地球周回軌道に投入してsuccess4。
このようにひとつひとつを達成していき、最終的に月着陸が成功すればsuccess9です。

HAKUTO-Rミッションの詳細。
ispace社のHPより。

個々のミッションへのチャンスは1度しかなく、その状況でどこまで成功するかを見守りながらの月への旅でした。
しかも、その全てが全自動で動くように設計されています。

全てが全自動の機体で、ぶっつけ本番のミッションに挑む。
ひょっとしたら、宇宙を漂う中で通信が途絶え、制御を失ったHAKUTO-Rは宇宙の藻屑と消えてしまったかもしれない。
数々のリスクがある中、1発で着陸目前(success8)までミッションを成功させたのですから、かなりの大きな成果を得ることができたのです。

ユニークだったのが、月へ向かう最中に一度地球を大きく離れ、「深宇宙」を大回りして月軌道に乗せたこと。
月への軌道に乗せるのに1カ月もの期間を要しました。

これは、限られた燃料の中で最小のパワーで月へ到達するために取られた方法なのだとか。
その結果、民間が制作した宇宙探査機の中で最も地球を離れた機体になったそうです。

HAKUTO-Rの次のミッション

残念ながら月着陸を成し遂げる事ができなかったHAKUTO-R。
次回のミッションは既に決まっています。

2024年にさらなる月探査を行う「ミッション2」が計画されているのです。

ミッション1の結果を受け、計画が変更される可能性はありますが、さらなる月探査に向けて小型の探査船を積み込んで調査を行うほか、電解装置を持ち込み、水を原料に水素と酸素を生成できるか、といった実験も行われるそうです。

ソ連のルナ計画やアメリカのアポロ計画、中国の嫦娥(じょうが)計画も数々の失敗を経験し、最終的に月面着陸に成功しました。
特にアポロ計画は有人探査が目標だったため、クルーの死亡事故という苦い経験もしました。

それに比べて、HAKUTO-Rは初めての挑戦。しかもぶっつけ本番で月面着陸に挑んだのです。

失敗は成功の準備運動。
ミッション1で得たデータを元に、ミッション2では民間が開発した宇宙船での初の月面着陸が成功することを祈っています。

今回学んだオススメの資料

HAKUTO-Rのミッションについては、ispaceの公式サイトやウィキで調べました。
また、タイトル画像もこちらのサイトから使用させていただきました。

過去の計画と違い、かなり詳しく解説してくれていて驚きました。
サポーターズクラブもあるそうです。

ソ連とアメリカの宇宙開発競争については、かつて夢中になって観たドラマがありました。
「宇宙へ~冷戦と二人の天才~」

日本ではNHKで放映されました。
ブラウン博士とコロリョフ博士について、かなり詳細に描かれています。

ルナ計画の詳細については触れられていなかったようですが、イギリスのBBCが制作したドラマのため、どちらかというとアメリカ寄りの作り方をしているような気もします。

でも、ドラマなので知識がスーッと入ってきます。
非常にオススメ。
一部のサブスクサービスでもご覧いただけるようです。


アポロ計画について詳細な資料としてはこちらがオススメ。
「FROM THE EARTH TO THE MOON」
邦題は「フロム・ジ・アース 人類、月に立つ」。
NHK BSで放送されました。

こちらもドラマです。
映画「アポロ13」で主役を務めたトム・ハンクスが製作総指揮。司会としても出演。
アポロ計画をミッションごとにドラマで再現しています。

アポロ1号の悲劇から11号の月面着陸成功まで。
それだけではなく、13号の事故をニュースキャスターという「伝える立場」から表現するなど、ドラマならではの描き方となっています。

印象に残っているのは、アポロ15号のミッション。
クルー二人が地質学者と共に、地質学の訓練を受けます。
「その目に入ってきたものをそのまま言葉にしろ!」
そのためには、地質学の知識が必要になります。

実際に研究用地に赴き、地形や岩石の種類など、見たものをそのまま言葉にする。
その訓練が実を結び、月面でも同じように状況をレポート。サンプルも持ち帰ることができたのです。


映画では、マーキュリー計画を描いた「ライト・スタッフ」がオススメでしょうか。テーマソングは一度は耳にしたことがあるはず。

アポロ13はかなりヒットした映画ですが、若い方は見たことがないかもしれませんのでご紹介。
トム・ハンクスのヒット作のひとつですね。
かなり詳細に描かれているので、手に汗握る作品です。
恐らく多くのサブスクサービスでご覧いただけるかと思います。

映画やドラマをオススメするのなら、GW前に記事を書くべきでしたね…。
でも、いずれも名作なので、興味のある方は時間のある時にゆっくりご覧になってくださいね。

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