【読了】誰もが語ろうとしている
喫緊に考えるべきことが少なくなるとまるで頭の中に隙間ができたように、
どうでもいいものを注ぎ混んでかき回す余裕が生まれる。
本を読み性格診断を受けモニョモニョ考えたことを言葉にした。
心打たれた文章
この文章を読んでなるほど素敵と思い、早速ノートを買ってきて抜き書きを始めたのが昨年1月27日のことらしい。
まだ次を買わねばというほどではないが、前半でも真ん中でもなく後ろから数えた方が早いあたりのページに差し掛かったことに気づき感慨深くなった。
書くのはとても楽しいのだけれど、実はあまり読み返していない。
【読了】1973年のピンボール
先日読み終えた『1973年のピンボール』の抜き書きをしていた。
というわけで、ピンボールで心打たれた文章をいくらか。
一文目。
とても好きだと感じた。次のページでこう回収される。
以前読んだカーネギー『人を動かす』にはかなり感心させられた。
話が上手い人と呼ばれる人はスピーチが上手いのではなく実際には他人に語らせるのが上手い、聞き上手なのだと書いてあったのを思い出す。
会話の相手として求められているのは面白い話をする人でなく、自分の話を聞いてくれる人なのだ。
誰もが自分の関心ごとを話したい。
これを小説で、村上春樹の言葉で記述するとこうなるのだろう。
理由こそわからなかったけれど、誰もが誰かに対して、あるいはまた世界に対して何かを懸命に伝えたがっていた。
後のページで同じ内容がまた現れる。
誰かが誰かに向けて何かを語ろうとしているのだ
自己表現
友達にこの性格診断を是非やってみてくれ、と言われた。
横軸が感情、-100から100。縦軸が自己表現、-100から100。
2択14問で座標が与えられる。
第一象限がエクスプレッシブ、順にドライバー、アナリティカル、エミアブルと4タイプに類型されるらしい。
この手の診断は面白い、わかると思うものの
「迷ったあの設問の答えを逆にしていたら違う結果が出るんだろうな」
「私はこうありたいと思っているが実際にはこちら寄りかもしれない」
と感じて、あまりアテにしていない。
しかし同時に診断をしていた別の友人との回答手順の違いと、彼女と自分に抱く印象を鑑みると、かなり納得の結果になり面白く感じた。
私が「これはケースバイケースじゃない?」「友達なのか、仕事なのか、相手による」と迷っている間に友人はサクサクと驚くべき速さで回答して診断を終えた。
結果、私は(-42, -42)のアナリティカルに、その友人は右上の象限に落ち着いた。
私は感情が少なく、自己表現が少ない。友人はその逆。
ちなみに診断を要求してきたのは左上の、感情が少なく自己表現が多いタイプ。
どちらも大切な友人だ。
深度の問題
自己表現を真っ直ぐにしてくれる人が好きだ。
先の診断の言葉を借りるとエクスプレッシブ、ドライバータイプと呼ばれる人と付き合うのが落ち着く。だから前章で出てきた二人は大切な存在。
誤解されたくないと言っていた。
そして、他人が語るのを楽しく受け止められる私には相手を正しく理解したいという思いが根底にあるのだと思う。
好きも嫌いも言葉にして伝えて欲しい。
お喋りが得意でない私は、誰かに何かを伝えたがっている相手の話を遮ってまで自分の主張をしないことがよくある。(こう思っているのは自分だけかもしれないけれども)
0から100まで話したい人の言い分を聞いて、全部を真剣に検討することはできなくても30くらいまで考えたことがあったとする。
相手に話したいことがたくさんあるのならば、自分は5だけ意見を述べればいいかなと思う。
5しか情報がないことで誰かに誤解されても別に構わない。
私も私のことを100知っているつもりがないから。
しかし、その場で5しか話さず別のところで15まで話したら「裏表がある人」評を受けるのか考えてしまった。
裏・表と逆行する概念ではなくてどこまで自己表現をするのかという深度の問題なんだけれども。
誰もが語ろうとしている
本を読みながら、性格診断を受けながら、人と話しながら考えたことを文字にしてきてとてもすっきりした。
胸のうちにそっとしまいこまないでこうしてネットの海に放流する。
結局、対人シーンで自己表現をあまりしない私も含めて、誰もが誰かに対して何かを語ろうとしているのだ。
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