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母としてー息子の大学受験記

長男がこの春、無事に高校を卒業した。

志望していた大学にも合格でき、先週末、本人の希望であった地へと旅立った。
のどかで自然豊かで温暖な彼の地での息子の4年間が最高のものとなるように、心から祈っている。

今年の卒業生たちは、受験が終わり、さあ羽を伸ばそう!というタイミングでコロナ禍がやってきて、数多の制限を受けた世代。長男も不登校になり、痩せ細り、病院を巡ったり、フリースクールやオンライン校を見学して回ったり、転学にも動いたり、母子ともにタフな時期を乗り越え、先生方のご尽力もあり、卒業時には「最高の友達がたくさんできたし、本当にここに進学して良かった!」と言えるまでになった。

1年の時は大学なんか行かねー、高校も辞めたい、中卒でいい、と厨二病再び、な発言をし、私とのバトルを繰り返し、母子ともに疲弊していたが、2年になってから、成績はどん底になった代わりに吹っ切れたのか、いつの間にか学校へ行くようになり、3年になる頃には自然と大学進学するという気持ちに変わっていた。

ホロスコープでも超絶自由人の息子。玉砕覚悟で超難関を目指すようなタイプでもなく、なぜか地方で暮らしたいと言っていた。我が家は夫も私も東京だから、田舎がない。何をきっかけにそう思ったかはわからないけれど、自然への憧憬は人のDNAに刻まれているのかもしれない。大学以降は、私もそんな息子の特性を活かせる道を見つけてほしい。もうこれからは絶対に価値観を押し付け、上から押し潰してはいけない。それだけを肝に銘じ、ガミガミBBAを卒業した(努力した)。

親として超難関へ挑んでほしいという希望はとっくに捨て去ってはいたけれど、行くなら、漫然と、とか、適当に、ではなく、自分が「好きだ!」と思える分野に進み、全力で学びも遊びも楽しんでほしい。そんな風に思っていた中、ふと尊敬する方が学長を勤め、友人が行っていた国際色豊かな大学が思い浮かび、Webサイトを覗いてみた。そして息子に見せた時、彼の目が文字通り「キラッ」と輝き、「俺ここ行きたい」と言い出した。

少しでも希望を実現へと変えてもらうべく、大急ぎでキャンパス見学の旅をした。出発前、その友人に大学見学に行くというお話をしたところ、OBとお話しできる機会を作ってくれたり、オススメのレストランや温泉、お土産や完璧な動線案と貴重なアドバイスをくれ、彼の凄さと心遣いに心底感動した。(本当にありがとうございます。)

車の中から果てしなく続くうろこ雲と椰子の木を眺め、温泉に浸かり、大学の広いキャンパスと学生たちの溢れんばかりのバイタリティーに感動し、本当にここに来れたら息子は楽しいだろうな、斜に構えるスタンスも消えるかも、そんな希望を私が持てた旅となった。
学生たちは本当にこの学校に来て良かった!!皆も是非おいで!!!というウェルカムな雰囲気に溢れ、明るいエネルギーに満ちていた。今風に言うと、最高のvibesとでも言うのだろうか、まさにそんな感じだった。

一方で、息子は私の必死のサポートにも関わらず、いや、私が色々手を尽くそうとすればするほどやる気を失うらしく、夏休みもキャンパス見学後も全く勉強に身が入らず。いざ努力して、この大学に合格する、と考えると相当ハードルが高かったのだろう。

私も1年半前からフルタイム社会復帰をしていたので、出社で不在にすることもあり、そんな日は私が帰宅するまで寝ている始末。季節は秋になってしまい、もうこれはダメだな、ここまでしてもこれだから、もう放っておこう。とりあえず浪人か就職させよう。諦めてそう決心した矢先、ありがたいことに、ラスボスが登場してくれた。

ある日、息子が授業に行った時、塾の先生に呼ばれ、「全員」に囲まれ説教された。

まず大学へ進む気が本当にあるのか問い質されるところから始まり、大学には行きたい、と息子が述べたところ、個別具体的に「○月までにこれを3周回やれ」「この教科は毎日〜〜のやり方で△△まで○週までに終わったら俺に見せろ」ガッツリと指示、翌日からカメラ付きの自習デスクでサボれない環境に。

普通だったら間違いなく手遅れだったところ、さすが長年正攻法での学習を指導し続けてきた先生方、無駄のない、最低限押さえておくべきところから、ピンポイント&段階的にタスクを与え、増やしていってくれたのだ。

これが決定的なGame Changerになった。

それまでは頑として授業以外の時間に塾に行かなかった息子が、それからは何とか向かうようになった。

私は息子の機嫌を観察しながら、時には盛り上げ、時には励まし、宥めすかし、とにかく塾に自習に行く、短い時間でも出向くように仕向ける。喧嘩をしても決して長引かせず、メンタル維持に全集中した。受験間近の1月2月は会社にお願いし、ほぼリモートワークにさせてもらい、励ましまくる日々。長男自身も気合いが入り、いきなり髪をバッサリカット、坊主頭にし、毎日自分の決めたスケジュールで勉強に出かけるようになっていた。

そしていよいよ受験本番。今度はエネルギー切れしないよう食事と健康管理に心血を注ぎ、共通テスト当日は集中力が切れないよう、小腹が減ったら食べられる、おにぎりやタンパク源、スナック、フルーツを細々と持たせた。お約束のキットカットに応援メッセージも入れ、ベタな手書きの激励カードも入れたりして。

努力の甲斐があったのか、運が良かったのか、共通テストの結果がとても良く、その後の受験で冒険ができた。後期までやる気が落ちないよう、こちらも気合を入れていたが、なんと早い段階で合格できた。

不登校で成績もドン底、メンタルもドン底だった息子がここまで来れたことが奇跡のようで、本当に嬉しく、肩の荷もドッと下りた。でも最後の方は息子が自らを鼓舞し、努力して勝ち取った結果であることは間違いない。

結論として、中学から高校にかけ、私がガミガミと説教し、コントロールしようとしてきたことは、何一つ役に立つことはなかった。息子は自分で気づき、考え、結果を出した。

喜びの余韻に浸りながら、全体を俯瞰して、美味しいお茶でも啜りながら長男の大学進学へ向けての準備を進めたかったところだが、仕事で怒涛の激務が伴走していて、隙を見つけて締切を確認、お金の支払いや入学手続きをする、心臓に悪い、やっつけ仕事となってしまったが、着々と無事に手続きが進んで行くと、私の心もみるみる軽くなり、最後には風の時代にふさわしく、清々しく透き通った空気が通り抜けていくように、頭の中もスッキリと晴れていった。仕事のピークも過ぎ、温泉に浸かった瞬間のように、ふわぁ〜〜〜と力が抜けて、ありがたき深呼吸の時を楽しんでいる。

旅立ちを控えた先週末、長男の小中時代の友達が出発前に遊ぼうと予定を空けてくれたので、我が家でママ友を含めたお疲れ様会をした。結果を労いあい、それぞれの体験を語り合い、励まし合い、親子ともにめちゃくちゃ元気を頂いた。そして翌日も、朝早くから羽田に駆けつけてくれて、息子を見送ってくれた。小学校から一緒の友人たち、私にとっても不登校で辛い時期、たくさん励ましてくれたママ友たち。私たち親子は本当に友人に恵まれていることがありがたい。

受験は本当に悲喜交々。どれ一つ失敗なんてなく、その後のその子の人生にとっての糧となる経験。自分で決めて挑むことが一番大切。精一杯努力して、厳しい戦いに挑んだ、その勇気とそこから手にした結果に拍手。合格不合格、どちらの結果であろうと関係ない。たとえ浪人であろうともまずは1年目やり切ったことに自信を持ってほしい。
コロナ禍を乗り越え、受験も乗り越えた学生たちは強い!
本当に、本当にお疲れ様!!!君たちのこれからの未来は絶対に明るい。
そうなるよう、私たち大人はがんばるよ。




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