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あと何回“元気”な夏があるかわからないから

がん治療を経験して起こった最大の変化は、いわゆる「人生観が変わった」こと。
「自分は死ぬ存在なのだな」ということを、リアリティをもって知った。もちろんいつか死ぬことはその前から知っていたけど、今はそれをはっきり理解している、と思う。

「いつかその時がくる、だけどたぶんまだまだ先」という漠然とした感覚だった自分の死についての認識が、その時はいつきてもおかしくないし、思った以上にその時は遠くはないというふうに書き換わって、ずっと頭にある。

人が死ぬのは自然なことだということも完全に受け入れたようで、誰かが亡くなることにも「悲しいけれど仕方がない」と、冷たいくらい冷静になった。がん以前は自分の中にいた、死について考えるだけで「そんなのいやだ!」と抵抗する子は、今はもういない。

両親が老いてきた現実を目にするにつけ切なくなるのに、亡くなることを考えても怖くない。人は死ぬから。
これって、治療後の自分が後遺症と一緒に生きていく【これからまだしばばらく、後遺症に惑わされながら生きていかなければならない】ことは切ないけれど、死を考えたときに「人生からの卒業」と前向きに思うのと、ちょっと似てる。

がんがあるとわかったのは12月で、その年は必死で自由業の仕事を広げようとしていた。できる限り仕事を受けて実績をつくろうと、その夏は仕事に追いかけられてずっと走り続けているような感じだった。
当時まだパートナーとして同居していた夫は、「休んで」と、とても心配した。彼は海が大好きで、夏の週末や時間ができたらいつでも海に出かけていく。息抜きのためにも一緒に行こうと何度も誘ってくれたけれど、私は「今が頑張り時だから。仕事が軌道に乗ったら、来年はたくさん行けるから。」と断った。

その「来年」が来ないなんて、想像もしなかった。
私は、夏のビーチでビールを飲むのが大好きだった。水にはあまり入らないけれど、ものすごく暑い日だけは海に入ってクールダウンするのを楽しんだ。どうしてあの夏、1日くらい楽しんでおかなかったんだろう。
病気がわかって、そのことをいちばん後悔した。

翌年の夏は、喉の化学放射線治療を3月に終えて退院してから2~3か月の頃。治療の途中から放射線で灼けた喉の痛みで絶飲食状態になって、すごく痩せて体力が落ちてしまった。最寄り駅に5分弱歩くのもちょっと大変。初夏に少し急いで駅まで行って息が切れたら、唾液の半減で口から喉までカラカラで、息ができないような錯覚に陥ってちょっとパニックになったことを覚えている。

頭の耳から下と首に放射線が当たって、髪の毛が抜けて首の皮膚がただれた。上の髪の毛で脱毛部分は隠れていても、風に吹かれて髪がめくれないかとヒヤヒヤしていた。
首の皮膚はもう回復していたけれど、「ダメージが大きいから日焼けしないように気を付けて」と言われていた。

そんないろいろに対する心配がないように、準備を万全に整えて海に行く元気はなかった。

その後11月に食道の腹腔鏡手術でお腹にいくつも傷ができて、おへその形も変わってしまったし、持っているセパレートの水着はもう着られないなと思う。もはやお腹を出している年齢でもないだろうというツッコミは、ひとまず横に置いておくとして。
ビールももう飲まなくなった。がんのリスクが怖いし、放射線治療後の喉にしみて飲めないと思う。

「今日が人生の最後だったとしても後悔しないように、毎日を悔いなく生きている」と言う方にたまに出会うと、すごいなぁと尊敬する。
生きている時間は有限だと実感しているくせに、私は1日1日を完全燃焼とはいかない。特に病気の後は体調維持のための時間がかかるようになって、予定したことややりたいことができないことも多い。そんなときは「また明日だ!」と仕切り直す。
それを許さないと、自分を責めて苦しくなるから。

毎日毎日はできない代わり、季節を楽しむことは意識するようになった。
桜は大好きだからできるだけたくさん見に行く。クリスマスもクリスチャンではないし…子どももいないし…と思う自分がいる一方で、年に1度のイベントとしてちょっとスペシャルに楽しんだらいいじゃない?と思い直す。


夏はいちばん好きな季節で、あの夏の後悔もあるから、とても忙しい。
今年も夏のTO DOリストを脳内に作成した。

☑天然氷のかき氷を食べる
△海に行って、できればSUP(スタンドアップパドルボード)
☐花火を観る
☑スイカを食べる
☐桃を食べる
☐ブドウを食べる(できればデラウエア、シャインマスカット、巨峰)

この季節だけの果物が多くて、食べ物関係が多くなってしまう。去年できなかったことが多いから、今年はぜひともやらなくちゃと、少し焦っていたりする。

天然氷のかき氷は、梅雨明け前の猛暑日にいちはやくクリア。口でしゅわんと溶けてくれるやさしい冷たさの幸せをしみじみ堪能。

軽井沢の天然氷の宇治金時

1日ビーチに行く余裕が今のところなく、まずは猛暑日の夕暮れ、横浜のベイエリアで潮風に吹かれて夕ご飯。私は水に入るのが大好きなわけではなく、暑い日に潮風に吹かれて涼むのが好きなので、大満足。

横浜港大さん橋で日が暮れるまでぼんやり

SUPも花火も予定していて、お天気に恵まれることを願うばかり。

「スイカを食べなくちゃ!」と言っていたら、リタイア後に畑を借りて野菜づくりをしている父からスイカ収穫の連絡が。もらってきた小玉スイカは、ほとんど皮がない完全完熟!(おかしい言葉だけれどそう言いたくなる)皮をむくように赤い実の部分が「はがれる」スイカは初めてで、おいしゅうございました。花丸クリア!

グッジョブ父!の、完全完熟小玉スイカ

夫が果物アレルギーもあり食べないので、一山を買ってしまったら一人で食べきらなくてはならなくて、いろいろな果物を食べるのは地味にハードルが高い。桃もなかなか1個売りがなくてどうしようかと思っていたら、本日スーパーで発見して、大急ぎで確保。
桃は明日クリアになる予定で、残るはブドウ。

たかが果物のことで大げさなようだけど、もし今年の冬にあと3か月の命だよって言われたら、夏の食べ物は食べられずに終わってしまうかもしれない。
こういうくだらないようなことが実はかけがえのないものだったりもするって、やっぱり病気前は気づけなかったことで、リストをチェックしながら楽しむことを頑張っている自分は、なんだか好きなのだ。

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