見出し画像

「お元気ですか?」って言わない

立秋を過ぎて、もう残暑見舞いの時期。空も少し高くなって、日が短くなってきた。夏が過ぎていく。
今年は、久しぶりに2人に「暑中お見舞い申し上げます」と便りを書いた。

もともと私は筆まめで、出す手紙にはいつも「お元気ですか?」と書いていた。深く考えたことはなかったけれど、言い換えれば「お変わりないですか」、もっと言えば「お変わりなく元気で過ごしているといいなと思っています」という気持ちをそこに乗せて。

だけど、文章そのものは「あなたは元気に暮らしているのか?」という質問なのだということにぎくりとして、10年前からこの言葉が使えなくなった。

10年前の夏、高校時代に仲良くしていた友達が亡くなった。それは突然に思えた。だけどきっとある程度の期間、彼女は病気と生きていたんだと思う。病名が肺がんだったから。

最後に彼女から手紙をもらったのは、その数か月前だったように記憶している。所属しているオーケストラの演奏会へのお誘いだった。数か月前までは楽器を吹ける状態だったことを思うと、少し救われた。
同じく筆まめだった彼女は、演奏会のフライヤーなどを同封して、折にふれて手紙を送ってくれた。その返事をするとき、当たり前に私は「お元気ですか?」と、何も考えずに書いていた。数か月前のその時も、たぶん。
そのことを、私はとても後悔した。

彼女は病気のことをほとんどの友人に明かさず、最後の数日の苦しいときにも、妹さんでさえ部屋から出してつらい姿を見せなかったという。病気は自分の個人的なことだから、それで周りの人の心を乱したくないと決めていたのだろう。彼女らしい強さだと思う。

それでも、「元気ですか?」と聞かれれば、「元気ではない。肺がん」と心で答えていたんじゃないだろうか。お気楽な“元気”エネルギーが漏れ出した外部の人間に、忘れているときに病気の現実を認識させられるって、残酷な痛みだと思う。何度もその痛みを味わわせてしまったと考えると、とても申し訳なく、今でもちょっと呼吸が浅くなる。

だから、それ以降は「お元気ですか」って言えなくなった。
「元気だといいなと思っている」と伝えたければ、その通りに言葉にするように心がけた。
もちろん、いつ「実は元気じゃないんだ」って、切ない答えがきてもいいように、心の準備をして。

自分が病気を経験して、そうしてよかった、そうし続けようという思いを強くしている。

7月下旬のご命日から少し遅れて、彼女のお墓参りに行った。
自分の病気やコロナ禍があったから、5年以上ぶりになってしまった。改めて「あのときはごめんね」と謝った。
今は私も彼女の気持ちを少し理解できたかもしれない。でも、私にはまだ人生の卒業証書が出なかったからこちらにいる。

「私もがんを経験したよ。もう少しがんばるから見守ってね」と語りかけて、墓前で手を合わせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?