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炎の魔神みぎてくん草野球④

4.「そう簡単に打たせないぜ」

 日曜日の朝は、夏らしく良く晴れてすばらしい野球日和だった。いや、野球日和というのは正しくないかもしれない。これはまさしく海水浴日和なのである。クラゲがうようよいる(もうそんな時期である)海で遊ぶには最高だが、野球をするにはいささか暑すぎる。熱中症が恐くなるほどのまぶしい日差しだった。
 大学のグラウンドには、それぞれのチームのメンバーが集まり始めている。集合時間九時四十五分、試合開始は十時なので、まだ小一時間はあるのだが、気の早い連中はウォーミングアップやキャッチボールをするつもりなのである。

「あら、ロスマルク先生ほんとにやる気満々よ」
「本当に先発ピッチャーなんですよ。セルティ先生…」
「…完全に冗談だと思ってたわ…」

 颯爽と現れたセルティ先生は、既にストレッチなどを始めているロスマルク先生の様子に、さすがにびっくりである。なにせもう還暦も手が届くような歳なのだから、いくら草野球だといっても先発投手とは想像つかないのも無理は無い。
 対戦相手の経済学部、イェーガー教授はあきれ返ったようにセルティ先生に言った。

「ロスマルク先生、大まじでピッチャーですか…」
「私もまさかと思ったのよ。そっちは若い院生でしょ?」
「そうです。元野球部ってのがちょっと申し訳ないんですけどね。でもピッチャー経験は無いらしいので、それなりでしょうが…」

 半分得意げに話すイェーガー教授に、セルティ先生はなんと答えたらいいのかわからないというようにうなずく。口ひげの動きを見れば「まあ余裕ですよ」と言いたいのが判るからである。別に草野球に勝ったところで業績が増えるわけではないのだが、やはり勝負事は負けたくないものなのである。

 噂の本人、アラリックは向こうのほうで上半身裸で軽く投げ込みなどをしている。遠くから見ても判ることだが、たしかにいい肉体である。みぎてのようなレスラー体型とは違うが、いずれにせよ惚れ惚れするような勇壮な体躯というが一番当てはまる言葉だろう。これはたしかにポリーニが引っかかるのも無理は無い。

「脱ぎ系ですね…」
「脱ぎ系ね。たしかに」

 ディレルとセルティ先生はアラリックの投球練習を遠目で見ながら、思わずつぶやく。要するにいい体なので、恥ずかしげも無く裸になれるということなのだろう。もっともセルティ研究室には筋肉だけならまったく負けていないみぎてがいるので、全然ありがたみはないのだが…

 と、そこにいよいよもう一人の主役、ポリーニがやって来た。両手にすごい数の紙袋を抱えている。一緒に現れたシュリまで紙袋を持たされているところがひどい有様である。

「あ、ポリーニ…」
「みんな集まってる?ユニフォーム全員分あるから、早速着替えてくるのよ」
「わたくしまで手伝わされる羽目になりましたよ。妻がいなかったら大変でした」

 どうやら今回ばかりは最後の追い込みに、同じ発明家のシュリの手を借りざるを得なかったらしい。まあ準備期間が短いということがあったし、この手の被服製品はシュリのジャンル外ということもあって、珍しい協力協定が締結されたのだろう。奥様であるエラ夫人も動員したらしかった。

「へぇ、良く出来てるじゃないの。さすがねぇ…」
「てっきりピンクのフリルとか付いてるんじゃないかと、僕かなり不安だったんですけどね…」
「うるさいわねっ!ディレル」

 袋から出てきた野球用のユニフォームは、これは予想外に立派なものだった。上下はもちろんのこと、アンダーシャツやタイツまで完璧である。ただし野球帽についているワッペンだけは、やはりポリーニらしくさくらんぼのマスコットだった。
 一同は早速彼女特製のユニフォームに着替え始める。女性陣は少し離れた体育館の更衣室で、男性陣はそんな優遇措置などまったく無しの、その辺の植え込みで着替えというのは、まあ仕方がない。第一女性を二名も加えないと野球チームが編成できないのだから、多少はしわ寄せがあるのも当然である。
 が、良く見ると袋がいくつか余っている。セルティ先生は首を傾げて言った。

「みぎてくんとコージくんはまだなの?助っ人迎えにいったんでしょ?」
「そうなんですけど、結構遠いですから…ぎりぎりじゃないですか?」

 ディレルの説明に、セルティ先生もポリーニも妙な顔をする。実は二人には助っ人が蒼雷であるということは言っていない。まだ交渉結果は(少なくともディレルは)判らないし、最悪の場合助っ人は「目玉」ということになるからである。期待を持たせてがっくりさせるというのもよろしくない。
 とはいえ試合開始時刻は刻々と迫ってくる。少々の遅刻ならともかく、あまりの大遅刻になると、メンバー不足で試合放棄ということにもなりかねない。内心ではディレルもはらはらしているのである。

*     *     *

 さて、しばらくして向こうから投球練習を終えたアラリックが彼らのほうへと近づいてきた。遠目で見ても勇壮な体格だが、近くで見ると思わず気おされそうなほどの威圧感がある。彼らがみぎてに見慣れていなければ、それだけで一歩や二歩は後ずさってしまうかもしれない。とにかく本物のアスリートとはこういうものなのである。(みぎても実際そうなのだろうが。)

「おうっ、今日はよろしく。あ、ポリーニ…」
「久し振りね。手加減しないから覚悟してらっしゃい!」

 アラリックを見るポリーニの目つきは、もはや危険一杯である。眼鏡の奥がきらりと光るのを見れば危ない状態なのは誰にでもわかる。「今日は決戦よ」という攻撃的視線なのである。
 アラリックは一瞬「やばいっ」という表情になったが、すぐにディレルに向かって言った。

「でもそっちメンバー集まってるのか?やばそうじゃないか」
「うっ…もうすぐ来ると思うんですけどね。少し待ってください」
「ああ、そりゃまあいいけどさ。ふうん…」

 「どうせ集まったところでたいしたことは無い」という余裕綽々の表情で、アラリックはそう答えた。実際のところディレルだってそう思っているのだから当然だろう。が、ちょっとその口調は馬鹿にしたような感じで、聞いている側としては気分がよいわけはない。

 少し気を悪くしたようなディレルだったが、しかしさすがに不安にもなってくる。本当にみぎて達が間に合うのか、自信がなくなってきたのである。いや、ディレルだけではない。一番カリカリしているのはポリーニだった。

「ディレル、本当にみぎてくんたち間に合うの?試合放棄なんてする羽目になったら、あたしもう口聞かないから」
「そりゃちょっとかわいそうですよ。わざわざ必死になってメンバー集めしてくれてるんですから」
「そんなこと言ってるからディレルは甘いのよ。二人はちゃらんぽらんなんだからしっかりチェックしないとダメに決まってるじゃない!」

 だんだんポリーニは興奮の度合いを深めているようだった。やばいと思ったディレルは急いで話題を変えることにする。

「ところでポリーニ、あらかじめ確認しておくけど、今回のユニフォーム…」
「なによ?」
「変な機能付いてないですよね。突然光るとか、クロスプレーの時に凶器になるとか。反則はダメですよ」
「…」

 ポリーニは思わず口ごもる。どうやらやはり彼女の危険な発明品が埋め込まれた、反則レベルのユニフォームだったらしい。これはあらかじめちゃんとチェックしておかないといけない。この様子では殺人野球すら起こりえる。ディレルは肩をすくめて言った。

「試合前までに反則になる機能ははずしてくださいよ。シュリさんもですよ」
「わたしもですか?なんと残念」
「…面白くないわね、せっかく血祭りにあげようと思ったのに…」
「それがいけないんですって!」

 試合前からこれでは、今日の野球はやはり大荒れ確実である。ディレルは思わず遅刻して試合放棄した方がましかもしれないとまで思ったのは言うまでも無い…
 が、その時だった。

「あっ!」
「何だあれは?」

 ふと空を見上げた誰かが、妙なものを見つけたらしい。驚きの声が見る見るうちに広がった。ディレルもポリーニも思わずみんなと一緒に北の空を見上げる…たしかにはるか向こうのほうに、白い物体がまるで光の点のように輝いている。

「なにあれ?UFO?」
「飛行機みたいですよ!翼がありますね。ぐんぐん近づいてくるみたいです」
「鳥じゃないの?」
「鳥ならかなり大きいですよ…この距離で見えるんですから」

 ディレルの言うとおり、たしかにその白い物体は翼があるようだった。見ているうちにそれは大きくなる…明らかに近づいているのである。目の錯覚かもしれないが、翼はどうも動いているようにも見える。が、これだけの距離ではっきりと見えるサイズの鳥となると、おそらく全長数メートルということになってしまう。

 しかしその時セルティ先生が(既にユニフォーム姿である)ついにその正体を見破った。

「霊獣みたいね。かなり大きな鳥の姿なのよ」
「霊獣?霊獣って上位精霊ですよね」
「そうね。多分サギの精霊だと思うわ。…誰かが乗ってるみたいよ」
「えっ?」

 あれよあれよという間に、霊獣はどんどん近づいてくる。ここまでくればセルティ先生でなくても強力な魔法の波動を感じることが出来る。たしかに…紛れも無く純白のサギの精霊である。そしてその背には人が四人も乗っているようだった。

「みぎてくん達ですよ!蒼雷君が操縦してます!あれ、自家用霊獣なんですね!」
「氷沙ちゃんも一緒みたいね、間に合ったわ」
「もう、心配したわよ!相変わらず時間にルーズなんだから…」

 あきれたようなほっとしたような声で、セルティ先生もポリーニも歓声を上げた。白鷺は高度を下げると、滑るようにグラウンドに着地した。そしてその背からみぎて達が飛び降りる。何とかぎりぎりで間に合ったのである。後ろからは、みぎてよりも少しスリムで、見事なブルーの髪を腰まで伸ばした蒼雷が続く。相変わらずいつも通りの脱ぎすぎの羽衣ファッションなのは魔神族だからもう仕方がない。しかし突然の呼び出しにもかかわらず上機嫌で、とても野球を楽しみにしているというのが表情からもよくわかる。
 みぎてにエスコートされて霊獣を降りた氷沙ちゃんのほうは、さすがに真夏の登場ということもあって、ちょっと前よりやせたという感じはある。しかし相変わらず白い肌とかわいらしい目が素敵だった。雪女らしく純白の和服だった。

絵 武器鍛冶帽子

「間に合った。危なかった」
「わりぃわりぃ!蒼雷の内職手伝っててさ」
「よっ!久し振りっ!急にこいつ等が迎えに来てびっくりしたぜ」
「ひさしぶりですぅ、みなさまっ!」
「もう~、時間きわどすぎるわよ!さっさとユニフォームに着替えてよ!」

 ポリーニはさっきまでの不機嫌ぶりがどこへやら、うれしそうに蒼雷のところに駆け寄っていった。もちろん手には彼女お手製のユニフォーム入り紙袋が握り締められている。サイズはちょっと合わないかもしれないが、そんなことは問題ではない。とにかく…これでようやくナインがそろったのである。氷沙ちゃんまで応援となると、もう立派な野球チーム(見かけだけは)だった。いよいよ試合開始である。

*     *     *

「プレイボールっ!」

 審判の宣言と同時にみぎてたちはグラウンドに駆け出していった。一回の表、経済学部チームの攻撃である。ピッチャーは予告どおり「ロートル」ロスマルク先生、キャッチャーがディレル、ファーストがシュリ、セカンドはポリーニ、サードがセルティ先生、ショートがコージ、外野がみぎてと蒼雷、そして結局やはり「目玉」くんである。押しの弱いディレルでは、妹さんを無理やり引っ張ってくることなどとても出来なかったのである。目玉は人外なので、メンバーとしてはかなり問題があるのだが、相手チームから見れば有利になるということで文句はでない。ポリーニの作った大きな野球帽が妙に似合うのが、ますます怪しさ爆裂である。

「ストラーイクッ!バッターアウトッ!」
「あら、ロスマルク先生すごいわ!」

 驚いたことにたちまちのうちに一回の表はおわってしまった。ロスマルク先生の軟投は予想外に絶好調である。見ていても判るのだが、明らかに球速は遅い…ふにゃふにゃである。ところがコントロールのほうは抜群で、きわどいコースにしっかりと入ってくる。たとえ打たれてもぼてぼてのゴロ程度なので、あっさりアウトだった。
 まあ考えてみれば向こうのチームも半分くらいは教授陣なのだから、年齢にそれほど差があるわけではない。若手だけをしのげば、あとはたいしたことないわけなのである。

「ほっほっほ、まだまだ若いものには負けませんよ」

 上機嫌のロスマルク先生はベンチに戻って余裕の発言である。いや、さっきイェーガー教授に年寄りの冷や水とばかり呆れられたのが悔しいのだろう。まあ一回を無失点で抑えたというだけでも、ちょっと鼻を高くする権利はある。

 シュリは氷沙ちゃんから冷たいスポーツドリンク(彼女が自分の冷気で冷やしたのだろう)を受け取ると、かばんの中に手を突っ込んだ。どうやら何かを取り出すらしい。

「ではここでそろそろ、私の発明品を発表いたしましょう!」
「きゃっ!また変態なものが登場するの?」
「えっ?ここでまた変なもの出すの?やめましょうよ…」
「何を言ってるのですディレル君、この日のためにせっかく作ったんですから」

 氷沙ちゃんやディレルがあきれ返るのを黙殺して、シュリはかばんの中からラジカセのようなものを取り出した。スピーカーが二つと、それからMDが軽く五枚は入るようになっている奇妙な機械である。アンテナの代わりに金属製の端子が、ちょうどカタツムリの目玉のように伸びている。

「なにこれ?」
「これは『アナウンス・実況中継マシン』試作型です。このアンテナ部分で試合状況を検知し、適切な実況中継を解説つきでしてくれるという、偉大な発明なのです」
「…AI搭載か…」

 シュリは本体のスイッチを入れる…と、たしかにまるで高校野球のようなアナウンスが始まった。

『1番、レフト、蒼雷君…ワ~ッ、ドンドンパフパフ』
「うわっ、マジ高校野球…」
「鳴り物まで入ってますね…」

 応援団の鳴り物の音までついている。どうもこれは本物の高校野球の中継を継ぎ合わせてつくったものらしい。ところどころ切れ目がわかるところがまだ試作品たるゆえんであろう。

『さて、この試合の見所というか、勝負どころはどうですか?』
『まずですね、やはり両チームの投手がどこまで粘れるかというところに尽きると思うんですよ。特にセルティ研究室チームはやはりこういっちゃ何ですが…』

 実況中継のほうもちゃんと立派な解説がついている。が、どうも声のほうは聞いたことがあるような気がする。バビロン放送協会のアナウンサーそっくりなのである。やはり継ぎ合わせなのだろう。しかしここまでそれらしい全自動実況中継というのは立派なものである。もっともコージは最後までうまく行くとはまったく信じていない。

「だんだん内容と中継がずれてくるとか…」
「そうですねぇ…大いにありえますね」

 苦笑しながらディレルもコージの見解に賛成した。が、まずは自分達の試合の方が肝心である。コージはバッターボックスに立つ蒼雷に手を振って声援を送った。が…

「すとらぃ~っく!バッターアウト!」

 声援と「実況中継マシン」のダブルパワーにもかかわらず、蒼雷はいきなりの三振であった。いや、蒼雷だけではない。二番のシュリもほとんど棒立ちの三振である。

「参った、あいつ人間のくせに球速いぜ!」
「さすが野球部ですねぇ。あっと思ったらもう終わってました」
「っていうかシュリ、棒立ちだったし…」

 「脱ぎ系」アラリックの、長身から投げ下ろされる速球には、さすがの蒼雷もびっくりしたようだった。実はアラリックは試合本番になってもやはり上半身裸のままである。草野球なのでユニフォームとかは別に着る必要は無い。実際経済学部チームはみんなジャージやらなにやらの適当な服である。が、その「脱ぎ系」筋肉ボディーが生み出す速球は尋常なものではなかった。もちろん蒼雷は風の魔神族だけのことはあって動体視力ではついてゆけるはずなのだが…なにせ球速がすごい上に変化球まであるのである。

『三番、ショート、コージ君…』

 コージはバットを握り、軽く素振りをしながらバッターボックスへ向かう。これはなんとか一応経験者のコージが塁に出ないと、とてもじゃないが点を取ることなど出来ない。というか、攻撃のきっかけをつかまないと絶対にまずい…
 が、しかし相手の実力はコージの予想をはるかに上回っていた。

「あっちゃ~…」
「ピッチャーゴロかぁ」

 なんとかバットがボールにはあたったものの、コージの打球はぼてぼてのピッチャーゴロである。それに予想外の衝撃でかすっただけで手がじんじんする。いや、ジャストミートでない分だけ衝撃が大きいのだろう。結局たちまちのうちに三者凡退である。
 守備に戻るコージにアラリックはにやりと笑って言った。

「そう簡単に打たせないぜ。いくらそっちが魔神二人だからってったって、こっちも野球部だからさ」
「きついわ、ほんと」

 どうやら向こうにしてみれば、ド素人であっても本物の魔神が二柱もいるという、とんでもないチームはそれなりに脅威なのである。コージは肩をすくめて笑うしかなかった。

(⑤につづく)

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