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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 二「あの方は楊範殿ですよ。あの武礼撫の」

二「あの方は楊範殿ですよ。あの武礼撫の」

 というわけでテレマコスは気の進まないような、しかし料理は魅力的なという夕食会に出ることになった。既にすっかり夜である。家宰かさいに呼ばれて着慣れない黒ローブで会場へと赴いたこの魔道士は宴席の豪華さに目を見張ることになった。
 宴席には主人である関子邑と主客であるテレマコスのほかに十数人の客が着座していた。その風貌は様々である。やくざらしい大柄の男、怪しい白髪の道士風の男、やせた文人風の男…まさに雑多な人々が客人として招かれていたのである。そのあまりに多彩な客層にテレマコスは圧倒され息を飲んだほどだった。

(なるほど!これが食客しょっかくか…)

 食客…要するに居候である。豪族ともなると何人もの食客を抱えているものなのである。別に主従関係を結んでいるわけではない。「客」なのだから、忠義を果たす義務などどこにもないからである。しかしたいていの場合食客は、その自由な立場から主人のために知恵を絞り、腕を振るうものだった。客自身が主人を通して自分の理想やら野望やらを実現しようとしているのだろう。事実どの食客の顔を見ても、時代に流されまいと必死に生きているということがありありと浮かびあがっている。

 関子邑がテレマコスを(当然「鄭令蔓」という名で)紹介し、テレマコスの答礼が終わると宴は始まった。音楽(中原風の不思議な音楽である)が奏でられ、美女が現れて踊りを踊るやら、役者が何人か現れてちょっとした寸劇を演じるやら、なかなか出し物も盛大だった。食客は飲食しながら思い思いに周囲の人々と雑談に興じている。テレマコスは当然子邑と、それからその向こうにいる若い貴族…子邑の息子の子良といろいろな話をすることになる。
 子邑の息子の子良は(テレマコスの見るところ)なかなかの好青年で、テレマコスの語る遠いサクロニアの話に目を輝かせて聞きいっていた。そうとう興味があるのだろう。特にサクロニアに住んでいる変わった種族(中原には人間族以外はほとんどいない)の話となると本当に不思議そうな表情になる。

「私はまだ見たことがないのです。本当にいるのですか?半人半馬の人などが…」
「驚かれるのも無理はありませんが本当の話ですよ。他にもいろいろな人々がおります。」

 食客の中にはテレマコスの話を聴いて驚いたような顔をするものもいるし、うんうんとうなずくものもいる。何人かは海外に出た経験もあるらしい。
 とにかくこういう具合でテレマコスは子邑父子の質問と雑談相手に忙しく、せっかくの料理をろくろく味わう暇がないほどだったのである。

*      *      *

 宴もたけなわになって、子邑達の質問責めも一段落してから、ようやくテレマコスは料理と、そして食客の顔ぶれに目を向ける余裕ができた。それにしても雑多なメンバーである。向こうのほうに座っている大柄の剣士風の男は黙々と酒やら食い物やらをやっつけているし、白髪の道士風の男は隣の小柄な男となにか話しこんでいるようだし、なんだか良くある歓送迎会を思い出す。
 ところが…一通り宴席を見回したテレマコスは、ふとその中の一人が気になった。いや、別に人相が悪いとか怪しいとかそういうわけではない。ただひときわ印象的だったのである。

 若い。この雑多な食客の中ではその男はかなり若いほうだった。満座の客の中でただ一人金髪碧眼である。そして引きしまった逞しい体躯…どうも拳法家のようだった。額のところには目のような模様がみえるが、これはおそらく刺青だろう。中原で刺青をしているのは極めて珍しいことだから、もともとは騎馬民族かなにかなのだろう。印象的な丸っこい目は未だ少年の面影を残している。頬のところから堅そうな金色の髭がふさふさと生えているというのもどこか野生的で不思議な容貌だった。
 しかし世界をわたり歩き、様々な種族や人々を見てきた大魔道士テレマコスに取ってみては、たったそれだけでは別に興味をひくことはない(金髪碧眼どころが全身鋼鉄の種族や炎の魔神の友人までいるのである)。つまりその青年はもっとなにか異質な…気のようなものを帯びていたのである。

 絵 竜門寺ユカラ

「!…」
「鄭子?なにか…ああ、あのかたに興味をもたれたのですか?」

 子邑はテレマコスのわずかな驚きをすばやく見てとったらしい。少し得意げに微笑んで言った。

「あの方は楊範ようはん殿ですよ。あの武礼撫ぶれいぶの…」
「楊範殿…武礼撫とは?」
「ははは、御存じありませんか…」

 子邑は苦笑した。どうも「武礼撫」というのはこの中原では相当高い地位を示す言葉らしい。中原に来たばかりのテレマコスには良く判らないのはしかたがないというような笑い方である。
 うなずくテレマコスに子邑は説明を始めた。要するに「武礼撫」爵というのは武術の達人で、皇帝にその実力を認められたものに与えられる称号らしかった。それならばあの精悍な身体つきは理解できる。あの若さで皇帝に認められ爵位を得るほどの実力というのは驚くべきことだろう。

 しかしそれだけではテレマコスのうけた独特の衝撃を説明する理由にはならなかった。戦士ではないテレマコスだが多少は武術のことも判る。なにせ彼はいろいろな仲間達と今まで随分冒険をしてきたのである。神そのものの実力の持ち主だって見てきたのだから…目の前の「武礼撫」とやらの実力をそれなりに感じ取ることができた。

 テレマコスの見たところ、要するにこの楊範という拳法家の実力は、リンクスとほとんど変わらない程度だろう。たしかにそれはそれだけでもすごいことである。というか、テレマコスは今までこの方リンクスよりすさまじい剣士を見たことがないのだから、それと互角というのは(もし印象が正しいとすれば)大変な実力だということである。

 とはいうものの、あの楊範という若者の武術が尋常でないからといってここまで…仮にも大魔道士であるテレマコスが驚くはずはない。剣の腕でリンクスと互角ということは、リンクスには強力なサイオニクスがあるのだから本気で殴り合えば勝負にならない。それ以上のなにかがあるはずだからこそ、この大魔道士テレマコスがこれだけの衝撃を受ける…はずなのである。

(しまったな…なんとかしてリンクスを出席させれば良かった。)

 テレマコスは後悔した。こういう時には本物の戦士であるリンクスの目が欲しくなる。楊範だけでなくこの席にいる食客の実力を一人一人ちゃんと鑑定してくれるはずだからである。気にしなければそれまでなのだが、妙に惹かれるというか気になってしかたがないのである。
 子邑はそんな彼の心境を見て取ったのだろう。にこにこしながらテレマコスに言った。

「よろしいですよ。御紹介申し上げましょう。そうですね…明日にでも別に宴席を設けましょう。」

 子邑にしてみれば、楊範のような素晴らしい拳法家を食客として抱えているということは相当の誉れなのだろう。どうも紹介したくてしかたがないようだった。テレマコスはそんな子邑の様子をみて思わず笑いかけたが、ぐっとこらえてにっこり微笑んだ。

「よろしくお願いします。素晴らしい武術家とお見受けしました。お近づきになれればわたくしにとって最高の名誉です。」

(3へつづく)


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