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炎の魔神みぎてくんボウリング①

1.「ボウリング行かない?タダ券持ってるのよ」

 コージの住んでいるヘリコイド通りはバビロン大学の学生街である。当然の事なのだが学生目当ての下宿やら定食屋やら、それから喫茶店や雀荘やらがのきを連ねている。学生は毎日登校する時に、こういうのあまたの誘惑と戦わなければならないわけである。そして予想通りだが、かなりの割合で誘惑に負けてしまうものなのである。

 もっともコージのように院の研究生ともなると、学部時代のようにほいほい自主休講を決め込むというわけにはいかない。研究室では教授や准教授の先生が待っているし、やらなければならないことも山積みである。いや、なにより相棒の炎の魔神が予約だらけなのである。

 ごく普通の魔法使いの卵であるコージだが、一つだけ特別なところがある。それが隣にいる大柄の青年、「みぎて」の存在だった。コージと同居しているこの青年は、正真正銘の炎の魔神、それもめったなことじゃお目にかかれない大魔神級の精霊力の持ち主なのである。たしかにこいつは顔こそ丸っこくてちょっとベビーフェイスだが、赤茶けた肌に筋肉質のたくましい肉体である上に、みごとな炎の翼と炎の髪の毛、額からは小さな角が生えているのだから、誰が見ても一目瞭然である。ひょんなことからコージのところに転がりこんできた彼は、それ以来コージの同盟精霊として学生生活を楽しんでいるのである。いや、同盟精霊という表現は語弊があろう。単にコージが魔道士でみぎてが魔神であると言うだけで、二人の間柄は仲の良すぎる相棒か兄弟といったものである。事実、周囲も(研究室の友達や先生方も含めて)明らかに二人の間柄をそう認めてしまっている。
 しかしそれはともかく、この相棒は本物の大魔神であるということで、いろいろ大学では忙しい存在だった。何しろ授業料やバイト料と引き換えに彼の巨大な精霊力をつかった実験を手伝わなければならないのである。当然コージも連れとして(この場合は保護者かマネージャーという表現が正しいかもしれないが)みぎてに付き合わなければならない。「炎の大魔神の人間界生活の面倒を見る」ということが、コージの一つの研究テーマ(ということになっている)のだから、これは彼にとっても重要な仕事である。

 そういうことで、二人は悲しいかな毎朝寄り道もせず研究室へと向かわねばならないわけだった。たまにはサボって喫茶店にでもしけこみたい気もするのだが、これはしかたがない。いくら寝不足で情けない顔をしているといっても行かないわけにはいかないのである。

「コージ、大丈夫かよ?すごい顔してるぜ」

 となりのみぎては(こいつも多少眠そうな顔だが)心配そうに言う。こいつはどうも高血圧系らしく、朝に強い。コージのように寝起きが最悪だとか、いつまでもだらだらとふとんのなかで寝転がっているのが好きだとか、そういうことは決してない。昨夜(というか今朝なのだが)明け方ちかくまで起きていて、睡眠時間二時間ちょっととは思えない元気な様子である。

「おまえみたいに俺はタフじゃないって…ふぁぁ、かなりだるい」

 コージはぼんやりした表情でみぎてに答えた。全身が睡眠不足と疲労でぐったり来ている。元々の体力差が相当あるのだから当然である。もっともこの魔神だって本来特に事情でもない限り早寝早起きの健康優良児である。今日のような大変則パターンだと結構眠いはずなのだが、コージほどひどい顔をしているわけではない。

「うーん、今日のコージの顔なんだかすげぇぜ。病気とかじゃねぇだろうな?」
「単に寝不足なだけ。恥ずかしいって」

 魔神は心配そうにコージの顔をのぞきこむ。こうまじまじと顔を見られると今朝はさすがに気恥ずかしい。第一コージは病気でもなんでも無い。二人は単に寝不足というだけだし、それに理由を深く突っ込まれると(コージだけでなくみぎても)ちょっと困るのである。二人だけの小さな秘密はそのままにしておきたい。

 そういうわけでコージは寝不足の腫れぼったい顔を相棒にあまり見せないように、足早に学校への道を急いだのである。あんまり眠いので途中で電信柱に二、三度ぶつかりそうになったが、これは仕方が無いだろう。

「おはよ、あれっ?コージずいぶん眠そうじゃん」
「ふぁぁ、ちょっとね」

 研究室につくとそこにはいつもの研究室仲間、トリトン族のヴェーンディレルがいた。金髪で色白の青年である。彼はコージとみぎてとは学部時代からの親友である。根がまじめな彼だから、おそらくコージ達と違って三十分以上前に登校していたのであろう。

「はは、ずいぶん夜ふかししたって顔してるよ。みぎてくんもちょっと眠そうだね」
「えっ、そ、そうか?俺さま平気だけどさ」

 みぎては思わず慌てて赤面した。これはまずい状況である。嘘がつけないたちのこの単細胞魔神だから、このままディレルに突っ込まれれば確実にぼろが出る。あわててコージはフォローをいれた。

「こいつ体力そこなしだから、徹マンしても平気だって」
「徹マンって、みぎてくん麻雀できたっけ?」
「ゲーム機で教えた。一応できる。点計算は無理だけどさ」
「じゃあ今度雀荘いこうよ。知らなかったなぁ」

 傍らの炎の魔神は目を白黒させている。実はみぎてが麻雀を知っているというのは口からでまかせなのである。ああ言う頭を使うゲームをみぎてが知っているとは思えないし、さらにギャンブル(競技麻雀はいざ知らず)をこの単細胞が覚えたら絶対はまって大変なことになるような気もする。ともかく後日マージャン大会をするかどうかについてはあとから考えれば良い問題である。

 コージとみぎての言い逃れに納得しているかどうかは疑問なのだが、ともかくディレルはくすくす笑いながら二人に言った。

「まあ良かったじゃん、コージ。今日はセルティ先生もロスマルク先生も出張だし、研究室で寝ていても平気だよ」
「だめなんだって、ディレル。こいつがお呼びかかってるんだよ、第三講座から」
「あ、そういえば第三講座のゾルキー先生が二人のこと探してたよ。そのことかな」

 同情するような口調でディレルは言った。寝不足がどれだけつらいことかは彼にも良く判るわけである。しかしコージはそれには答えず、眠そうな目をこすりながらみぎてといっしょに向かい側の建物にある第三講座、魔法冶金学研究室へと向かったのである。

 ところが…

*       *       *

「今日は中止ですか…」
「すまんなぁ、二人とも。分析装置が壊れてしまって」

 第三講座のゾルキー教授は蓄えたひげをしごきながら困ったように言った。もともと小柄であるドワーフ族のこの教授はみぎてから見ると背丈はちょうどへそぐらいの位置になる。ドワーフ族が鍛冶仕事が伝統芸であることは有名だが、例に漏れずこの学者も魔法金属工学が専門である。今日はみぎての炎の力をつかって新しい合金を作るとか、そのあたりの実験をしようとしていたのであろう。ところが肝心の実験に必要な分析計器がものの見事に故障してしまったらしい。これではせっかくの「炎の大魔神レンタル」も意味が無い。

 しかしコージは内心ちょっと安心した。実験が中止となれば今日はひまである。さっきディレルが言った通り、研究室にかえってこっそり寝ていても問題は無いのである。いや、そうなってしまうとなんだか寝てしまうのはもったいない。せっかくだからたまには大学をサボって喫茶店とか買い物とかでも行こうか…という気にもなってくる。
 部屋に入るときとはうってかわって元気になった様子のコージに、みぎては不思議そうな視線を向ける。

「コージ、なんだか急に元気になったよな。サボれるのがうれしいのは俺さまも判るけど、眠気がふっとぶってのが何か変」
「そんなん別に気にすること無い。サボれるんだから」

 要するにコージは「サボる」という行為そのものが好きなのである。禁じられた行為だからこそ感じるスリルというか浪漫というか…どういう理由をつけてもよいのだが、とにかくいいのである。これから何をしようか、それともだらだらと無駄な時間を過ごそうか(このこと自体もとてもいい)と考えると、最高の贅沢という気がしてくる。
 研究室に帰った二人は、早速ポットからお茶を入れてソファーに腰掛けた。ビニール袋から菓子パンを取り出しかじり始める。今日は遅刻寸前だったので二人とも朝飯を食っていないのである。

「あれっ、コージとみぎてくん?」

 部屋に入ってきたディレルがのほほんとしている二人を見つけてびっくりする。さっきしぶしぶ第三講座に向かったときの表情とは(特にコージが)まったく違うからである。コージはにやりと笑いながら言った。

「あ、実験中止だってさ。分析装置がぶっ壊れたんだって」
「なんだ、ラッキーじゃん。これで眠れるね…って、もうすっかり起きちゃったみたいだけど」
「まあな。これ食ったら帰ってなんかしようかな。たまにはサボる。」
「たまにはって言うほどたまじゃないと思うけど」

 ぐーたら大好きなコージのことを良く知っているディレルである。こう突っ込まれるとコージもぐうの音も出ない。下手に反論すると墓穴を掘るので、手にしたインスタントコーヒーを飲み干してごまかすしかない。

 ところが困ったことにディレルはこんなことを言ったのである。

「じゃあ今日は僕もサボろうかな…雀荘みんなで行きましょうよ」
「じゃ、雀荘?!」
「…」

 コージはさすがに慌てた。さっき口からでまかせで言ったことが、早くも馬脚をあらわしてしまいそうになったからである。今すぐ雀荘に行くことになれば、みぎてがまだ麻雀をしらないということがばればれになってしまう。となると昨夜なにをしていたのかとか、そういう話になってしまう…コージの頭の中ではピンチという真っ赤な文字がネオンサインのようにちかちかと点滅しはじめる。

「さ、さすがに雀荘はやだって!こっちは徹夜明け」
「あれっ?コージどうして動揺しているんですか?」

 知ってか知らずか(おそらく気がついている?)ディレルは意地悪く突っ込みを入れる。これはますますもってピンチである。さらにこまったことに四人目のメンツが現れてしまったのだからたちが最悪の様相を呈してきた。

「ほらっ、ちょうど良いところに四人目が来ましたよ」
「マジかよ!ポリーニ、麻雀できるのか?」

 ご存知コージの幼馴染、ポリーニ・ファレンスである。例の発明マニアガールといったほうがわかるかもしれない。とにかくいつも珍発明でバビロン大学発明王(女王)(?)の座を巡り、隣の講座のシュリ・ヤーセンと覇を競っている変な女性である。
 彼女はコージ達の方を一瞥すると、当然のように言った。

「麻雀?馬鹿にしないでよ。知ってるに決まってるじゃない!」
「うそぉ…」
「じゃ、たまにはみんなで雀荘いかない?」

 発明ばっかりに凝っているポリーニが、実は麻雀ができると知ってコージは蒼白になった。これではもはやごめんなさいと謝るしかないかもしれない危機的状況と言ってもいい。
 ところが奇跡的のような話だが、ポリーニはまったく麻雀には乗り気ではなかったのである。

「雀荘なんて論外よ。タバコ臭いじゃない。健康にあんな悪いところ無いわ」
「あ、それはちょっと判るなぁ…」

 雀荘とパチンコ屋といえば、一昔前まではタバコの煙がもうもうと立ち込めているものと相場が決まっていたものである。彼女がいやがるのも無理は無い。しかしそれはともかく麻雀は回避できそうである。コージはもろに救われたような表情になった。
 ところが彼女は代わりに変なことを言い出したのである。

「それよりみんなでボウリング行かない?タダ券持ってるのよ」
「ボウリング?」
「タダ券があるって言うのは魅力だけど…」

絵 武器鍛冶帽子

 コージとディレルは顔を見合わせた。このとんでもない発明マニアの性格は二人とも良く知っている。いくら何かの景品とか新聞屋のおまけとかでゲットしたタダ券であれ、彼らをボウリングに無料招待するということなど考えられるわけはない。絶対確実といって良いほどなにか魂胆があるのである。たとえば…また珍発明品の実験台にされるとかである。
 しかし二人がその不安を口にするより前に、さらに困ったことに考え無しの馬鹿が賛成してしまったのである。

「ボウリング?俺さまいったことねぇんだ!行こうぜ行こうぜ!」
「じゃ、みぎてくんは確保ね。当然コージも行くわね、みぎてくん放っておけないんでしょ、どうせ」
「…ちぇっ、しょうがないなあ。ディレルも行ってくれよな」
「ちょっと不安がよぎるんですけど…しかたないですねぇ。麻雀残念だったなぁ」

 そういうわけで、コージ達はボウリングのタダ券につられる形でまたもやポリーニの怪しい実験に付き合うことになってしまったのである。

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