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炎の魔神みぎてくん 熱帯低気圧⑧「お前が俺を呼びつけたんだろ?」

8.「お前が俺を呼びつけたんだろ?」

「追いつけるか?」
「ぎりぎり…きついですね」

 シラサギは落下してゆく風船ハウスを追って、弾丸のように突き進んだ。静まった大気を切る翼の音だけが彼らに聞こえる音である。が、容易に距離は縮まらない。風が無いのだから風船ハウスと彼らの速度差は相当あるはずなのだが、それでも彼らにとっては遅い。遅すぎるのである。今の一秒一秒があたかも永遠の時間であるかのような錯覚に陥りそうになる。

「落ちるのが速い!」
「だめだっ!間に合わない!」

 もはや風船ハウスは海面に突入寸前となっている。おそらく高度は数十メートルあるかないかであろう。彼らがたとえ追いついたとしても二人を救出する時間が取れない。もはや絶体絶命のピンチだった。
 しかしその時だった。コージの脳裏に閃光がひらめいたのである。一瞬だか時間を稼ぐたった一つの手段である。言葉にしている暇は無い…彼はとっさに隣の相棒にしがみついた。それで全てがわかる…この相棒なら…
 そしてみぎてはその思いに行動で答えた。

「みぎて!」
「おうっ!わかってるぜ!」
蒼雷そうれい!ディレル!任せたぞ!」
「えっ?」

 蒼雷たちはコージの言葉の意味がとっさにはわからない。が、彼らが事態を把握するより前に、炎の魔神はコージの体をひったくると、驚いたことにそのままシラサギから空中へと飛び出したのである。

「あっ!ばかっ!」
「コージっ!みぎてくん!無茶な!」

 仰天した蒼雷とディレルだが、荷重を失ったシラサギはさらに速度を増して突き進む。コージたちの重さの分だけダッシュ力がついたのである。しかしあまりのことに蒼雷とディレルは息を呑んで、すさまじい速度で遠ざかってゆく二人の姿を見つめた。が…
 空中に取り残されたみぎてはコージを抱えたまま、突然全身からすさまじい深紅の光を放った。同時に静まった空気を圧する、強烈な炎の精霊力が一気に周囲に広がる。そして巨大な、輝く火の鳥がほの明るい空を背景に姿を見せた。あれこそ炎の大魔神みぎての真の姿、フェニックスだった。

「あれが…みぎての原身かよ!やってくれるぜ!」
「フェニックスの魔神です!二人は大丈夫ですね」

 蒼雷は少し悔しそうな表情を見せてディレルにそういった。あの二人の間に結ばれている信頼の絆は本当に強い。見ていてまぶしいほどである。そうでなければまったく躊躇なく空中に身を投げることなどできようはずはない。それが、少しばかり今の蒼雷にはうらやましかった。操縦席(シラサギの首)にいるディレルも同感なのだろう、まぶしそうな目をして蒼雷にうなずいた。
 二人の無事を確認した蒼雷たちは、再び前を向いた。コージたちのおかげで今や速度を大幅に増したシラサギは、風船ハウスの目前まで迫っている。暗く、そして激しく荒れる海面を背景にして、風船ハウスはふらふらと今にもひっくり返りそうな様相だった。精霊力がなくなって、『スタビライゼーション』の効果も消えかけているのだろう。

「蒼雷君、飛び移ったら風船に精霊力を補給してください」
「あ、それだな!わかったぜ!」

 今や海面に着水寸前の状態で、ついに二人はポリーニの風船に追いついた。本当にぎりぎりである。ディレルのあやつるシラサギは風船ハウスに突っ込むように近づいた。すごい速度で彼らの視界一杯に風船は広がる。

「いまですっ!」
「おうっ!」

 ディレルはシラサギの手綱を引き絞った。するとシラサギは今度は一気に上昇に転じる。ちょうど急降下爆撃である。そして上昇を開始するその瞬間、蒼雷は風の魔神らしく両腕を大きく広げてジャンプする。あたかもそれはオリンピックの体操選手がフィニッシュを決める瞬間のような、それは美しい飛翔だった。美しいが命がけの、まさしく蒼い雷光のような飛翔だった。

*       *       *

 見事な飛翔を決めた蒼雷は、ついに風船ハウスにたどりついた。ちょうど屋根の斜面の部分である。彼は両手でしっかりと屋根の縁をつかみ、振り落とされないように必死に踏ん張った。が、当然蒼雷の重みが加わった風船はその分傾く。

「うわっ!」
「蒼雷君!危ないっ!」

 突然三十度ばかり傾いた風船ハウスの屋根で、蒼雷はずるずると滑り始める。考えてみればビニールシート製の風船は空中の雨に濡れてつるつるである。さらにしっかりとした足場が無い上に風船なのだから弾力まである。見る見るうちに蒼雷は、傾いた屋根の縁で懸垂をするような状態に陥ってしまったのである。
 いや、普段なら蒼雷はこの程度のアクロバティックな動きくらい朝飯前だったろう。しかし今日はそれがうまくない。そう、ここは台風の目の中心なのである。おそらくこの風の魔神は、普段の十分の一も力が出せていない。いつもなら簡単にできる飛行術だって、今はほんの短時間がやっとだろう。それくらい台風の目は彼にとって厳しい環境なのである。
 それになにより余計な精霊力を使っている余裕がない。…さっきみぎてが言ったとおりだった。風の精霊力がどんどん消えてしまうこの「台風の目」で、中途半端に精霊力を使ってしまうと、風船ハウスを浮上させるだけの力が残らないだろう。
 蒼雷は持ち前の怪力で、必死に風船にしがみついていた。が、このままではいずれ一緒に海面に落ちてしまうことは確実である。

「蒼雷君!精霊力を!」
「くくっ…あ、足場がねぇと…」

 いくら蒼雷が風の魔神で、残り少ないながらも精霊力があるといっても、空中にぶらさげられたような状態では力を風船に注ぎ込むことなどできないようだった。いや、よしんば力を注ぎ込むことが出来たとしても、おそらくそのまま力尽きて彼自身が大海原に落下してしまうだろう。海洋種族であるディレルですら泳げないこの大時化の海に、風の魔神である彼が転落しようものなら絶対に助からない。

「せ、せめて風が…」
「蒼雷君!」

 ディレルはもう一度、今度は蒼雷を救おうとシラサギを反転させた。が、もともとさっきのタイミングですらぎりぎりなのである。とても間に合うわけは無い。蒼雷と風船ハウスはそのまま急速に海面へと降下を続けた。大波の先端が蒼雷の足にしぶきを叩きつける。

 蒼雷はその時覚悟を決めた。こうなったらせめて残った精霊力だけでも風船ハウスに注ぎ込み、中の二人だけでも助ける…たとえその後自分が海に落ちようとも。それが鬼神、天乃蒼雷命あまのそうれいのみことの生き方というものだった。しかしなぜ?

(せっかくいい仲間とか、見つかったと思ったのにな…)

 どうしたことかこの魔神の脳裏にはコージや、ポリーニや、ディレルの顔が走馬灯のように浮かんでいた。か弱い人間族の連中だというのに、奇妙なくらい面白い、いい友人になれそうな連中。魔神族と人間族という境を越えて、この小さな人間達は彼のことを無条件で友人だと認識している。そう、なにしろあいつ等は「みぎて」の相棒なのだから。人間界で数少ない同じ魔神仲間、みぎてと。
 いや、コージとみぎてだけではない。ディレル、そしてなにより今回の騒ぎの元凶ポリーニ…いつだって彼らは蒼雷に体当たりでぶつかってくる。だから…

 蒼雷はついさっき見たみぎてと、そしてコージの空へのダイブを思い出していた。
 そう、蒼雷はコージとみぎてがうらやましい。相手のことを無条件で信頼している彼らの間柄は、まぶしいくらいにうらやましかった。その事実を確かめ合うために、彼らが今までどんなことを経験してきたのか、蒼雷には想像も出来ない…が、おそらく今彼がしようとしているような決断を、何度も繰り返してきたのだろうということだけは確信していた。そんな強い絆で結ばれた二人をうらやましくないはずは無い。そして…
 今や蒼雷にとっては、せっかく知り合えた、親友になれそうな仲間たちをこんなことで失うのが恐ろしいことだった。それは彼にとって自分が死ぬかもしれないということよりも恐ろしい…少なくとも今の彼には、たったそれだけで、いやそれだけだからこそ、全てを賭ける価値があると思えたのである。もちろんさっきポリーニが同じことを思い、ヴィスチャだけでも救おうとしていたなどとは気づくはずもなかったのだが…図らずとも二人は同じ思いを共有していたのである。
 蒼雷は最後の力を、風船ハウスに彼の残された全ての力を注ぎ込むため、大きく深呼吸をした。そしてたった一人で海の藻屑となる…しかし。

 しかし、だからこそ彼は一人ではなかった。仲間が、彼が大切に思い、守ろうとした親友達が蒼雷にはいるのである。

 その時…深紅の閃光が海面全てを染めた。

絵 武器鍛冶帽子

「いけっ!みぎてっ!」
「みぎてくん!」

 間違いない…それはみぎてが放った強力な火炎呪文だった。天空に舞う炎の鳥から放たれた輝く炎は、あたかも落ちてきた太陽の矢のように天と海とを金色に染めて、まっすぐに蒼雷たちの真下の海面に突き刺さる。そして次の瞬間海は沸き立ち、激しい純白の湯気となって真上に吹き上がった。風船ハウスは湯気の柱に支えられ、木の葉のように再び空中へと舞い上がる。
 そして…激しい上昇気流は蒼雷に再び風の力を、最後の貴重な力を与えたのである。

「おっしゃあ!」

 最後の、本当に最後のチャンス…蒼雷はこの一瞬を逃さなかった。彼は風船の弾力を利してわずかに跳ね上がると、みごとに体勢を立て直す。そしてたった今みぎてとコージが作ってくれた、彼らの思いがこもった風の力を一気にポリーニの箱舟に向けて流し込む。風船ハウスは乾いたスポンジに水がしみこむかのように蒼雷の精霊力を吸い込むと、淡く光を発した。そして…
 今まで力を失い、落下を続けていた『スイートラベンダー丸』は、緩やかに、しかし確実に上昇をはじめたのである。

*       *       *

「いい加減にしろっ!どんだけ心配かけたら気が済むんだよ!」
「ごめーん!ほ~んっとにごめんなさいっ!今回ばかりは恩に着るわ」
「アニキ~」

 無事風船ハウスから救出されたポリーニは、今回ばかりはさすがに参ったのだろう。かんかんに怒る蒼雷たちにぺこぺこ謝りっぱなしだった。幸いヴィスチャともども全く怪我は無い。まあたしかにでっかい風船にすぎないのだから、少々飛んだりはねたりくらいでは怪我をしないというのは至極当然な結果である。晴れた日ならちょっとした空中散歩といったところであろう。
 が、もちろん今回のようなとんでもない実験…遭難寸前の騒ぎだけは冗談ごとではない。あれだけディレルやコージが危ないと反対したにもかかわらず、いつもの調子で強引に実験を強行し、案の定こんなさわぎとなってしまったのだから大いに反省してもらわないと困る。特によほど蒼雷は心配だったのだろう。二人を殴らんばかりの剣幕だった。これにはポリーニどころかコージたちも驚くほどである。無論筋肉むきむきの風の魔神に真っ向から殴られたら、せっかく助かった命が消し飛んでしまいそうな気もするので、後ろでみぎてがしっかりと止めていたのだが。

 既に大雨はすっかり過ぎ去って、台風一過の青空が広がっている。台風などというものは、いったん上陸してしまえば急速に勢力は衰えるものだし、それに西風に乗ってあっという間に去ってしまうのであるから、昼過ぎにはうそのような爽快な天気になっていた。もちろんまた風のほうはかなりつよいのは当然のことなのだが…
 彼らはバビロン郊外の国道沿いの、ちょっと高級なファミリーレストランにて反省会を開いていた。昨夜に引き続きファミリーレストランというのは、いささか面白みにかけるのだが、学生の経済力ではいたしかたない。それになにしろポリーニのおごりである。

「ほんと、ちょっと今回はきつかったよな。このメンバーじゃなかったら絶対ダメだったぜ」
「そうですよポリーニ、ラッキーですよホントに…」
「わかってるわよぉ~。だから謝ってるじゃないの。ほら飲んでよ。あたしのおごりなんてめったにあることじゃないわよ」

 そういいながらポリーニは(非常に珍しいことだが)全員にビールを注いでまわる。やはり相当反省しているのだろう。そんな彼女の様子があまりに意外なので、思わず笑ってしまいたくなるほどである。

「でもしみじみ大事に至らなくてよかったですよ。学校にばれたらポリーニ、退学確実でしたね」
「っていうか俺たちも巻き添え喰うって。誰も見てなくてよかった」
「ほんっとにごめんなさい!悪かったわ!」

 ポリーニはさらに痛いところを突かれて参ってしまったようだった。いくら彼女でも明らかに無謀な実験(台風のまっただなかで実験をするなど無茶もいいところである)を強行して、けが人を出したとなると退学確実である。それを考えると、彼女にはもっと恐縮してもらってもかまわないくらいだろう。
 幸い大嵐だったということで、彼らのむちゃくちゃな実験を目撃していた人はいないと思われる。それに誰にも怪我もなく、無事『スイートラベンダー丸』も回収して戻ってきたのだから、まあなんとか取り繕うことだけはできそうだった。
 一方のヴィスチャのほうは、これも意外と元気なものだった。まあ言ってしまえば今回の騒ぎについては、ヴィスチャは主犯ではない。もちろんこいつが精霊力を気軽に(いたずら半分で)つっこんだものだから風船ハウスが空を飛んでしまったのだが、それはせいぜい共犯程度である。まあもっとも事態はさすがに把握しているらしく、最初に比べるとかなりシュンとしている。

「ヴィスチャもこれでわかったろ?人間界っていろいろ危険なんだからさぁ。俺の言うこときちんと聞かないと…」
「うん…ごめーん」
「…危険って…」
「…それ誤解を招く発言ですよ蒼雷君。こんな危険はちょっ…うぐっ」
「しっ!金髪、黙ってろ!」

 蒼雷の妙な発言にコージもディレルも思わずのけぞってしまう。ポリーニのとんでもない実験に巻き込まれる、といったトラブルが人間界にごろごろしているというのは、明らかに誤解を招く発言である。が、蒼雷はディレルの口をあわててふさいで反論を封じる。どうやらヴィスチャに多少お灸をすえたいのである。が、魔神のバカ力で口を封じられたディレルとしてはたまったものではない。
 しかしそこまで言って、蒼雷はからりと笑顔になった。もう気は済んだ、という笑顔である。

「ま、もういいぜ俺は。ともかく二人が無事だったからさ」
「あーっ、甘い。劇甘っ!さすが蒼雷。結局そっちか!」
「蒼雷君、ほんとに女子に甘いんですねぇ。みぎてくんもそうだけど、魔神ってみんなそうなのかな…」
「えっ?俺さま?蒼雷ほどじゃねぇって。」

 普段から痛い目を見ているコージやディレルは、とどめの蒼雷の大甘発言に思わず笑い出してしまう。前々からみぎてもそうなのだが、この二人の魔神に全く共通している点は「女性にたいそう甘い」という点なのである。やはりさっきの剣幕は、結局のところ蒼雷が本当に彼女のことを心配したということの裏返しなのだろう。表情の端々からそのことが誰にでも(鈍感なみぎてにすら)良くわかる。
 ともかく蒼雷のこの一言に、彼女は生き返ったように笑った。

「でもさすが蒼雷君ね!あたし絶対助けに来てくれると思ったもの」
「そ、そりゃあなあ。さすがに俺だって…」

 仮にも女性に(今回の大事件の主犯という事実は別にして)甘い言葉をかけられたものだから、蒼雷は思わず真っ赤になって照れた。みぎてやコージ、ディレルたちも散々骨を折ったのだが、そんなことは二人とも眼中にないようである。
 こんな熱い発言を聞かされれば、当然ヴィスチャはお約束どおり突込みを入れることになる。

「やっぱりアニキの彼女なんだ!やったっ!」
「えっ、ええっ?いつの間に勝手に…」
「やっぱりなぁ、道理で熱心だと思ったぜ」
「まあ噂はありましたけどね。こういうことで見せ付けられると困っちゃいますね」
「ぐはぁ!」

 蒼雷は真っ赤な顔になって大慌てするが、周囲の誰も救いの手を差し伸べようとはしない。もはやこの段階で蒼雷はポリーニの共犯者なのである。男女の仲は干渉しないのが礼儀だから、コージたちは遠巻きにして二人の恋を祝福するわけである。あっという間に追い詰められた悲鳴を上げて蒼雷はヴィスチャにあたる。

「ヴぃ、ヴィスチャ、お前何彼女に吹き込んだ!」
「なにも~。きっと助けに来てくれるよって言っただけだもん」
「ええっ、もっと何かあることないこと言っただろ?じゃないとこんな…」
「アニキ、もたもたしてると彼女待ちくたびれちゃうよ。そしたら発明おばちゃん、オイラが…」
「ませガキはもっと筋肉ついてからよ。まだ早いわね。それからおばちゃんじゃなくておねえさま!」

 いくら蒼雷があわてたところで、話は一方的に進んでゆくようである。単細胞魔神などでは勝ち目があろうはずはない。蒼雷は困り果てて目の前のビールを一気に飲み干した。
 が、その時である。コージがとんでもない事実を発見したのである。

「…ほんとにお前等引っ付いたら、ヴィスチャは甥っ子になるじゃん。ポリーニおばさん」
「うっさいわねコージ!あたしはまだ二十四歳よ!」

 おばちゃん呼ばわりだけは断固として拒否したいポリーニは、思わずコージに状況も忘れ真っ赤になって噛み付いた。コージやみぎては大慌てする蒼雷とポリーニに大爆笑である。そんな笑いの渦の中で、ディレルは蒼雷に耳打ちした。

「まあともかく蒼雷君、今夜はポリーニを家まで送ってくださいね。ヴィスチャは僕が連れて先に帰りますよ」
「あ、ああ。そうだな。送ってくぜ、ポリーニ」
「ほんと?無理しなくても…」

 さっきとはうって変わって、あまりに自信のなさそうな表情を見せるポリーニである。あれだけ迷惑をかけたのだから愛想を付かされても仕方がない…彼女の気持ちは誰にだってわかる。しかし蒼雷はそんな彼女に苦笑して言った。

「そりゃ、お前が俺を呼びつけたんだろ?それくらいさせろよな」

 するとポリーニは返事の代わりに、無言で蒼雷の手を握ったのである。

(おわり)


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