見出し画像

楊範・鄭令蔓伝 壮途編 五「禹王の塚がどうしたのか?」

五「禹王の塚がどうしたのか?」

 馬の上でテレマコスはもうひどい状態であった。揺れる。とにかく馬の背中に揺られるというのが頭に非常に響く。テレマコスは馬という振動の激しい乗り物に乗るということなどそもそも慣れていない。いや、これも酒のせいである。
 会稽山参りは普通の場合徒歩で朝早く出て昼前に山登り、夕方には帰ってくるというコースなのである。ところが昨日のらんちき騒ぎのせいで、すっかり寝坊してしまったのが敗因だった。往復を馬でしなければならなくなってしまったのである。

 実は元々テレマコスは乗馬が得意ではない。普段旅行となれば、魔法使いらしく飛行呪文でゆくのが普通だった。テレマコスの強力な飛行呪文ならヤン達全員を乗せて飛ぶことなどわけもないことである。
 ところがこの中原ではあまりテレマコスのような魔法使いはいない。いや、そもそも「魔法学者」というもの自体が中原ではいないのである。中原で知られている術者といえば「道士」だの「仙人」だのである。彼らの魔法はテレマコス達魔法学者の使う魔法とはかなり系統が違う上に、その人数も少ないようだった。ということで、この中原では魔法を見せびらかすとどんなトラブルを招くか判らない。
 そういう理由もあってテレマコスは極力魔法を使わずに行こうと決めていた。となれば結果、会稽山参りも馬で行くということになってしまったのである。

「テレマコス殿、大丈夫ですか?」
「い、いやいや、これしきのこと…」

 いささか蒼い顔をして答えるテレマコスだが今一つ説得力がない。向こう側のリンクスは苦笑して言った。

「飲みすぎですよ~、もう三十歳まわっているのに学生みたいな飲み方するからですって。」
「そ、それはその…反論できぬが…」

 いいかげん大魔道士らしい風格とかそういうものが出てきてもいいはずなのだが…テレマコスは自分で自分のことを笑ってしまった。ひょっとするとノリは年齢より若いかもしれない。第一いまだに魔道士らしい黒ローブが苦手で、普段は探検家風の服ばかりを着ているところなど、どこかの駆け出し魔道士と変わらない。これでは隣にいるヤンやユウジン(彼の年齢はまだ良く判らないのだが)のほうがむしろ落ち着いて見えるほどである。まあ実力とノリはまったく別の話なのだが…

*       *       *

 会稽山に向かう道中の景色は悪いものではなかった。会稽郡から一歩出ると周囲は田園…それも水田地帯である。ユウジンやヤンにとっては見慣れた風景だが、テレマコスやリンクスにとっては珍しい。テレマコス達の住んでいたサクロニアでは水田よりも小麦畑のほうが普通だからである。だから特にリンクスなどにとってはこの…「池の中に草が植えてある」という光景はかなり物珍しいものだった。
 しかし少し注意してみればわかることだったが、ちょくちょく使われていない荒れ果てた田んぼがあるのである。もう六月にもなるというのに耕作された様子もない。休耕地なら休耕地で、地面が堅くなりすぎないように手入れをするものである。不思議に思ったテレマコスは傍にいたユウジンに聞いてみた。

「あれは休耕地ですかな?だれも耕してはおらぬようですが…」

 ユウジンはわずかに苦い表情を見せてテレマコスに答えた。

「いや、そうではないでしょう。多分…働き手が足りないのだと思います。」
「…」

 テレマコスはユウジンの答えを聞いて自分の質問が愚問であったことに気がつき赤面した。当然のことである。わざわざ開墾した田んぼをほったらかしにするわけはない。これはおそらく働き手を兵役か何かに取られたせいで、耕すことができなくなってしまったのである。数年前から続いている戦乱でこの会稽郡も随分税金や兵役が厳しくなっていた。百二十年間続いた共工(きょうこう)氏の王朝の崩壊後、新政権を樹立した祝融氏の劉衛とそれを認めない各地の豪族のあいだで内戦が続いていたからである。特に北方では何度も激しい戦闘がくりひろげられていた。比較的平穏なこの会稽郡ですら群盗が街道を往来しているほどである。それを念頭に入れればこの荒れた田んぼの正体は自ずと判るものである。

「豊かなここ会稽郡でこのありさまです。これからどうなることか。」
「そうですな…うむむ…」

 テレマコスはそういいながらヤンのほうをちらりと見た。金髪の拳法家は表情を見せたくないかのように堅い顔をしていたが、わずかに…その瞳に悲しみのようなものが光っていたのが、テレマコスの目にははっきりと見えたのである。

*       *       *

 会稽山の麓についたのは午後もかなり回ったころだった。やはりテレマコスの寝坊がたたったのである。いや、さらに二日酔いのせいもあって、馬もそんなにいそがせるわけにはいかなかったのだから、この時刻になってしまうのはしかたがないことだった。

 登山口にある杭に馬をつないでから、4人は山道を昇り始めた。この時刻からでは中腹にある禹王の社についたころには夕暮れ時になってしまう。ましてや山頂などとても日のあるうちにたどり着くことは無理な相談だった。しかたがないので禹王の社だけ見て帰ろうという、まあよくある結論にまとまったのである。二日酔いもようやく落ち着いてやっと元気になってきたテレマコスが「何も見ないで帰る」というのをいやがった、というわけだった。

「テレマコスさん、帰りは来たときみたいにゆっくりってわけには行きませんよ。」
「わかっとるわかっとる。まあいざとなればなんとかする。」
「?…」

 リンクスはテレマコスの「なんとかする」の意味が判ったらしい。「いいのかぁ」というように苦笑する。何の事か判らないヤンは不思議そうにテレマコスをみたが、この魔道士は至ってまじめな顔をしてふうふういいながら山道を登っているわけである。リンクスはヤンに耳打ちした。

「ヤンさん、テレマコスさんはいざとなったら飛行呪文で帰りましょうといっているんですよ。」
「飛行呪文?空を飛ぶ術のことか?ではテレマコス殿は仙道士かなにかなのか?ふむ…」
「ふう、いや、まあ似たようなもんだが…」

 テレマコスは曖昧に笑っているしかない。「魔法学者」と「道士・仙人」はワニとカメ、ハトとムササビくらいの違いはある。(どちらがワニでどちらがカメなのかは意見が分かれるだろうが…)同じ「魔術の使い手」くらいしか共通点がない。しかし「魔法学者」が知られていないこの中原では違いが判らなくても関係はない。ともかく「飛行呪文」のおかげで少しくらい遅くなっても街まで帰ることができるのである。
 そんな具合で雑談をしながら一行はついに会稽山の中腹「禹王廟」へとたどりついたわけだった。

*       *       *

 「禹王廟」というのはかなり年代物の建物で、結構大きなお社だった。山門から庭に入って行くと左右と正面に建物が立っている。正面は明らかに拝殿だった。黄色く塗られた龍の彫り物が柱になっているのが中原らしい。向こうには柵があって「立ち入り禁止」となっている。どうもそこは墳墓が有る場所らしい。
 当然の事ながら「中原の礼儀作法」どおりヤンとユウジンは拝殿の前で三拝九拝する。「禹王」といえば聖人も聖人、聖天子として中原では崇められる王者である。丁寧な拝礼をするのが作法だろう。
 もちろんテレマコスやリンクスもヤン達のまねをしてそれらしい格好はするのだが全然さまにならない。知らないのだからしかたないのだが、こういう場所にくると判っているのだから少しは予習してきてもよさそうなものである。

 さて、テレマコスは拝礼もそこそこに早速…これはかなり失礼なことなのだが、こっそり「魔法分析」の呪文を使って社やそこらあたりの結界やらを調べ始めた。まあ「学術調査」といえばそうなのだが、聖なるお社と考えればあんまり感心する話ではない。こういうところはこの魔道士は根っから「魔法学者」というわけである。何をしているのか判らないヤンやユウジンは首を傾げているだけだが、リンクスは(いつものことだと判っていても)半分困って頭を掻いている。

「テレマコスさんはいったい何を始めたんですか?リンクス君。」
「あ、いえ、なにかちょっと調べ始めたみたいです。その、ここの社がいつごろ出来たとか、そういうことを調べる魔法らしいんですが。」
「そこの看板に書いてあるように思うが…」
「えっ?うん…でもテレマコスさん自分で確かめないと気がすまない人だから…」

 という調子だった。もともと口が下手なリンクスだから、このまま質問責めにあってはいずれぼろが出るのは確実である。あわてたリンクスはとっさに話題を変えた。

「ところでヤンさん、ユウジンさん、さっきから気になっているんですが…」
「どうしたんですか?リンクス君?」

 突然の話題の変化にヤンはちょっとついていけなかったらしい。少しばかり混乱したような表情になった。リンクスはしかしかまわず話を続ける。

「お社の後ろのあの洞穴なんですけど…ほら、扉のところ…」
「禹王の塚が?」

 リンクスの指さす先には拝殿の後ろの…山の斜面にある「横穴式の墳墓」がある。ちゃんと柵で閉鎖されて、石の扉まであるところを見るとあれが禹王のお墓なのだろう。すくなくともヤンやユウジンには普通の墳墓に見える。
 ところがリンクスは不審そうに言った。

「あの入り口のところ…扉が開いているみたいです。そんなに出入りするところなんですか?お墓って…」
「なんだって?」

 そもそもお墓にちょくちょく出入りするわけがない。ましてや聖人禹王の墓である。恐れ多くも墓の中に入るなどそう考えられる話のわけはなかった。ヤンとユウジンは顔を見合わせ、それから急いで墳墓の傍まで近づいてみた。
 するとたしかに…拝殿の前からでは良く見えなかったが、柵の向こうの扉はあきらかにわずかではあるが開いていたのである。

(6へつづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?