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楊範・鄭令蔓伝 壮途編 十一「見過ごせと言うのは無理です」

十一「見過ごせと言うのは無理です」

「間違いなさそうです。王氏の一味が帝国とつるんでいるようです。」
「おお、ユウジン殿のおっしゃる通りか。」

 リンクスは二、三日の間子載の屋敷を探った末、そうはっきり断定した。ユウジンやヤンが驚くことに、どうもこの少年剣士は子載邸に何度か忍びこんだらしい。証拠としてちゃんと「白い麻薬」を少々盗み出してきたのだから大変なものである。こいつにかかってはもう警戒網もなにもあったものではないらしい。

「驚くばかりだな、リンクス君は…」
「いやいや、実は私もいつも舌を巻きますよ。」

 驚き呆れるヤンにテレマコスは苦笑しながら答える。テレマコスにとってはいつものことなのだが、それでもこの少年剣士の忍び能力はすさまじい限りである。事情を知らないヤン達が驚愕するのもあたりまえのことだろう。
 掛け値なしに誉めちぎられているリンクスだったが、当の本人はうれしそうな顔一つする様子はない。いつものことだからというより、「それが仕事だから」という表情である。かわいげないとも言えるのだが、これは当人の性格なのだからしかたがない。
 とにかくリンクスは首を横に振って話を続けた。

「それで問題は近日中に競売会をおこなうってことなんです。」
「競売会か!なるほど…」

 せっかくの帝国から輸入した「高級麻薬」である。出来るだけ高値で売りさばきたいというのであろう。わざわざ密売人の間で競りをするというのは判りやすい。意味することはつまり…連中が動く時が近いと言うわけだった。何かちょっかいをかけるチャンスがあるとしたらその時である。何か仕掛けるとすれば、だが…

「さて、改めてうかがいますが、ヤン殿…」
「…」

 テレマコスは覚悟を確かめるようにじっとヤンの目を見た。引き下がるならここが最後のチャンスである。少なくともテレマコスと帝国との戦いに巻きこまれることだけは避けることが出来る。たとえいずれ帝国がヤン達の前に立ちふさがってくることは確実であっても、今ここで戦いを始めると言うのとは事情がまったく違っているだろう。
 しかしヤンはにっこりと微笑むとテレマコスに答えた。

「テレマコス殿、このまま見過ごせと言うのは無理です。」
「しかし…」
「ご存じかわかりませんが、私達龍法戦士の本山は、かつて伽難かなん国の連中に滅ぼされました。『伽難国』…奴ら帝国とはとっくの昔に戦端をひらいているのです。」
「…うむむ…」

 「恩恩讐讐」…激烈な中原の言葉がヤンの胸を去来した。竜門山の龍法戦士達を滅ぼした帝国を許すことは出来ない。そしてまたこうして再び中原の人々を食い物にしようとする奴等を黙って見過ごすことができるわけはない。
 テレマコスはヤンの静かな、しかし烈迫の気迫に息を飲んだ。先の大乱で龍法戦士が伽難国に攻撃され、総本山が焼き尽くされた話など、つい先頃中原に来たばかりのテレマコスが知るわけはない。しかしいま、ヤンの立場を知ったことでテレマコスには、もはやこの拳士を止める気持ちは無くなった。
 ややあってテレマコスはうなずくと言葉を続ける。

「判りました。それでは…今回は子邑しゆう殿に相談すべきです。」
「?…」

 先日までは関氏の当主子邑に話を持って行くことに難色を示していたテレマコスである。予想外の意見にヤンもユウジンも面食らった。しかしテレマコスはそんな二人の様子など意にも介さない。

「ヤン殿も私も次は奴等に手ぬるいことをするつもりはない。麻薬を見つけ次第、攻撃をかけるくらいのことをするつもりはあります。しかし…」
「…」
「おそらくそうなれば向こうも必ず報復を図るでしょう。その時にこの関家が襲われる可能性が高いのです。今のうちに関氏を通じて味方を増やしておくか、それとも我々が関氏を巻きこまないようにあらかじめここを立ち去るか、どちらかを選ばねばなりますまい。」
「ううむ…」

 ヤンはうめき声を上げた。内心は考えていたこととはいえ、「巻きこむ」という言葉を聞くとさすがにわずかな抵抗感がある。いや、もはや子良の部下がやられたとなれば既に関氏を巻きこんでいるのである。いずれにせよ事情を関氏に話さざるを得ない時期に来ているのは間違いなさそうだった。関氏と王氏の私闘…それはヤンが望むと望まざるに関わらず既に始まっていたのである。
 ヤンは静かに、意を決したように言った。

「判った。とにかく今から当主殿に話そう。すべてはそれからだ。」

*       *       *

「ははは、楊範将軍、そして皆さん…私にいつ話してくださるのかと思っておりましたよ。」

 関子邑はヤン達に豪快に笑った。関家の敷地の真ん中にある正殿の中央広間でのことだった。テレマコスはもちろんのこと、ヤンやユウジンだってほとんどここには入ったことが無い。隣には関氏の祖先を祭る廟もあるのであるから、結婚式や葬式のような関氏の一族に関する重要な儀式を行うという、そういう部屋だった。

「息子から既に大まかな話は聞いてあります。いや、息子が約束を破ったと言うのではない…私が先に気がついて問い正したのですけれどね。族人の怪我や事故くらい、当主が知らないでいるわけにはいきませんよ。」
「申し訳無い。」

 子邑はいたずらっぽく笑う。この大物豪族は見かけよりもずっと細かいところまでちゃんと一族や部下の面倒を見ているのである。今更ながらヤンもテレマコスもこの初老の男の実力と人物を見直さざるをえなかった。
 ヤンは子邑に改めて事情と、更にユウジンやリンクスが集めてきた情報をかいつまんで説明した。ユウジンが聞きつけた情報まではどうも子邑は自分自身の情報網で知っていたらしいが、リンクスが王氏の屋敷にまで忍びこんで証拠を奪ってきたと言うところまでくると、さすがに驚かざるをえないらしかった。そしてテレマコスが「白い麻薬」を見せると子邑は首を横に振り、深い憂慮の念を面に現した。

「中原の恥と申して良い。いや、私も豪族、裏の社会もよくしっている。きれいごとは言わん。しかし中原の民を裏切り外国に組するとは、これは同じ暗部の人間として…恥だ。」

 子邑の怒りの声は部屋全体に響き、隣の宗廟にまで届くほどだった。いや、これはあえて子邑が祖先に対してこの恐るべき事実を耳に入れ、これから始まる闘争へ祖先の加護を呼び起こそうとしてのことかもしれない。ヤンはあえて子邑がこの部屋を選んだ理由がようやく判った気がした。そう、子邑は関氏一族を挙げてヤン達を助けると言うことを神霊に告げるためにこの部屋を選んだのである。

「とにかく楊範将軍、我らは王氏といつでも事を構えることが出来るように準備します。近隣の村から族人を集めておかねばならない。」
「子邑殿…」
「ですから将軍は御存分に。一旗揚げるならばこれが好機かもしれませんぞ。」

 子邑はニヤリと笑ってヤンの肩を叩いた。その表情は「ヤンが決してこんな所で終わるとは思わない」という期待がありありと浮かんでいる。ヤンは子邑のそんな視線に困惑したが、この場はありがたくその気持ちを受け取っておくことにした。

「それではヤン殿…」
「ああ、いよいよ俺達の出番だな。次の帝国からの麻薬便を襲う。奴等は必ずまた運んでくるはずだ。あの怪物を使って…」

わずかに緊張したようにヤンはその黄金色に輝く独特の頬髭を震わせた。ユウジンがうなずいて同意すると、それが彼らの戦いの合図となったのである。

(12へつづく)

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