見出し画像

炎の魔神みぎてくん 熱帯低気圧⑥「秘密よ秘密。はい、お小遣い。」

6.「秘密よ秘密。はい、お小遣い。」

 風船ハウスはゆらゆらと空中に舞い上がると、嵐の翼に見事に乗って南西の方角へとふわふわと飛んでゆく。といっても雨雲が低く垂れ込めているこの状況だし、なにしろまだ日が出る前である。その白い姿はもうまもなく見えなくなってしまうことは確実である。

「コージ、やべぇよ!どうする!」
「追いかけるぜっ!お前等!」
「ってこの嵐の中どうやって追いかけるんですか蒼雷そうれい君!あっ!無茶ですって!」
「ぐはっ!」

 突然起きたあまりに予想外の事態に、蒼雷は完全にパニックになってしまった。いや、蒼雷だけではない。コージもみぎてもこれにはあわてる。ましてやディレルなどはもともと大反対だっただけに、蒼白な顔をして倒れてしまいそうである。が、それにしても蒼雷とみぎてのパニックぶりは半端ではない。
 もともと騒がしいというか落ち着きの無い二人の魔神なので、それこそ頭のてっぺんから湯気が出そうな(みぎての場合は実際に湯気が出ている)混乱状態に陥ってしまった。蒼雷にいたっては、この嵐の中を無防備で飛び出そうとして、突風にあおられあっさりこけてしまうありさまである。いくら風の魔神だから自力で飛行できるといういっても、この暴風では無茶である。こんなありさまではとても二人の救出作戦など浮かぼうはずは無い。
 が、それでも具体的な(そしてまともな)対応策を最初に言い出したのはコージだった。

「蒼雷、あいつだよ。あの鳥」
「えっ?何言ってるんだよ」

 蒼雷はとっさにコージが何を言っているのかわからない。既に脳内が完全混乱状態なのである。鳥といえばこの時点で当てはまりそうなのは一つしかない。コージは困った顔をして蒼雷に言った。

「駐車場に待たしてるだろ?自家用シラサギの精」
「あ、天の鳥船アマノトリフネ君でしたっけ」
「え?無理だぜこの強風じゃ。風の魔神の俺がこけるんだぜ!いくらあいつでも…」

 蒼雷はあわてて首を横に振る。たしかにあのシラサギの精霊ならば彼らを乗せて空飛ぶ風船ハウスを追いかけることは出来るかもしれない。天候さえ普通ならば…である。しかし今のような荒天も荒天、風速二十五メートルの嵐の中を突っ切るとなると話が違う。蒼雷同様風に巻かれてきりもみ墜落しかねない。
 しかしコージは食い下がった。

「んなこと言ってる場合じゃないだろ?二人の命がかかってるんだし、チャンスがあるとすればあいつしかいない。」
「そ、そりゃそうだけどさ…おっかける俺達が墜落したら意味無いぜ」
「蒼雷、風の魔神や風属性の精霊が嵐で死亡なんて聞いたことない。かえって今の方が精霊力はあるんだろ?」

 びしりと急所を突くコージの指摘に、蒼雷はぐうの音も出ない。たしかに風の魔神が嵐で遭難など恥ずかし過ぎる話である。(もっとも、さっきしっかり転んだところを見てわかるように、風の魔神だからといって嵐で遭難しないという保証は無いのだが。)魔神のつぼを誰よりも知っているコージならではの説得術だろう。なにより他に手段が無いのだから、ここで二の足を踏んでもらうわけにはいかない。
 それにコージといっても、むやみやたらに危険を冒すつもりはない。

「ディレル、あの風船にかかっていた『場所の安定スタビライゼーション』の魔法、知ってるか?」
「あ、あれそうだよね。うん、わかるよ。二人でやればかなりの大きさまでカバーできる。」

 コージのアイデアにディレルは生気を取り戻して、力強くうなずいた。あの風船ハウスが強風の中転覆しなかったのは、風船に『場所の安定スタビライゼーション』という魔法が仕込んであるからなのである。それほど難しい魔法ではない。普通は魔道士(コージたちの場合はまだ卵だが)が物にかけて使う。効果はせいぜい一時間が限界である。もちろんあの風船ハウスの場合は同じ効果を持った魔法工学製品であるから、魔力を補給してやれば何時間でも持つはずである。
 が、ともかく肝心なのはコージもディレルも、実は同じ魔法を使うことが出来るということだった。これなら彼らが乗ったシラサギを暴風から保護して、嵐の中追跡を強行することができるのである。

「おっけー、なら行けるなっ!」
「蒼雷、シラサギつれてきてくれ。みぎてはポリーニたちの場所を!」
「おう、まかせとけっ。向こうにも魔神がいるし、あれだけの精霊力なら相当遠くまで追っかけられるぜ」
「僕達は『スタビライゼーション』の術式を起こしますよ。すぐ準備できますから」

 決断してしまうと彼らはすばやい。さすが魔神二人を擁するコージたちである。彼らは今までのパニックはどこへやら、いっせいに行動を開始したのである。

*       *       *

 でっかいシラサギの精霊「天の鳥船」が、全力疾走(鳥の走り方だから当然ひょこひょこである)で現れると、コージたちは大慌てでその背中によじ登った。が、明らかに狭い。名前こそ立派だが、どうもこいつは軽自動車クラスらしい。良く見ると首から提げているナンバープレートの裏に「定員4名」としっかり書いてある。大柄の魔神が二人も乗っているのだからますます狭く感じるのも仕方は無い。(昨日バビロン市内を五人乗せて走り回ったのは違反なのである。)
 シラサギは明らかにいやそうな顔を(四人もよじ登ればさすがに重いのだろう)するが、それでもコージとディレルが『スタビライゼーション』の魔法を投射すると、この荒天に臆する様子も無く助走を開始した。

「しっかりつかまっとけよ!結構ゆれるからさ」
「わかってる!運転頼むぞ」

 プールの横の道路からグラウンドをまっすく突っ切って、シラサギは見事に風に乗り空中に舞い上がった。普段より荷物がずっと重いので、助走距離も余計に必要だったのだろう。しかしぐんっと力強く空中に浮き上がる感じは、さすがは霊獣といったところである。

「しかしこの鳥、良くこの嵐で承知してくれたな。蒼雷」
「さっき俺が手短に話したんだけどさ。最初はさすがにいやがって大変だったぜ」
「あ、こいつも言葉わかるんだな。うちの『目玉』と一緒か」
「これだけでっかい霊獣なんですから、人語を解してもおかしくないですよね」

 コージたちの雑談に返事をするようにシラサギの精はうなずく。やはり霊獣ともなると姿は動物精霊でも、立派に人語を解するらしい。まあコージたちの飼っているペット(サッカーボールくらいの一つ目の蛸のような怪物である。「目玉」という名前である。)も明らかに彼らの言葉がわかるということを考えると、これだけでっかい精霊ならば、それくらいは当然なのかもしれない。
 彼らを乗せたシラサギは見る見るうちに高度を上げていった。あきらかに周囲の風速は暴風状態である。が、コージたちの『スタビライゼーション』の魔法で、もみくちゃになるということはない。普通ならこんな暴風で飛行するなど自殺もいいところである。もっとも旅客機のように「安定飛行」というわけにはいかないようであるが…

「わぁっ!」
「ちょっとエアポケット!やっぱり気流がむちゃくちゃだぜ」

 突然カクンと高度がおちたり、また横に流されたりと、さすがのシラサギでもかなり苦しい飛行のようである。そのたびごとにコージたちはちょっと悲鳴を上げる。コージにせよディレルにせよ、こういう飛行体験は決して初めてではないのだが、ここまでゆれる飛行は始めてである。
 しかしなんにせよコージたちは、眼下にバビロンの街並みが見える高度数百メートルまで上昇した。飛行機ならばまだ全然低空飛行なのだが、鳥なのだからこんなものである。

「みぎて、ポリーニたちの方向は?」
「えっとな。あっちだ。もう結構距離あるぜ」

 みぎてが指差す方向は、バビロン市からはやや南よりの西である。風向きからいってもおかしな向きではない。まああの風船は自力で推力を持っているわけではないだろうから、風に乗ったままふわふわと漂うことしかできない。ということはこのまま彼らも風に乗って追いかけてゆけば、シラサギ自身の速度の分だけ接近できるということである。
 ディレルは懐から小さな地図を取り出して、そこにペンで印をつけた。(雨雲の中でぐちゃぐちゃになっていないのだから、おそらく耐水紙に印刷された地図なのだろう。もっとも彼らトリトン族はもともと海に住んでいるのだから、印刷物は耐水紙なのはあたりまえかもしれない。)

「台風の中心は今、海岸からちょっと南の沖合いですから…ポリーニたちの進路はこれから南よりに曲がりますね。えっと…」
「えっ、すげぇな金髪!予想できるんだ!」
「うーん、ちょっとくらいは知ってますよ、気象学」

 蒼雷はディレルの博識ぶりに目を丸くして驚く。風の魔神である蒼雷だが、どうやら天気予報とかそういうことは出来ないらしい。まあこういうマクロのレベルの気象学は、地方の風の精霊の担当範囲外ということなのだろう。
 ディレルはちょっと照れながら、しかし冷静に進路予想を立てた。どうやらポリーニたちはこのままゆくと次第次第に南へ引っ張られ、明け方前には海上に出るようである。台風のほうもそのころにはバビロン沿岸に接近することになる。

「あの風船の精霊力が尽きる前に追いつかないとな。どれくらい持つと思う?」
「ヴィスチャくんがいますからね。海上までは持つんじゃないですか?」
「とりあえず急ごう。山とか鉄塔とかにぶつかったら大変だし」

コージの一言に蒼雷はうなずき、シラサギの首をかるく叩く。するとシラサギは長く尾を引く鳴き声をあげ(クラクションのようなものかもしれない)、ぐんと加速したのである。

*       *       *

 空中に舞い上がってしまった風船ハウスの中で、ポリーニとヴィスチャはパニック状態に落ちっていた。いや、正確にはパニックなのはポリーニのほうであって、ヴィスチャのほうは何が起きたのか理解できていないようだった。

「ちょっとちょっと!あんた何やったのよっ!」
「何やったって、おねーちゃん。精霊力入れただけだよ。ちゃんと飛んでるじゃん」
「飛んでるって…飛んじゃおかしいのよバカっ!」
「ええっ!故障なの?風船って飛ぶんじゃないの?」
「風船じゃないわよ!これ、家よ家!」
「箱舟っていったじゃん!乗り物じゃないの?」
「あれは単なるネーミングよ!ラブリーなほうがいいに決まってるからよ」

 ようやくヴィスチャはこの異変の意味を悟ったようだった。どうやら今の今までこの変な風船が「空を飛ばないのが正しい姿である」ということに気がついていなかったのである。まあ考えてみれば風船というものは普通空を飛ぶものなのだし、さらには彼女はこの風船を最初から「携帯用箱舟・スイートラベンダー丸」と称していたのだから、ヴィスチャにしてみれば「精霊力で動く乗り物」だと思ったとしてもなんら不思議はない。が、いずれにしてももはや事態はとんでもない方向へと進行してしまっているのである。
 すでに『スイートラベンダー丸』は強風に乗って高度三十メートル以上の高さまで舞い上がっていた。丸い窓からは真っ暗な学校の校舎とプールが見えている。向こうのほうには市庁舎やらどこかの会社のビルが見えている。どう考えてもここまで来ると、たとえ晴れていても脱出はきわめて困難である。ましてや台風の真っ只中である。

「お、おねえちゃん!やばいよこれっ!」
「そんなことわかってるわよ!ちょっと何とかしなきゃ」

 さしものポリーニも蒼い顔をして故障の原因を探ろうとあっちこっちを調整するが、事態がよくなるわけもない。第一この風船ハウスにはそれほど調整をするような箇所がないのだからどうしようもないのである。せいぜい強風や地震対策の姿勢制御装置か、空調装置くらいしかさわりようがない。しかし空調はともかく姿勢制御は、下手にいじると風船ごと転覆しかねない。いや、実際ポリーニが調節ねじをいじると、それにあわせてハウスは変な回転をしたり、がたがたと揺れたりして危なっかしいことこの上ない。

「発明おねえちゃん!もういいよ。それいじんないでよ、危ないって」
「何いうのよ、このガキんちょ!何とかしないと…」
「何とかする前に転覆しちゃうよ~、おばちゃんって呼ぶよ!」
「張り倒すわよこのガキ!」

 ヴィスチャは困った顔になってポリーニを止める。実際この少年魔神のいうとおり、これ以上彼女が(特にこんなあわてる状況下で)調整をしても、地上に降りられるかどうかはあやしいものである。むしろぐるぐる回転したり、天地がひっくり返ったりするはめになりかねない。
 しかしポリーニにしてみれば、このハウスを造った当の本人が調整できないという情けない事実だけは認めなくないのも無理はない。あからさまに不快な表情になって少年魔神をにらみつける。

「じゃああんたどうにか出来るっていうの?」
「どうにかって言っても、今ここでぐるぐる回ったりして墜落したら、おいらはともかくおねーちゃん即死じゃん。広いとこにいって軟着陸するしかないって」
「…」
「人に見つかったら絶対怒られるし、やっぱり山の中とかそういうところだって」

 どうやらヴィスチャは意外なほど(子供とは思えないほど)冷静に事態を把握しているようだった。たしかに今肝心なことは「ばれないように安全なところにいって、軟着陸すること」に尽きる。「ばれないように」という点をちゃんと気にするところが偉いというかいたずら経験の豊富さをのぞかせている。ポリーニはかなり驚いた表情になって言った。

「…あんた結構大物ね。見直したわ」
「へへっ、そうだろ~…ってこんなこと言ってる場合じゃないや」

 ヴィスチャはそういう言うと、再び窓から下の様子を確認する。

「街中じゃやばいよおばちゃん。このまましばらく風に流されていったほうがいいね」
「おばちゃんっていわないの。まだ二十四歳よ」

 たしかにヴィスチャの言うとおり、こんな高度からバビロンの街中に墜落したら、彼らだけでなく民家に被害が出る。いや、墜落しなかったとしてもやはりどこかの家の屋根の上とか、電信柱とかに引っかかってしまえば大いに目立つ。かといってこの中途半端な高度では、風の流れによっては地上に落ちてしまうことも大いにありえる。
 ヴィスチャは再び風船ハウスの壁に手を当てると、精霊力を補給した。精霊力が充分にあれば、このまま浮いていることができるはずである。

「でもヴィスチャ、このまま風に乗ってると海に出ちゃうわよ。そうなったら着陸どころじゃないんじゃない?」

 ポリーニは風船ハウスの進行方向の空をのぞいて、かなり不安そうに言った。いくら普段はコージやみぎてたちをへこませる男勝りの性格であっても、今日に限ってはずいぶん口調がおびえている。今までも実験失敗は数々あるが、今回ほど危険な状況になったことは無いのだろう。それになにより、いつもの実験なら一緒にみぎてやコージ、ディレルたちがいるのだが。今はこの少年魔神一人しかいないのである。もちろんさっきの冷静な判断を見ると、予想外にヴィスチャは頼りになりそうなのだが、不安を拭い去れるほどの安心感は無い。
 が、ポリーニのそんな不安感を見抜いたのか、ヴィスチャは元気良く答えた。

「大丈夫って。オイラが何があっても助けるもん。最悪この風船から飛び出したって、オイラならおばちゃん連れて飛べるじゃん。」
「…うーん」
「へへへっ、蒼雷アニキの彼女だからね」
「!ませガキねあんた」

 「暴風雨の中で飛べるの?」という疑問がのどまででかかった彼女だが、むしろ直後の「アニキの彼女」発言の方がショックである。蒼雷にせよポリーニせよ、実際の関係についてははっきりと「彼女だ、彼氏だ」などと認識したことは無いからである。ポリーニしてみれば蒼雷は筋肉で、魔神で、格好いいというか萌える(彼女はコスプレおたくの傾向が強いので、この言葉は非常にふさわしい)とは思っているのだが、一人の男性だと認識しているのかと言われると言葉に詰まる。いや、たった今のヴィスチャの一言で初めて認識したといってもいい。
 そしてなにより実際、蒼雷のほうが彼女のことを女性として考えているのかという点については、それこそ彼女には全く自信が無かった。まあもちろんそんなことを考えている場合でないことは当然なのだが、やはり結構気になる問題ではある。
 そんな彼女のゆれる心を見透かしているとしか思えない、このなんとも微妙なヴィスチャの発言である。ポリーニは顔から火が出そうなほど赤面した。蒼雷もひょっとするとちょっとは彼女のことを気にしているのではないかと期待をしたくなるような、本当にきわどい一言である。思わず彼女はヴィスチャの小さい頭をこつき、しかし懐からお金を出してこっそり手渡す。

「秘密よ秘密。はい、お小遣い。あ、お菓子もあるわよ」
「ラッキーっ」

 こんな色恋の微妙なあやなど、まだこのがきんちょにはわかるわけも無い。が、あまり騒がれて話が複雑になるのも困る。この手のことは周囲が騒ぐと成るものの成らなくなるのである。しかしこういうところで小遣いを渡すところは完全におばちゃんの行動である。
 というわけで二人は、ポリーニがどこからか取り出したお菓子やジュースを片手に、バカ話を始めたのだった。その間にも風船ハウスは強風の翼に乗って、一路南へ、台風の中心へと向かって飛行を続けていたのである。

絵 武器鍛冶帽子

(⑦につづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?