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はぐれ魔神秘湯編 ~目玉くんは見た~③

③驚異の煩悩パワー!

6.「あたしもやります。一人じゃ心配でしょ?」

 「黄泉醜女」(よもつしこめ)…目玉が念写した奇怪な老人の正体は、黄泉の国にいる一種の邪霊だった。黄泉を支配する黄泉大神(よもつおおかみ)である女神イザナミの配下であり、それぞれが恐るべき力を持っているらしい(と、蒼雷ソウレイは説明した)。「醜女しこめ」というからには女性のはずなのだが、この映像を見る限りはどうみても女性ではない。しわしわの不気味なスケベじじいというしかない。

「黄泉醜女っていっても女とは限んないさ。黄泉大神の配下のことを、まとめて言ってるだけだからな」
「でも万一女性だったら困るわ。文句言えないじゃない」
「っていうかそれだったら普通のぞきなんかしないでしょ。どうどう風呂に入ってくるわよ」

 さっきまでしんとして蒼雷の説明を聞いていた一同だったが、いつのまにかまた元通りの騒がしい状態に戻っている。相手がとんでもない魔物(かもしれない)だということなど忘れている。

「でもどうしてそんな魔物が逃げ出したのかしら…」

 氷沙ヒサが不思議そうにつぶやく…が、蒼雷とみぎては顔を見合わせて言葉も無い。判りきっていることだが、さっきの二人のくだらないバトルで封印石が動いてしまったせいである。もちろんそんななさけないことを口にするなどとてもじゃないができない話なのだが…
 しかしボリーニはそれを知っているのか、いきなり蒼雷に言った。

「とにかく蒼雷君、そいつとっちめてくれるんでしょ?」
「そ、そりゃもちろんだぜ。…でも見つかるかなぁ」

 ボリーニの残酷な微笑みに蒼雷は思わず口篭る。実は今回一番問題なのは、相手をやっつけることではない。こっちには本物の魔神二柱がいるのである。いくら黄泉の怪物相手だといっても何とかならないわけは無い。
 問題は相手がなかなか姿をあらわさないということなのである。あれだけの不気味な怪物なのだから、白昼堂々動き回ればまず確実に町中の大騒ぎになるはずである。ところがいまだに(ここをのぞいて)騒ぎのさの字も無いし、警察や消防が動き出す気配も無い。よほどみごとにどこかに隠れているのである。今回だって同じくスパイの達人「目玉」がいなければ、黄泉醜女だということすら判らなかったに違いない。
 しかしボリーニはそんなことで引っ込むわけは無い。いやボリーニだけではなく、セルティ先生だろうが氷沙だろうが、このまま変なのぞき魔を放置していることはとても安心して大温泉を楽しむことが出来ない。つまり…「女の敵」なのである。

 意を決したようにセルティ先生は立ちあがった。ボリーニも氷沙もそれに続く。

「とりあえずこの旅館から探してみるしかないわね。早速はじめましょ。ロスマルク先生も呼んできて」
「えーっ!飯は?飯食ってからにしようぜ」
「みぎてくん何言ってるのよ!あんたが宴会はじめたら飲みまくって捜索どころじゃないでしょ?」
「がーん…」

 ということで、情けないことに旅館の中を全面調査するまで晩ご飯はおあずけということになってしまったのである。むごいことに腰痛のロスマルク先生まで総動員である。

*       *       *

 旅館内の捜索を続けるうち、次第に情報があつまってくる。どうやら他の女性客も女湯で怪しい人影をみたらしい。ここかしこの客室で騒動が持ちあがっている。中には旅館の女将さんにつめ寄っている客もいる。次第に騒ぎは大きくなっているのである。
 ところがいくら探しても、肝心の怪人の姿はどこにも見当たらなかった。女将さんの協力で、トイレ、押しいれ、炊事場含め、それこそ隅から隅まで、それものぞきプロの目玉を先頭に捜索してこれであるから、相手は相当に手ごわいらしい。午後八時過ぎまでかかっての大捜査もむなしく、まったく手がかりはつかめなかったのである。
 一同はがっくりして大宴会場…夕食の場所に集合した。大宴会場には彼らの分の豪華料理が、しかしさびしげに置かれてた。他の客は既に食事を終えてしまったからである。山菜料理やらにじますやら、そしてししなべやら、めったに食べられない野趣にあふれる料理なのだが、今日の彼らにはなんだか色あせて見える。当然の事ながらお酒も控えめである。

「困ったことになりましたわ、ほんに…」

 女将さんは彼らに酒を勧めながら、しかし困り果てて愚痴をこぼした。これではのぞき事件で客からクレーム殺到、宿の信用がたおちである。しかしコージ達のように実際足で捜査をすると言うような酔狂な客などいるわけはない。散々文句だけ言ってそれだけである。美人の女将さんの困った顔は、まるでサスペンスドラマのような感じである。いや、今回は殺人とのぞきという違いこそあれど、立派なサスペンス(?)である。消えた犯人のミステリー、「魔神の事件簿~秘湯湯煙のぞき紀行」という感じだろうか。

「ほんとに参ったよなぁ、せっかく氷沙ちゃんまで来てくれたのに、温泉旅行台無しだぜ。もぐもぐ…うまい」
「飯をそんなにうまそうに食ってるのを見ると、ほんとに参ってるのかそうじゃないのか判んないって…」

 みぎてはししなべに舌づつみを打ちながらも文句たらたらである。まあ実際のぞき騒ぎで一番の被害者はひょっとするとみぎてかもしれない。あらぬ疑いをかけられて結構ショックのはずである。ただだからといってまるで食欲が減るわけではないのでついついコージは突っ込みを入れてしまう。
 しかし蒼雷と女将さんはもっと深刻な表情である。

「うーん、でも本当に参ったぜ。このまま放っておいたらよその旅館でも被害がでちまう。」
「ほんにそうですわ。町内会総出でさがさなあかん」

 二人はこの町の住人なのだから地獄谷温泉郷がのぞき魔で廃れれば、これは直接生活にかかわる深刻な問題になってしまう。というかそもそも蒼雷の住む神社はああいう魔物を防ぐための神社なのだから、ここで黄泉醜女をのさばらしては何のために彼が鎮座しているのか判らなくなってしまう。お供え物激減、賽銭枯渇という最悪の事態だけはなんとしても避けなければならないのである。

「でも、まだよその旅館から被害の連絡がこないって事は、ホシはここの旅館内部にいると推定されますね。」

 ディレルは相変わらず探偵風の口調である。さっきの「みぎての翼ミステリー」解決からちょっとはまってしまったようである。コージは苦笑しながら、しかし困ったように言った。

「そうじゃなかったら手がつけられないって、ディレル。とっ捕まえるなら今夜が最後のチャンスと思う」
「うーん、となると…男四人、いやロスマルク先生も含めて五人で女装でもします?おとり捜査ってやつですよ」
「バカ、女装するってお風呂なんだからぜんぜん無理じゃん。」
「わしゃ勘弁してくれぃ、こんなじいさんを女装させてもどうしようもないわい」
「それ以前にみぎてくんを女装させるだけで恐ろしいものがありますけどね」

 たしかに女装しておとり捜査というのは定番(?)の作戦ではあるのだが、問題は場所が風呂である。スカートやらなにやらをはいて化粧をしてというならまだしも、裸にならないと意味が無い温泉ではぜんぜん効果が無い。それにコージやディレルならまだしも、筋肉系二人組(みぎてと蒼雷)を女装させるとなると、いくら化粧をしてもむきむきすぎて想像するだに恐ろしい。黄泉からの怪物など比較にならないほどの恐怖という気もしてくる。
 ところがそのとき、セルティ先生が決然として言ったのである。

「しょうがないわね。私がおとりになるわよ。」
「えっ?先生が?!」

 びっくりして一同はセルティ先生のほうを注視した。たしかにセルティ先生なら(さっきのグラマラスな映像でお判りのとおり)資格十分、既に存在がボーナスステージである。黄泉の怪物が一匹どころか大挙して押し寄せかねないような大サービスといっても良い。
 が、しかしこれはさすがに危険な任務である。相手がただのスケベ親父ならともかく、黄泉の化け物となると相手が悪い。たしかにセルティ先生はバビロン大学の魔法工学の教授、立派な魔道師ではある。しかし既に判っているように黄泉醜女は忍びの達人である。スパイ名人の目玉くんでもなかなか発見できない相手なのである。正面切っての勝負ならいざしらず、奇襲を食らえばいかにセルティ先生といえどもひとたまりもないだろう。みぎては慌ててセルティ先生を止めようとした。

「せんせ、やばいって!下手すると怪我じゃすまねえぜ!」
「ますますもってそんな危ないこと学生にさせられないわよ。」
「きったはったの勝負なら俺さま慣れてるからさ。やっぱり俺さま女装するって」
「だからそれじゃおとりにならないじゃないの。むきむき魔神が女装しても気持ち悪いだけじゃないのよ!」

 シチュエーションとしてはかなり笑えるのだが、セルティ先生もみぎても大まじめである。先生にしてみればまさか学生を危険な目にあわせるわけにはいかないという責任感全開だし、みぎてにしてみれば(こいつはかなりのフェミニストなので)いくら強力な魔道師だといっても、女性のセルティ先生をおとりにするなんてさすがに抵抗感が強いのである。いや、コージやディレル、蒼雷だって同感である。
 しかし今回の女性軍は強かった。立候補者はセルティ先生だけではなかったのである。

「あたしもやります。一人じゃ心配でしょ?」
「氷沙ちゃん!」
「だったらみんなでやったほうが安心よ。のぞき魔の第一発見者はあたしですからねっ!とっちめてやるから」
「ほな、女将たるうちもやらなあきませんな。お客さんに危ない思いさせて、はいそうですかってわけにはいきゃしません」
「ボリーニ…女将さんまで…」

 次々とあがる立候補者に、男性陣はもはやたじたじである。これだけ重厚な布陣ならばなんとかなるかもしれない。というより、こんな連中を敵にまわしたのぞき魔も不幸である。「女の敵」という烙印ほど恐ろしいものはない。
 みぎてはあきらめたようにため息をついてぐいっとお酒を飲み干した。

「しょうがねぇなぁ。判ったよ。こっちはみんなで近くにいるからさ。出たらすぐ声あげろよ。ったく口は悪いし無茶だし、とんでもねぇレディース軍団だぜ」
「あらみぎてくん、そんなこと言ったら後が怖いわよ」
「ふふふっ、わたしの必殺冷凍技、見せてあげるわ」
「うわっ、マジやる気満々だ…」

 セルティ先生も氷沙もボリーニも、もうどうやって黄泉の怪物をとっちめるかに夢中だった。あきれたように蒼雷はみぎてに言った。

「…俺、こいつら敵にしなくて良かったぜ。おまえいつも大変なんだな」
「いつもって…いつもかも」

 ぼそりと爆弾発言をつぶやいたみぎてをレディース軍団はじろりとにらみつける。危険を感じた二人の魔神は慌てて首をすぼめて小さくなったのである。

*       *       *

 そういうことで宴会終了後、彼らは軽く仮眠を取ってから戦闘準備に入ったのである。わざわざ仮眠を取ったと言うのは、これは勝負を深夜につけようという考えだった。宵の口に作戦を決行すると、他のお客さんが風呂に入ってきた場合大きな問題になる。深夜だったらお風呂場を独占できるので、安心して大立ち回りをすることもできるという計算だった。
 布陣としてはおとり部隊としてセルティ先生、氷沙、ボリーニ、女将さんの四名、そして女風呂の外には蒼雷とディレル、露天風呂側の非常口(これは本来店員の掃除用の出入り口である)にみぎてとコージ、浴室の天井に目玉というものだった。どちらの出入り口も魔神がいる上に、風呂の中には強力な魔道師と雪の精霊と言う必殺の陣形である。見方を変えるとくだらないことにすさまじい魔力を注ぎこんでいる話であるような気もするのだが、当人達は大まじめである。

 さて、深夜も遅くなっていよいよ彼らは配置についた。コージ達も裏側から露天風呂の非常口に座り込んで準備万端である。通常お客さんがくるところではないので、なんだか薄暗くて湿気が多い。座り込みにはちょっと向かない場所なのだが、これはしかたがない。
 コージとみぎては小さな声で雑談しながら、事態の推移を待った。浴室からは「さぶーん」という水のおとや「カラン」という桶がころがる音が聞こえる。これならセルティ先生の連絡もちゃんと聞こえそうである。いや、それだけならいいのだが…これはちょっと聞こえすぎという気もする。なにせ風呂場のタイルに反響して、女性陣の会話まで丸聞こえなのである。

「でもセルティ先生、胸大きくていいな~、私なんて貧乳だし…」
「あらそんなことないわよ。氷沙ちゃんの場合美乳っていうのよ。もっと自信持ちなさいよ。」

 二人はあまりの予想外のことに悶絶しそうであった。思わず鼻血がでそうな状態である。うぶなこの魔神であるから赤面するどころの話ではない。

「でもほんに氷沙ちゃんは温泉がにあいますな。うちの広告に出てもらいたいくらいや。せっかくやしほんとに出ぇへん?」
「そんな…ちょっとはずかしいです」
「いいじゃないの。氷沙ちゃんのパンフレットなら人気出るわよ~」
「いいじゃん、出なさいよ。氷沙ちゃんのパンフレットだったらあたしだって何度でも通っちゃうわよ!」

 どうやら女将さんはあまりに温泉宿に似合いすぎる氷沙にぞっこん惚れこんでしまったらしい。パンフレットに出てもらおうと熱心に掻き口説いている。セルティ先生やボリーニまでいっしょになって説得しているのが判る。ディレルではないが氷沙のうなじカットなら確かにパンフレットに最高というのも判る。が、今はそういう状況ではないはずなのだが…
 しかしやはりある意味拷問とも言えるとんでもない待ち伏せ体勢である。このままでは魔物をやっつけるより前に悩殺されてしまいそうな情けない話だった。こんな状態であと何時間も篭らねばならないとなると…これは厳しい。いや、いくらセルティ先生達であってもいつまでもお風呂に入っていると言うのはきついだろうから、そろそろ休憩できるかも、などと二人はどきどきしながら考えていたのであるが…

 その時だった。突然セルティ先生のかなきり声と悲鳴が聞こえてきたのである。

「みぎてっ!」
「よし来たっ!」

 ついに出たのである。「待望の」のぞき魔がようやく現れたのである。二人は一斉に立ちあがり、非常口を開けて風呂場に突入したのだった。

7.「それあたしのランジェリーじゃないの!」

 ところが…

 みぎてたちがまず見たものは怪物の姿ではなかった。そこにあるのは大温泉と真っ白な湯気の中に色白の肌がいくつか浮かんでいる光景だったのである。考えてみれば判ることだが、のぞき魔が狙うのは浴室の中の女性である。ということは、のぞき魔を発見したセルティ先生たちはこの瞬間当然お風呂の中ということになる…
 つまりみぎて達が見たものは湯煙に浮かぶ氷沙ヒサやセルティ先生、そしてボリーニの後ろ姿だったのである。

「わっ!わわわっ!」
「きゃーっ!みぎてさまっ!」
「ちょっと早すぎよっ!みぎてくんっ!」

 慌てて女性陣は風呂の中に身を沈める。いや、早いも遅いも無い。一度叫び声をあげてしまったらのぞき魔は当然逃げるのだから、直ちに突入するしかないのである。それに服はといえば脱衣所にあるのだからどっちにせよ同じ事なのである。つまりこのおとり作戦ははじめから根本的な欠陥があったのだ。
 みぎてもコージも真っ赤な顔をして、風呂の中の女性陣を見ないようにそのまま浴室を走った。脱衣所がわにたしかに黒い人影…怪物らしきものがいる。二人が突入を敢行したものだから、どうやら慌てて逃げ出そうとしているらしかった。
 しかし怪物の後ろ側には蒼雷ソウレイとディレルが待ちうけていた。ついに魔物は二人の魔神に完全にはさみ打ちになってしまったのである。

「おいてめぇっ!いつまでもエッチなことしてんじゃねぇよっ!てめえのせいで俺さまひどい目にあったんだ!」

 みぎては黒い魔物に怒鳴りつける。魔物は観念したように立ち止まり、そしてついに翼を広げて身構えた。その姿は目玉が目撃したあの奇怪な老人…黄泉醜女ヨモツシコメそのものだったのである。
 黄泉醜女はみぎてと蒼雷を交互ににらみつける。しかしその後、意外なことに笑い声をあげた。しわ枯れた不気味な声だった。そしてこう言ったのである。

「ぐふふふっ…黄泉大神ヨモツオオカミさまを邪魔する小癪な鬼神、蒼雷命ソウレイノミコトか。まさか異教の炎の魔神を連れてくるとはおもわなんだわい。一人では勝てぬとふんだようじゃな」

 その言葉は大浴場の壁に反響して響きわたった。そのときディレルは傍らの蒼雷が怒りにこぶしを握りしめ、身構えるのを見たのである。

*       *       *

「う、うるせぇっ!これは成り行きだぜっ!てめえみたいな地獄の亡者なんぞ、俺一人で十分だ!」

 蒼雷は魔物の揶揄をおとなしく聞いているというようなことは出来なかった。元々みぎてに匹敵する短気な青年なのは神社での決闘でお判りの通りである。彼の怒りに応じて見る見るうちにすさまじい霊力が彼の周りに集まってくる。そばで見ているディレルやコージが倒れてしまいそうな強烈な風の精霊力だった。
 ところが黄泉醜女は蒼雷の巨大な霊力の高まりを見ても平然としている。これはおかしい…魔法使いとしてはかけだしのコージやディレルから見ても明らかに変である。どう見ても黄泉醜女が放つ妖力は蒼雷の力に比べて小さすぎるのである。

「蒼雷くん、なにか変ですよ!注意して!」
「うるせぇっ!俺の雷撃で目にものみせてやるっ!見てろっ!」

 「にわか相棒」ディレルの警告など意にも解さず、蒼雷はついにそのすさまじい真の力を発揮し始めた。風の精霊力が一気に高まり、彼の周りに集まるとそれは純白に光り輝く球となる。

「あれはっ!『球雷』じゃん!」
「コージっ!やべぇぞっ、俺さまの後ろに隠れろっ!」

 球雷とは稲妻の一種で、空気中にたまった電撃がプラズマとなって一気に吹き出すというものである。雷撃呪文として使うには大変な魔力がいる。その系統が得意な魔道師でも使えるものはめったにいない攻撃呪文だった。みぎては慌てて真紅の翼を広げ、防御体勢に入る。コージがみぎての後ろに隠れると同時にすさまじい光が…ボンッという意外と小さな音とともに大浴場を埋め尽くした。

 みぎての全力の結界に守られてコージは無事だった。しかし脱衣所のほうはめちゃめちゃ、壁にはすごいこげあとが出来ているし、鏡はばりばりにひびが入っている。これでも爆発呪文ではなく電撃呪文であるから被害が小さいのである。ディレルは蒼雷の後ろに隠れて無事だったが、あまりの強烈な呪文の反動でへたりこんでしまっていた。が…

 なんと恐ろしいことに黄泉醜女はまったくの無傷だった。足元の木の床はまっ黒にこげてクレーターになってしまっているのにもかかわらず、なんのダメージも受けていなかったのである。

*       *       *

「な、なんだとっ!」

 さすがに蒼雷は驚きの表情を隠せなかった。必殺の雷撃呪文を「耐え切られる」というならともかく、平然と受けられるというのはまったく予想だにしていなかったのである。それも相手は単なる黄泉の鬼、いってしまえば雑魚に過ぎない相手にである。いや、蒼雷だけではない…みぎてやコージ、セルティ先生もこの技がどれほどのすさまじい威力であるか、一目でよく判っていた。大魔神みぎての本気の防御でやっと支えられるほどの巨大なエネルギーなのである。
 黄泉醜女は憎憎しげにせせら笑った。

「くっくっく、そんな技など今のわしには効かんぞよ」
「貴様っ…いったい?」
「これ以上そんな技を使ったら、わしより先に仲間のほうがやられてしまうんではないかのぉ。まあそんな大技をあと何発撃てるか知らんがの。ふぉっふぉっふぉっ」

 たしかにそうである。みぎてに守られたコージはともかく、蒼雷の傍のディレルとなると、いくら直撃ではないといってもここまでの攻撃呪文に耐え切れる力は無い。いや、みぎてだってこんな化け物火力を喰らっては、いつまでもコージをかばいきれるか自信が無いほどである。
 蒼雷は牙のある歯で音がするくらい歯ぎしりをして敵をにらみつけると、突然傍でへたり込んでいる金髪の青年の胸ぐらにつかみかかった。

「おい金髪っ!あいつの秘密わかんねぇのか?」
「くっくっ苦しいって!首しめないで!」

 ムキムキ兄ちゃんの蒼雷に首をしめられては、ディレルとしても災難としか言いようが無い。鬼神の手を逃れてもぜいぜいはあはあと青息吐息である。

「首放したぞ。何か言え!」
「ぜいぜい…簡単なことです。そのトリックは…やつの手にしているあれです!」
「手に持ってる?…あ、ほんとだ」

 ディレルは死にそうな顔で、しかしやっぱり探偵の真似をして黄泉醜女の手を指差した。見ると確かに黄泉醜女の手には黒い布のようなものが握り締められている。しかし別にそれが妖力を発揮しているようには見えない。なんだかハンカチかなにかといった感じである。
 ところが意外なことだが、名探偵(?)ディレルの指摘に黄泉醜女はギョッとした表情になった。どうやら図星だったらしいのである。その表情を見て蒼雷はにやりと笑う。

「その変な布がてめぇの秘密かっ!」

 すると黄泉醜女は今までの余裕の表情とはうってかわって、冥土の住人らしい恐ろしい顔に変わった。そしてこぶしを突きだしてこう叫んだ。

「うぬぬっ、見破られたか!しかしこれがある限り、貴様程度の霊力ではわしに傷ひとつ負わせることなどできんわい!見よっ!」

 妖怪は布を両手でつまんで開いた。ところが同時に…どういうわけか大浴場の側からとんでもない絶叫が聞こえてきたのである。

「きゃぁっ!それあたしのランジェリーじゃないのっ!」

 見れば風呂の中からセルティ先生が真っ青な…それこそ地獄の亡者など及びも突かないような恐ろしい顔をして叫んでいた。なんと黄泉醜女のパワーの秘密は、セルティ先生のセクシーなレースのランジェリーだったのである。

*       *       *

 黄泉醜女はセルティ先生のランジェリーを全員に見えるように高くかざす。ランジェリーはどこで買ってきたのか細かい見事なレース網で、よりによって黒である。子供にはとても見せれる代物ではない。黄泉醜女はそれを震える手で(これだけで十分いやらしそうである)いとおしそうに伸ばすとそのまま頭にかぶる。

「ひょっひょっひょっ!これでもはや貴様ら雑魚魔神などおそるるにたらんわ!まとめて始末してくれる!煩悩パワー全開じゃっ!」
「ぼ、『煩悩パワー』かい…」

 『煩悩パワー』というフレーズがどうしようもないベタベタな表現なのだが、こんなじじいに洗練された言いまわしを求めても無駄である。いや、今は洗練だのなんだの言っている場合ではなかった。ランジェリーを頭にかぶった黄泉醜女は突然信じがたいほどの恐ろしい妖力を発揮し始めたからである。さっきの蒼雷の必殺技すらかわいく見えるほどの恐ろしいエネルギーが妖怪を包み始めていた。

「コージっ、そこのバスタオル持って氷沙ちゃん達に渡してくれっ。」
「えっ?でもみぎてっ?」
「俺さま大丈夫。蒼雷と二人がかりなんだからあれくらいの妖力ならへでもねぇや」

 意外なことにみぎては笑っていた。コージには判っている…みぎての笑顔は余裕と言う意味ではない。少なくとも片手間で相手出来るような簡単な相手ではないという意味だった。強敵になればなるほどみぎては燃えるのである。
 しかしコージの見たところ、たしかにあの妖怪のパワーは恐ろしいのだが、みぎての言う通り二人がかりならなんとかならない相手ではない。本気を出したみぎての姿をコージは何度か見ているが、そうなればこの宿どころか町ごと吹き飛ばしてしまいかねないとんでもないパワーを持っているのである。蒼雷の方だって(もし互角だとしたら)もっとすごい技を持っているのだろう…しかしそうなると被害がしゃれにならないことになる。コージはバスタオルを氷沙達に渡しながらも、みぎてと蒼雷を止める方法を必死に考え始めた。

「くっくっく、助っ徒の炎の魔神殿、さあどうやってわしを攻撃するつもりかな?もっとも今のわしに届く攻撃はなかなかないぞ」

 妖怪は挑発するようにみぎてに不気味な笑顔を見せる。生半可な火炎攻撃ではとても妖怪の妖力を突破出来そうに無い。いや、さっきの蒼雷の球雷で無傷だったのだから、それ以上の魔力をたたきつけないといけないのである。そして…明らかに妖怪はその攻撃を誘っている。みぎてや蒼雷が妖怪の力を突破するほどの攻撃を仕掛ければ、妖怪が倒れるより先にコージ達が危ない上に宿に大惨事がおきる。その隙に逃げてしまえばいい…これは間違いなく罠だった。

「てめぇっ!俺さま怒らすとただじゃすまねえぞ!後で泣きを見るなよ!」

 挑発されたみぎては炎の翼を広げ、その巨大な精霊力を発揮しようとした。ところがその時だった。

「みぎてくんっ!あたしのお気に入りのランジェリー焦がしたら百叩き!」
「うぐっ…マジ?」

 バスタオルを胸に巻いて立ちあがったセルティ先生の声だった。「百叩き」…あまりの無茶な発言に、炎の魔神は大きく翼を広げたまま金縛りにあったように動けなくなってしまったのは当然のことだった。

8.「おまえみたいな変わった人間なら」

「あたりまえでしょっ!あのランジェリー、通販で高かったんだから!」
「ううっ、そう言われても…うーん」
「つ、通販かい…」

 みぎてとコージは思わず帰ろうかとおもうくらい一気に力が抜けた。この後に及んでまさか「ランジェリーを燃やすな」と言われてはさすがの魔神もがっくりである。もちろん敵は相変わらず強力だし放っては置けない状況も変わりが無いのだから、ますます手段が無いわけである。そういう意味では蒼雷ソウレイの技だって同じである。あんな電撃技を放てばレースのランジェリーなど燃えカスになってしまうこと必定だった。

 しかし良く考えてみればみぎてや蒼雷が真っ正面から強力な技を叩きこめば、ランジェリーはおろか宿そのものが崩壊してしまうことになる。そんな被害を出さないように力をセーブして闘うということなのだから、セルティ先生の指示は正しい。これはサポート役のコージががんばらないといけない正念場なのである。なにか挽回の策を…せめてみぎての火炎技の被害をなくす手段を探さなければならない。ぼやだって困る…
 そのときコージは部屋の隅にある真っ赤な物体を目にしたのである。こいつと、それから彼らの隠し玉と…コージの頭の中で二つのものが一本の線につながった。

(みぎてっ、蒼雷と二人で相手の攻撃を支えてくれっ!)

 コージは思いをたくしてみぎての目を見る。いっしょに暮らしている二人だから、この程度の意思は目で十分伝わる。
 みぎてはコージの意図を悟り、防御の構えに入った。浴室の女性陣を妖怪の放つ妖気から守るため、翼を広げて広い結界を作ろうとする。

「みぎてっ!何してんだよっ!」

 みぎてが防御体勢に入ったのを見て、蒼雷は抗議の声をあげた。

「うるせぇっ!ランジェリー焦がすわけにいかねぇだろっ?」
「おいっ、まじかよ!んなこと言ってる場合じゃねぇだろっ!」

 みぎての悲鳴にも似た反論に、蒼雷は驚くを通り越してあきれてしまう。なんでわざわざ人間のランジェリーにごときにこだわるのか判らないわけである。いや、みぎてだって本音としてはすこぶる間抜けだと思っているのだから説得力はまるで無い。見るに見かねてディレルが蒼雷に耳打ちした。

「蒼雷くん、二人が本気になったらここの宿どころか蒼雷君の神社までいっしょにふっとんじゃいますよ!そういうトラップです」
「うっ、そっか…うーん、やりやがったな」

 蒼雷はいまさらやっと気がついたようである。さすがに人間との生活を二年も続けていれば、みぎては蒼雷より力のセーブということについては学んでいる。しぶしぶ蒼雷も構えを攻撃から防御へと切り替えた。
 黄泉醜女ヨモツシコメは二人の魔神の様子を見て、さもおかしそうに高笑いをした。

「やっと気づいたようじゃな!しかしそれでどうやってわしを取り押さえるつもりじゃ!ふぉっふぉっふぉっ!」

 そう言うと妖怪は突然黒い翼を広げた。すると今まで妖怪の周りに集まっていた妖気がいっせいに解き放たれる。妖気はそのまま、まるで目に見えないこぶしのようにみぎてと蒼雷に襲いかかったのである。

*       *       *

 妖怪の『煩悩パワー』はみぎて達の予想以上であった。二人は全力を出してガードを固めたが、それでも強烈な打撃が彼らのボディーに炸裂する。魔神族の頑健な肉体でなければとても耐え切れないほどの衝撃だった

「お、おいっ!みぎてっ!このままじゃやばいぜっ!いくら俺達だって…」
「わ、わかってらぁ!くっ!」

 蒼雷に言われるまでもなく、みぎても事態がこのままではまずいと言うことを判っていた。蒼雷よりタフなみぎてだが、その分真後ろのセルティ先生達をかばう必要がある。動くに動けないのである。

(コージっ!早くしろっ!このままじゃみんなが危ねぇっ!)

 みぎての翼が生み出した結界は既にぼろぼろである。みぎて個人を守るだけならもっと小さな、密度の濃い結界を張ることが出来る。しかし後ろの女性軍を守るとなるとそれだけ大きな、しかし薄い結界しか張ることは出来ない。特に自分で結界を張れない女将さんとなると、これだけの妖気を食らえば命が危ない。
 しかしその時みぎての後ろから聞きなれたじいさんの声がした。ロスマルク先生だった。

「みぎてくんっ!こっちは大丈夫じゃっ!」
「おうっ!ロスマルクせんせ、たすかったぜっ!」

 どうやら心配になったロスマルク先生が腰痛を押して(非常口側から)救援に来てくれたのである。セルティ先生と氷沙ヒサ、ロスマルク先生の三人が作り出す結界なら少々の妖気ではびくともしない。これで女将さんも大丈夫である。
 背後が安心になったみぎてはコージの位置を確認しようと脱衣所を見まわした。ところが…さっきまでコージがいた場所には誰もいない。みぎてはびっくりして思わず叫んだ。

「コージっ!?」
「なにっ?」

 みぎての叫びに黄泉醜女は驚く。この魔物にとってはみぎてと蒼雷以外は眼中に無かったのである。帯びている魔力のことを考えればあたりまえの話だった。ところがみぎてが大慌てしたものだから、初めて若い魔道師の存在を思い出した。
 しかしその時、既にコージは最後の作戦の準備を終えていたのである。

「『ファイアースピアー』だっ!みぎてっ!」
「おうっ!」
「まさかっ!火炎呪文だとっ?」
「まじかよっ!」

 コージの声にはじかれて、みぎては躊躇無く一気に攻撃に転じた。それはコージを心から信頼しているからこそ出来ることだった。驚く妖怪、そして蒼雷の目の前で強力な炎の精霊力が凝集し、それが一気に光の矢となって空気を貫く。妖力を攻撃にまわしていた黄泉醜女は防御が間に合わず、炎の槍をまともに食らう。しかし…

 意外なことに炎の槍を食らった妖怪はそのまま炎上することは無かった。普通みぎての火炎呪文をまともに食らえば火だるまになるはずである。しかし炎は黄泉醜女の胴体を直撃した後、意外なことにそのままぶすぶすと黒い煙をあげて消えてゆく。そしてその代わりに…妖怪はピンク色の粉末に包まれて悲鳴をあげていたのである。

「げふげふげふっ!な、なんじゃこりゃっ!」

 妖怪は慌てて逃げようとするが、ピンクの粉末は彼を追いかけてくる。しゅうしゅうと激しい音を立てて、コージの手にした真っ赤な筒から飛んでくるのである。そう…どこの旅館にもかならずある「粉末消火器」だった。みぎての火炎呪文で打撃を与え、消火器でその火炎の被害を最小に抑えながら目くらましをする…絶妙なコンビネーションとしかいいようがない。間近で見ている蒼雷は息を飲むほど驚き、舌を巻いた。

「すげぇっ!」
「ナイスっ!コージっ!」
「目玉っ!今だっ!」

 コージは妖怪を追いこむと、突然天井に向かって言った。そう、そこにはさっきからずっと「目玉くん」が潜んでいたのである。最初の作戦配置にもあった通り、目玉は妖怪を探すために天井からじっとこの闘いを見つめていた。今まで妖怪どころか誰も(コージをのぞいて)気がつかなかったのだから、やはりさすがはのぞきのプロである。
 目玉はコージにウインク(?)すると、すばやく触手を伸ばして妖怪の頭からピンクの粉末まみれのランジェリーをひったくった。そしてあっというまに天井に戻るとがさがさと超スピードでコージの後ろに逃げ込んでしまう。

「お…おおおっ!まさかっ!」

 ランジェリーを奪われた妖怪は突然妖力を失った。今まであれだけ荒れ狂っていた『煩悩パワー』が嘘のように消えてしまう。力の抜けた妖怪はそのままへたりこんでしまった。彼の周りを二人の魔神と、そしていつのまにかバスタオルで身を包んだ女性陣が彼を完全に包囲していた。

「うっうっ…おのれっ~、わしの煩悩パワーが…」
「何が煩悩パワーよっ!女の敵っ!」
「そうよっ!責任取ってよっ!」
「氷漬けにして冥土に送り返しますっ!」

 妖怪は抵抗する間もあらばこそ、女性軍団に袋叩きにあって伸びてしまったのは当然の結末だった。それを横目で見ながら蒼雷はみぎてに言った。

「みぎて…おまえんとこのレディース、ほんとに怖いな…」
「…俺さまもいつもそう思う…」

 二人の魔神はそう小声でつぶやくと、思わず誰かに聞かれなかったかとあたりを見まわして首をすぼめたのである。

*       *       *

 とっつかまえた黄泉醜女を神社の封印石に送り返して、後片付けをして…翌日になってやっと彼らは本当の温泉宿らしい楽しみを満喫することが出来た。さすがに徹夜明けということで朝は大寝坊となったものの、昼は近所の散策をして名物のそばを食べて、川のほとりに沸いている公共の温泉に入ったり、お土産を買ったりの恒例パターンである。なにせ地元の神社の祭神が観光案内をしてくれるんだから好都合である。普通の旅行客が行かないようなところまでいろいろめぐることが出来る。
 ただ、なにせ魔神が一人ではなく二人なので昼飯だけは大変だった。とにかくもともと二人とも食う量が半端ではない上に、先日の直接対決中断を大食い競争で再開しようとしたものだから大騒ぎである。ディレルが機転を効かせて「三十分時間制限」をつけたので無事に済んだが、そうでなかったから店の蕎麦を二人で食べ尽くしてしまいかねなかった。

 夕方になって彼らは地獄谷温泉最後の夜の大宴会を楽しむことになる。昼間あれだけ食べたのに、夜は夜でまたしても食いまくりの飲みまくりである。いや、これは昨日の夜がまともに飲めなかったので、その分を取り返すのだから当然のことだろう。
 そしてなんと料理はといえば極上も極上、昨夜の比ではなかった。なんと女将さんこころづくしの特別料理なのである。のぞき妖怪を退治してくれたと言うことで、普通のセット料理とは全然違う最高グレード料理となっていたのだ。とにかく山の幸川の幸が盛りだくさん、宴会場のテーブルに乗せきらないくらいの量である。そしてお酒も飲み放題、珍しい地酒が登場するし、女性陣には地元高級ワインのプレゼントである。こんな豪華な宴会はもう一生体験できないのではないかというすごい内容だった。一同はひたすら食って飲んで、カラオケで歌うわ、恒例の宴会芸を披露するわのお祭り騒ぎを繰り広げた。

 さて、宴会も引けて飲んだくれた彼らは部屋に戻った。女性陣はお茶とお菓子で雑談の続き、飲みすぎディレルと健康優良児のみぎては既に布団の上で大の字になってごろ寝である。二人が風邪を引くといけないので、コージは毛布をかけてやる。幸せそうなみぎての寝顔は見なれているはずなのに今日はちょっと新鮮である。と、その時彼の肩を蒼雷が叩いた。

「あ、蒼雷?」
「コージ、風呂いかねぇか?」
「あ、そうだな。」

 コージはうなずくとタオルをかばんから取りだす。コージより頭一つ以上大きい蒼雷は彼の目を不思議そうに見ている。…何か話がある…コージはそう悟った。
 二人は無言で大浴場へ向かった。昨日のあの騒動で女湯は修理中で、男女交互に大浴場を使うのだが、幸い今の時間帯は男風呂である。もっとも夜もかなり遅くなっているので、今は大浴場に他の客はいない。
 二人は衣服を脱いで脱衣籠に放りこむと、早速浴室へと入った。昨日もみんなでいっしょに入ったのだから初めてではないのだが、二人きりで改めて並んでみると蒼雷はやはり魔神族らしく筋骨たくましい。みぎてといっしょだと(多少スリムな分だけ)目立たないだけである。

 さて、二人は汗を流して頭を洗って(蒼雷の洗髪と言うのはこれは大変である)、それからゆっくり露天風呂に入る。その間お互いにそれほど話はしない。四人で来たときとは大違いである。いや、昨日の場合はみぎてが騒がしいからどうしてもにぎやかになってしまうのだろうか…とにかく同じ魔神だというのに、なんだかかなり雰囲気が違う。最初見たときにはみぎてと同じくらい、いやそれ以上に子供っぽいような気がしたのだが、今の蒼雷はちょっと大人びて見えるから不思議なものである。

 しばらく湯舟でのんびりして、おもむろに蒼雷はコージに言った。

「ところでコージ、あの魔神とおまえ、どういう関係なんだ?」
「関係?関係って…はは」

 コージは苦笑する。関係っていわれるとなんだか気恥ずかしい。いや、たしかに普通の魔術師と同盟精霊の関係とは違う。冒険の相棒?…それとも兄弟?いろんな人から同じ事を聞かれるが、自分でも満足できる答えを言えたことがない。ただ、判っていることは二人はお互いを誰よりも信頼し、心を許しているということだけである。言葉にすればなんだか陳腐になってしまうのだが、生活そのものというしかない。同居すると言うことはそんなものである。
 コージは笑って…伝わらないことを承知の上でそれを口に出してみた。「二人の生活」…まるで夫婦みたいな言葉である。すると蒼雷は目を丸くして驚き、次に笑い出した。

「わははは、そんな魔道師と同盟精霊、聞いたことねぇや!まるで恋人どうしじゃねぇか!」
「ちぇ、笑うか。同居なんてそんな関係じゃないと出来ない。お互いプライバシーなんて無くなっちゃうからさ」
「だからそれが変わってるんだ。みぎてのやつもびっくりしたけど、おまえも相当変わりもんだぜ。大まじめに魔神と同居って言うってのがな」

 蒼雷はひとしきり笑って…それからちょっとまじめな顔になる。その目にはどうしたことか羨望のような光が宿っている。

「でも、あいつのいった通りだぜ。」
「?」
「ああ。おまえは良い魔道師になれるかもな。精霊族を呼びだすんじゃなくて、自分が飛び込んでゆく…そんな酔狂な魔道師は見たことねえ。」
「…そんなもんかな」

 コージは誉められてるのかバカにされているのか判らなくなった。たしかに変わっている…そうかもしれない。しかしそれが今の二人なのである。魔神族の中ではぐれもののみぎてと、魔道師の中で変わり者のコージ…それが二人の生活そのものだった。
 すると蒼雷はふとうらやましそうにつぶやいた。

「おまえみたいな変わった人間なら、俺も相棒ほしいかな…」

 コージはちょっと驚き、蒼雷の顔を見た。しかし蒼雷はまるで表情を見られるのが恥ずかしいのか、慌てて風呂の湯で顔を洗うと立ちあがり、逃げるように浴室を出ていったのである。

*       *       *

 翌日の昼ちかくが彼らの出発時刻である。バスターミナルに旅館の女将さんや番頭さん、そして蒼雷が見送りだった。コージ達は両手に荷物とお土産を持って帰りのバスを待つ。二泊三日と言うちゃんとしたツアーだったのに、あまりに大騒ぎだったのでなんだか一日くらいしかいなかったような気がするのだが、今回の旅行がそれだけ密度が濃くて楽しかったと言う証だろう。
 氷沙は別のバスでスキー場へ帰るわけであるから、ここでお別れである。

「じゃあまた二月ごろな!みんなでスキー行く予定だからさっ!」
「まってますわ。みなさんお元気で」

 氷沙は車窓からにこにこ微笑みながらみぎて達に手を振る。彼女はこれからのシーズンはスキー場で大いそがし、正月どころではない。雪女なのでゲレンデの雪降らし担当なのである。多少おちつく二月半ばにコージ達は遊びに行く予定だった。
 氷沙の乗ったバスが見えなくなってから、今度は彼らが乗るバスが駐車場に入ってきた。

「本当におせわになりました。素敵な宿でした。」
「何言うてますねん。逆にこっちがご迷惑をかけて、怪物まで退治してもろて、なんてお礼いうたらええか…また是非きておくれやす」

 女将さんと番頭さんはコージ達に丁寧にお辞儀をする。コージはちょっと困ったようにみぎての方を見る。もとはといえばみぎてと蒼雷のバトルが原因という気がするので、ここまで感謝されると詐欺と言う気がしてくる。みぎても恥ずかしそうに頭を掻いている。

「でもほんと、ロスマルク先生の腰痛も良くなったみたいだし。また腰痛でたら来ましょうね」
「セルティ先生、そりゃ勘弁してくださいよ。痛いのなんのって大変なんですから」

 慌てて手を振るロスマルク先生に一同は笑った。たしかに温泉は良いが、腰痛となると情けないどころの騒ぎではない。
 女性陣がバスに乗りこんで、最後にみぎてとコージがタラップをあがろうとしたときに、唐突に蒼雷が彼らを呼びとめた。

「みぎて、コージ…」
「おう、またくるからさ。おまえも今度バビロン遊びに来いよ」
「っていってもうちは狭いから、魔神二人だときついけど」
「はははは、そのうちかならず行くって。」

 六畳1Kのコージ達の下宿に蒼雷を泊めるとなると、もう立って寝るか、押しいれに寝るしか手がなさそうな気がしてくる。思わず笑い出した彼らだったが、その時蒼雷は一言言ったのである。

「おまえら、相棒大事にしろよ。こんなバカコンビ、めったにいないからさ」

 一瞬二人は蒼雷と、そして互いを見て…そして微笑みながらうなずいた。

「へへへっ、もちろんだぜっ!」
「ああ。ありがとっ。またなっ!」

 それだけ言うと、二人はタラップをかけあがりバスに乗りこんだのである。

(おわり)

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