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炎の魔神みぎてくん POWER LIVE ①「俺さまも最近は人間族の歌」

1.「俺さまも最近は人間族の歌」

 十一月ともなると、バビロン大学の構内の並木もいっせいに秋の様相に変わる。大きなポプラやプラタナスがいっせいに褐色へと変わり、風が吹くごとに枯葉を落とし始めるからである。ポプラなどはしばしば硬くて丸い実まで、まるで人の頭を狙ったかのように投下するのだから、街路樹の下を歩くのもちょっと勇気がいる。もしかしていたずらものの精霊が宿っているのかもしれないが、これも秋の風物詩である。
 もちろん秋のバビロン大学風物詩といえば、ポプラ爆弾だけではない。この時期になると並木の下にいっせいに立て看板が並び始めるのである。「俺バンドバトル」とか「心霊研究会体験入部」とか、それこそ何がなんだかわからないような絵や文字が書かれた看板である。畳二畳は軽くあるサイズであるから、こういう広い大学構内でなければとても設置できないようなしろものだろう。
 こんな立て看板は大学では年に二回、春と秋に大量出現する。もちろんほかのシーズンにも無いわけではないのだが(特に一部の政治系ネタのサークルの意見広告とかである)、数が違う。春は当然だが当大学の入学シーズンなので、新入部員募集の看板だというのは誰でもすぐ想像がつくだろう。となると、秋はこれまたお約束で…これは学園祭である。実はバビロン大学の大学祭「秋霊祭」が近いのである。つまりこの立て看板の群れは、大学祭で行われるさまざまなイベントの広告というわけである。
 当然のことながら、学内ではそれこそいたるところでイベントの準備が行われている。授業もそっちのけで新しい立て看板を作る学生や、熱心にコンサートの練習をするバンドの連中がうじゃうじゃいる。こんな状態では、大学祭前の一ヶ月間は学校は開店休業状態になってしまうようである。

 もっとも実はこの時期大学が開店休業になるというのは、もうひとつ大きな理由がある。ちょうどこの十一月の半ばに、院生の学位論文提出があたっているのである。学位論文というものは、単なる大学生の卒業論文とはレベルが違う。ページ数も相当なものだし(軽く百ページを超える)、精霊語による要旨やらなにやらを含めると大変な作業量になる。当然それぞれの講座は当の院生や指導教官だけでなく、今年は論文が無いはずのM1(魔道師過程一年生)の手まで借りての大騒動になる。とてもじゃないが授業などやっている暇など無い(これは実は問題発言なのだが)。
 ということで休講が相次ぐバビロン大学十一月は、学部生にとっては半分休日、つまり大学祭の準備には最適の期間となっているのである。

*     *     *

「コージ、できたぜ、図ー二四。こんな感じでいいか?」
「あ、できた?お、上出来じゃん」

 今年いよいよ学位論文仕上げになるコージも、この十一月に入ってからというもの修羅場の連続である。なにせ毎日睡眠時間は平均四時間、朝起きて、飯を食って、相棒と一緒に登校して、夜中までごたごたと論文の作業をして帰宅するというローテーションなのだから、まさしく修羅場としか言いようが無い。一〇〇ページ以上もの文章を書くというのも初めてだし、頭から最後まで一貫した論旨というのはさらに難しいものである。それに実は文章よりも「図」が時間がかかる。グラフやら表というものは、コージのような魔法工学の分野では本文以上に重要なものなのである。技術的な論文はデータで勝負ということもあるし、なにより(これは本末転倒なのだが)論文の評価もそれだけでかなり変わってしまうからである。図やOHPが素敵な論文は、内容が少々いい加減でもよい評価となってしまうというのが、この世界の偽らざる実体である。さらに実はコージのテーマは「魔法工学部」としてはちょっと異色なので、その点でも苦労は多い。
 そういうわけで、コージが必死に本文を書いている間に、相棒の魔神には図を描いてもらうという、すごい分担となっているのである。

「これすごい!よくこんなの描けたな」
「へへっ、俺さまだってパソコン慣れたからさ。絵描きくらいはなんとかなるぜ」

 プリントアウトされた「図ー二四魔界のある村落での人口統計(年齢)」を見て、コージはちょっと驚いたようにうなる。そこには結構きれいなたる型のグラフがきちんと出来上がっている。線も細すぎず太すぎず、これなら見栄えも良好である。これが目の前のでかい炎の魔神が描いたものとは信じられないほどの出来上がりだった。プロが作った…というほどすごいものではないが、これなら充分使えそうである。
 それになにより修羅場のコージにとって、この相棒がこんな実用的な手伝いをしてくれるということが奇跡のような話ともいえる。なにせ、相手は本物の炎の魔神で、どう考えてもこういった細かい作業が得意だとは思えないのだから、これはまさしく奇跡…地獄に仏ならぬ地獄に魔神(言葉にするとなんだか変だが)である。

「おどろいた、みぎて。全然期待してなかっただけにほんと驚く」
「ええっ!ひでぇなぁ~。似合わねぇっていわれるとちょっと納得するけどさ」

 みぎて、というのはこの魔神のことである。もちろんこんな妙な名前が本名のわけは無い。精霊語でフレイムベラリオスという立派な名前がある。が、どうしたことかこの魔神は「みぎて大魔神さま」というニックネームで呼ばれることを好む。おそらく本名は仰々しくてちょっと気恥ずかしいのかもしれない。とにかく講座では彼のことは誰もが「みぎてくん」とか、単に(コージのように)「みぎて」と呼ぶのが普通である。
 ともかくこれだけまともな図をちゃんと仕上げてくれるのならば、コージとしても大助かり、感謝感激である。褒めちぎられたみぎては、ちょっと気恥ずかしそうに頭を掻く。まあこういうところは人間であれ魔神であれ同じである。
 しかしそのとき、コージは残念なものを見つけてしまった。誤字である。

「…でもここ…字が間違ってるって」
「えっ?どこだよ」
「…ここ」

 よくよく見ると凡例のところに見事な誤字である。「炎の魔神族(含む溶岩魔神)」という部分が「ようかん魔神」になっている。パソコンにありがちな誤変換なのか、それともこの魔神が完全に間違えているのかはわからないが…
 コージが正しい字を横に小さく書くと、みぎては見る見るうちに恥ずかしそうに顔を赤らめはじめる。どうやらやはり誤変換ではなく、純粋に本人の間違いのようである。

「げげっ、ようかんって食い物のことじゃないのかよ!」
「…羊羹魔神っていうほうがすごいって…」
「なんか変だとは思ってたんだけどさ…」

 いくら魔界の研究論文だからといって「羊羹魔神」というのはさすがにいないだろう。普通はその時点でおかしいと気がつきそうなものである。つまるところ、論文の内容をこの魔神が理解していないということに違いない。
 が、そう指摘されたみぎてはコージの描いた手書きのイメージ図を取り出して、指を刺す。

「コージの描いた図もそうなってるぜ。後で聞こうと思ってたんだけどさ」
「え?…げげっ!」

 よく見るとたしかに原図にも「含むようかん魔神」になっている。殴り書きだからつづりを間違えたのである。これは半分はコージの責任だろう。今度はコージが赤面してごまかす番となる。

「あ、これ溶岩。溶岩の間違い」
「あはは。すぐ直すぜ」

 げらげら笑いながらみぎてはうなずく。どうやらこいつは一連のこの騒ぎを嫌がっているどころか、むしろ楽しんでいるようですらある。まあもともとこの魔神のおかげでコージは論文を書くことができるようなものであるし(世界広しといえども、「魔界と魔神族の魔法学的文化論」などというとんでもないテーマで学位論文が書けるのは、魔神と同居しているコージだけである。もっとも当初はこれが「魔法工学部」でやるテーマかという問題でもめたのだが、その辺はこの段階では関係が無い。)、そう考えるとこの魔神がコージの論文騒ぎを楽しむ(?)権利は充分あるといっていい。いや、今はともかく猫の手でも借りたいのであるから、多少の誤字脱字があろうがそれなりにちゃんと図を描いてくれるみぎてにたいして、文句があろうはずはない。とにかく今日はコージのほうが立場は弱いのである。

「頼む~、まだまだ図がたくさんいるからさぁ」
「わかってるって。あとでラーメン大盛り食わせろよ」
「わかったわかった」

 相変わらず喰うことだけには熱心なこの魔神の注文に、コージは苦笑してうなずくしかなかった。とにかく学位論文が書きあがるのならば、ラーメン大盛だろうが牛丼特盛だろうが安い話だからである。

*     *     *

 さっきから「相棒の魔神」と当然のように説明していたが、もちろんこんな珍しい相棒を持っているのは、バビロン大学の六〇〇〇人の学生の中でもコージ一人である。いや、ひょっとすると世界でも彼くらいのものかもしれない。もちろん大魔道士とか英雄賢者とか、そういうレベルの人ならば「同盟精霊」という形で魔神の一人や二人は(神様だから一柱・二柱だろうが)従えているかもしれないが、コージとみぎての場合はまったく話が違う。
 第一コージはこんな魔神を呼び出せるような英雄や賢者ではない。単にこのバビロン大学の魔法工学部の大学院生…つまり魔道師の見習いにすぎないし、親戚や先祖に偉大な魔法使いがいたという話も聞いたことが無い。そう、この魔神はあくまで自由意志で人間界にやってきて、ひょんなことからコージと仲良くなって、そして本当に自己都合で二人は同居しているのである。要するに今流行のルームシェアリングというのが正しい。単に相手が魔神族というだけのことである。(もちろんこの魔神が人間界で暮らせるように、コージがいろいろ面倒を見たのも事実だが…)

 たしかにみぎては魔神らしくコージより頭ひとつ以上大きいし、腕や足など丸太のように太くて筋肉質である。赤銅色の肌といいルビー色の瞳といい、そして額に生えた小さな角といい、やはり明らかに人間とは違っている。そしてなによりこの魔神には立派な炎の翼と炎の髪の毛がある。何も知らない子供が見たら、泣き出してしまうのではないかと思うような迫力のある姿である。
 しかし少し観察すれば、この魔神がいかに気がいい、素敵なやつであるかということなどすぐ理解できる。とにかくこいつはお人よしで人懐っこい。一緒に住んでいるコージがうらやましくなるくらいに誰とでもすぐ仲良くなれる。もうこれは天性の才能といってもいいだろう。実際、近所のおばさんおじさんだろうが、学校の連中だろうが、たちまちのうちにこの魔神のことを受け入れて、「コージさんところの魔神さん」とか、単に「みぎてくん」とか呼ぶようになっている。
 実際のところ今となってはみぎて抜きの生活というものは、とてもコージには考えられそうに無い。同居を始めてから三年になるが、毎日驚かされたり笑ったり、まさしく興奮の連続といっても良いくらいである。もちろん相棒が魔神族、ということはそれなりにいろいろ予想外の不具合(大柄の魔神と同居するには部屋が狭いとか、大飯ぐらいで食費が大変だとか)もあるのだが、そんなことはたいした問題ではない。みぎてと一緒に暮らす日常は、まさしく世界のどんな人も体験できない素敵な日常といってもいい。
 とにかくコージにとってみぎては同居人で、家族で、そして誰よりも大切な相棒だった。そしてこの魔神も同じ思いを抱いているということも、コージははっきりと確信しているのである。

 さて、コージはその後も熱心に論文執筆を続ける。というより続けざるを得ない。いつもはこの手のことは面倒なので適当なところで適当にけりをつけてしまうのだが、今回ばかりはそうも言ってられない。さすがに一生に一度の魔道師学位論文である。いくらめんどくさがりのコージといっても、がんばらないわけにはいかない。実際既に何時間パソコンの前に座っているかわからないくらいである。
 しばらく熱中して原稿を書いていると、次第におなかが減ってくる。一日ほとんど動きもせずにパソコンで作業ばかりだといっても、やはり人間はエネルギーを使うものなのである。ふと時計を見るともはや時刻は夜の十時を回っている。みぎてが空腹で悲鳴を上げないのが不思議なくらいである。(先ほど少し触れたが、あの魔神は三度の飯が何より大好きである。)いや、もしかするとこっそりお菓子でも食べてごまかしているのかもしれない。
 と、そこへひょっこりとブロンドヘアーの青年が姿を見せる。ディレルである。ディレルというのは既にレギュラー出演なのでご存知だと思うが、コージたちの同級生で講座仲間である。

「コージ、調子はどう?」
「きつい。ぜんぜん終わりが見えない」

 ふてくされたように答えるコージに、ディレルはちょっと苦笑する。このトリトン族の青年は講座で一番の優等生で、コージやみぎての親友だった。トリトン族という種族は、もともとは海に住んでいる妖精族の仲間なのだが、このバビロンにも昔からたくさん住んでいる。ディレルもそんな連中の一人で、実は自宅は銭湯である。付き合いのほうも、コージが大学に入学したときからであるからもう六年になる。

「こっちもですよ。まあでも今日はもう終わりにしようかと思うんだけど、コージはどうします?」
「そうするかなぁ、腹減ったし。みぎてはどうしてる?」
「あはは、買い置きのカップ麺食べてますよ」

 案の定みぎてはあまりの空腹に我慢できず、買い置きのカップ麺(ビッグサイズ)を食べていたようである。まあこんな時刻まで飯も食わずにつき合わせたのだから無理も無い。実際コージ自身が結構腹が減っているのだから当然だろう。これ以上待たせるとカップ麺のカップのほうまで食べてしまうかもしれない(もちろんそんなことは無いと思うが)。
 コージは仕方がないというように頭を掻くと、書きかけの原稿を保存してパソコンの電源を落としたのである。

 ディレルにつれられてとなりの部屋…共同研究室に入ったコージは、机のそばでカップ麺を平らげて、最後のスープ一滴まで飲み干している魔神の姿を見つけた。机のパソコンにはグラフ描きソフトがまだ起動したままである。横には「誰でもわかる表計算」なとというパソコン解説本まで転がっているのところを見ると、やはり相当苦戦しているのだろう。この魔神がわざわざ「解説本」を見るということ自体がすごいことである。

「あ、コージ、今日は終わりか?」
「やっぱり食ってた~。においが廊下までするぞ」
「あんまり腹へって、パソコン画面がぐるぐる回りそうでさぁ。もう十時だし」

 みぎてはそう言ってあわててカップ麺の残骸を片付けようとする。別に悪いことをしているわけではないのだが(こんな時刻までつき合わせているのだから)、やっぱりちょっと気恥ずかしいのであろう。授業中に早弁をしたような気分に違いない。

「まあみぎてくん、ずいぶんがんばってますからねぇ。」
「あはは、ディレルが結構教えてくれるしさ」
「えっ?ディレルほんとに?大丈夫だったのか?」

 どうやらみぎてにグラフ描きソフトの使い方を教えたのはディレルらしい。たしかに何度かコージも説明したり、一緒にグラフや表を作ったりしたこともあるのだが、あそこまできちんとした図の作り方を教えたことはない。(なにしろコージ自身がそこまできちんとした図の描き方は知らないのである。)ということはひょっとするとこの魔神は相当ディレルに迷惑をかけた可能性がある。ディレルだってコージと立場は同じなのである。
 実はディレルの最大の美点であり欠点は、人があまりに良すぎるという点なのである。とにかく面倒見がいいというか、押しが弱いというか…とにかく頼まれたことをいやだといえない性格で、しょっちゅう講座の幹事役や雑用を引き受ける羽目になっている。「万年幹事」というのは彼のありがたくないあだ名なのである。しかしよりによって学位論文でぎりぎりの状況で、この魔神がパソコンの使い方を教えてもらうというのは、あまりにもひどい話という気がする。
 するとディレルは笑いながらコージの懸念を否定した。

「気にすること無いですよコージ。実は一緒に僕のほうの図を二、三枚描いてもらったんです。やっぱり実地訓練が一番ですからね」
「あ、なるほどなぁ」
「結構ディレル、チェック厳しいぜ。指摘いっぱい。聞いてるだけで腹減るくらい」
「…それも想像つく」

 たしかにこの手のことは実地訓練が一番よいというのはコージにもわかる。どうもコージに比べてディレルのほうが教育はうまいようである。まあおかげでコージはみぎてに図を任せることができるようになったわけであるから、素直に感謝感激するのが良い。が、もちろん今夜はみぎてだけでなく、ディレルにもラーメンをおごるのが礼儀だろう。
 まあいずれにせよそろそろ部屋の戸締りを済ませないと、ラーメン屋さんが閉まってしまう。もちろん最悪ラーメン屋さんが閉まっていても、牛丼屋さんやファミレスという選択肢も無いわけではないのだが、いずれも少し学校からは離れている。こんな腹が減っている状況ではあまり遠くまで行くのはうれしくは無い。それに…
 何より目の前の魔神が(カップめんを平らげたにもかかわらず)早く飯を食いたいというオーラを発しているのが、あまりに笑えてしまうからである。万一これで楽しみにしているラーメン大盛りを逃そうものなら、絶対三日くらいぐれるのは確実である。さすがのコージもそこまでむごいことをするわけにはいかない。
 コージが笑いながら後片付けを始めると、みぎては(いよいよ飯が近づいたということで)喜び勇んで部屋の火の元のチェックを始めたのはいうまでも無い。

*     *     *

 三人は講座の戸締りを済ませて、早速校門前のラーメン屋へと向かった。さすがに学位論文前の修羅場時期である。ほとんどの校舎でそこかしこに明かりがついている。論文を書いたり、不足しているデータを集めるのにみんな大わらわなのであろう。
 もっとも…意外なことに校舎以外の施設まで明かりがついている。食堂やら学生会館のロビーである。当然食堂や売店は閉まっている時刻なので、お客が居るというわけではない。近くを通ると中には数名のグループがいくつかいて、床でなにかをごそごそやっている。どうやら立て看板を描いているところらしい。

「あ、そろそろ大学祭なんですよね。どうりで人が居るとおもいましたよ」
「すっかり忘れてたなぁ…」

 ディレルもコージも今の今まで大学祭なんてものを忘れていたようである。まあ学位論文できりきり舞いである彼らであるから無理もない話である。もっとも大学祭というやつは、メインで参加するのはクラブに参加している連中だから、学部生のときに部活をやっていなかったコージやディレルはほとんどまともに参加した経験もない。今となってはちょっと残念な気もするが、いまさらどうかなるような話ではない。
 傍らで腹をすかせている魔神もその点は同感らしかった。

「大学祭っていつも屋台で昼飯食うのが楽しいんだよな。いっぱい店でるし」
「あはは、みぎてくん屋台好きですからねぇ」

 たしかに大学祭というと、いろんなサークルがテントを張って焼きそばや焼き鳥などの屋台を出すというのは定番である。去年やおととしはコージたちも屋台を回って昼飯を済ませている。もっとも味のほうは店によってまちまちで、炭化寸前の焼き鳥が出てきたり、塩と砂糖を間違えたのではないかと思えるカレーが出てきたりすることもある。一種のギャンブルのようなものである。

「去年は留学生サークルのお国料理がうまかったですよ。今年もあれば食べに行ってもいいかな」
「あ、俺さまも覚えてる。あそこいいよな」
「あれってちょっとみぎて好みだよな。エスニック系が多いし」

 遠い国からバビロン大学に留学してきた人が作っているサークルなどは、大学祭の時にはお国自慢料理の屋台を出すのが恒例である。バビロンで普通に食べる料理とは一風変わったエスニックな雰囲気がたしかに興味深い。よく考えてみるとこの魔神も留学生(魔界からの)なのであるから、こういう異国情緒あふれる料理には、どこか共感というか郷愁のようなものを感じるのかもしれない。
 が、こんな話題で盛り上がるというのも、彼らの空腹のなせる業であるというのは確実である。彼らは心なしか早足で校門をくぐり、赤いちょうちんの「大学前ラーメン」に突撃したのは当然の行動だろう。

 「大学前ラーメン」は、既に何度か話に出たことがあると思うが、みぎてのお気に入りのラーメン屋である。キムチ味系のスープがうまい上に、学生向けの大盛りが大人気の店だった。「並」が普通の店の大盛で、大盛ともなればそれこそ料理用のボールにラーメンがなみなみと入っている。体育会系の学生やら肉体労働系の青年には最適の店といっていい。
 当然のことながら、みぎては魔神族ということでそこいらの体育会系青年どころの騒ぎではない体格である。普通の店に入ると最低二人前は食わないと我慢できないのがいつものことである。ところがここ大学前ラーメンの場合は、いかに大食いのみぎてでも大盛り+ライスを食えば大満足になるというのだから、気に入るのも当然である。さらにキムチ味というところがポイントが高い(魔界料理は…コージの基準で言えばかなり辛いからである)。
 三人はテーブル席に座って、早速注文を済ませる。みぎてはいつものようにキムチラーメン大盛りライス付、コージとディレルは並と餃子である。みぎてのラーメンとディレルの餃子はコージのおごりというのは当然だろう。
 こんな時刻だというのに店の中には結構な数の客がいる。コージと同じような魔道師学位論文組もいるのだろうが、むしろ大学祭準備の連中のほうが多いような気がする。斜め向かいの席にはバンドの練習を終えたばかりらしい、キンキンの茶髪の集団がいるし(エレキギターらしいものを持っているのだから間違いなさそうである)、隣は隣でどこかのサークルの連中が、餃子を肴にビールを飲みながら打ち合わせをしている。ちょっとうらやましくなるような楽しげな様子である。

「コージ、あれって楽器だろ?思ったより小さいんだな」

 どうやらみぎては向こうの集団の席に立てかけてある、エレキギターかベースらしいものが気になるらしい。こっそりコージに聞いてくる。まあコージにせよバンド活動をしたことがあるわけではないので、あまり詳しいことはわかるわけではない。が、たしかに言われてみれば、思ったよりは小さいような気がする。テレビでああいう楽器を演奏しているシーンの記憶では、結構大きいものという気がしていたのである。
 するとディレルは笑いながら答えた。

「あ、ああいう電子楽器って意外と小さいものなんですよ。というより昔の楽器は音を大きくするために、共鳴箱がありますよね?」
「共鳴箱?」
「ほら、クラシックギターとかは胴体の部分、ただの空っぽの箱なんですよ。そこで共鳴させて音を大きくするんですよね。電子楽器だとそういう箱要らないから」
「へぇ~、そうなんだ。知らなかったなぁ…」

 クラシックギターやバイオリンのような昔風の弦楽器は、たしかにかならず胴体がそれなりに大きくて、中身は空っぽになっている。その箱が弦に共鳴して音を大きくしているのである。そうでなければとてもお客に聞こえる音量にはならない。電子楽器の場合はそういう箱が要らないので、あんな小さくても良いというわけだった。ちょっとした豆知識である。
 しかしディレルがこういう楽器に詳しいというのは始めての話だろう。コージはちょっと突っ込みを入れてみる。

「ディレルはギターとか持ってるのか?結構詳しいじゃん」

 するとトリトンは笑って答えた。

「まあね。クラシックギターは昔ちょっとやってたんですよ。」
「へぇ~っ!すげぇなっ!」
「ディレルだとクラシックギター似合うよな。っていうか似合いすぎ…」

 ちょっと上品な感じがあるディレルだと、たしかにクラシックな弦楽器が似合うような気がする。もっとも実はこのトリトンが上品な生まれかどうかについては、いささか異論があるのだが(実はこいつは下町のお風呂屋さんの息子なのである)…ともかく似合うというのは間違いない。

「でもさ、トリトン族ってでも普通は海に住んでるよな。ギターって弾かないだろ?」
「あ、まあね。トリトン族の民族楽器はやっぱりほら貝ホルンとか竪琴ですよね。ホルンは僕は吹けないけど、竪琴ならちょっとは弾けますよ」
「ええっ!すげぇっ!ますますすげぇっ!」

 たしかに木の響胴のギターでは、海辺で使おうものなら一発でだめになってしまうのは間違いない。トリトン族古来の楽器といえばやはり笛や竪琴のような木を使わないものなのである。が、それにしてもそんなのが(ちょっととはいえ)弾けるというのは立派なものである。

絵 竜門寺ユカラ

 あんまり二人が目から尊敬の視線光線を放つものでちょっと恥ずかしくなったのか、ディレルは赤面しながら話題を変えた。

「でもやっぱりみんな大学祭準備なんですねぇ。僕達くらいなのかな、学位論文締め切り前なのは」

 どうやらこいつは隣の連中がビールをうまそうに飲んでいるのが悔しいらしい。たしかにいつもなら晩酌という感じでビールを一杯引っ掛けてもおかしくは無いタイミングである。コージもディレルもビールが嫌いではないし、みぎては炎の魔神なのでビールは苦手なのだが(冷えたビールが飲めないのである)代わりに焼酎は大好きである。
 しかし学位論文を抱えたこの時期では、気分的にお酒などを飲む気にはならないのは当然である。うっかり深酒などしようものなら、明日のスケジュールに響くことになりかねない。というわけで残念ながら乾杯は自粛なのである。

「だよなぁ。まあお前らの修論終わったら宴会しようぜ。カラオケとかさ」
「そうだな、久々にカラオケなんていいかもな」
「ですねぇ。僕も半年は行ってないですよ、カラオケ」

 どうやらみぎてはさっきの楽器の話のせいで、ちょっと音楽ネタに走りたいらしい。もちろんコージもディレルもカラオケには異論などあろうはずはない。学位論文の提出さえ終われば、あとは来年頭の学位論文発表会までは少し余裕ができる。お祝いにカラオケパーティーくらいは罪にはならないだろう。
 しかしディレルは早速妙なことを心配し始める。

「でもカラオケボックス、修論提出の直後って結構混んでるんじゃないですか?大学祭直前ですし…予約しておいたほうがいいかも」

 こんなことをいきなり気にし始めるのが、このトリトン族が「万年幹事」と呼ばれるゆえんである。面倒見がいいというよりも心配性というのに近いかもしれない。コージもみぎても思わずあきれて笑ってしまう。

「ええっ?大丈夫じゃないか?大学祭の打ち上げと重なるわけじゃないんだし」
「最悪でもちょっと待てば大丈夫だって。俺さまそれくらい平気だぜ」

 スケジュール的にはたしかに論文の提出日が月曜日で、その週の金曜~日曜が大学祭であるから、ちょうど準備が一番盛り上がる時期である。大学祭準備ついでにカラオケをするという連中もいないわけではないだろうが、そこまで大入り満員となるとは思えない。せいぜいコージたちと同じような学位論文打ち上げ組と競合する程度だろう。

「まあそうかもしれませんねぇ。大丈夫かな」

 そう言いながらもディレルはなんとなく不安そうである。まあ確かに今までこの講座で散々苦労させられた(大体この講座のイベントは一騒動がある)彼としては、極力不安要因は排除しておきたいと思うのは仕方がないことかもしれない。
 しかし考えてみればこのメンバーでカラオケをするというのは、実は三年間も講座で一緒にいるにもかかわらずほとんど例の無いことだった。コージはだいたいカラオケをするよりは居酒屋で飲むほうが好きだったし、みぎての場合はカラオケのレパートリーは見るからに少なそうである。まあ考えてみればいくら最近は通信カラオケのおかげで曲数が多いといっても、魔界のヒット曲が配信されているという話は聞いたことが無い。いやそれ以前にそもそも魔界にヒットチャートがあるのかどうかかなり疑問である。
 気になったコージはみぎてに聞いてみる。

「でもさ、みぎて。お前がカラオケって言い出すの珍しいよな。はじめてじゃないか?」
「そういえばそうですよねぇ。みぎてくんの歌ってあんまり聞いたことないし。去年のクリスマスくらいじゃないですか?」

 たしかにこの魔神が歌を歌う姿というのは、昨年みんなでクリスマスパーティーをしたときに、魔界の「七面鳥ソング」なるものを披露したときくらいしか記憶に無い。決して音痴ではないようだし、声も良く通るので見かけの無骨さから考えると予想以上にうまかったという印象がある。
 すると魔神はからからと笑って答える。

「そりゃカラオケボックス、魔界の歌ないからさぁ。俺さま結構、歌うの好きなんだけど。二人とも、俺さまの鼻歌聴いてるだろ?」
「あ…言われてみればそうか…」
「そういえば…」

 コージもディレルも言われるまで、この魔神がしばしば「鼻歌交じり」で道を歩いたり、作業をしたりしているのをすっかり忘れていたのである。というより、「鼻歌」が「歌が好き」ということとまったく結びついていなかったというわけだった。まあ実際ほとんどの場合、この魔神の鼻歌は魔界の音楽らしく、コージもディレルも聞いたことの無い曲であることが多かったせいもある。しかしそれでもカラオケボックスに魔界の曲が無いという問題は残るのだが…

「だいじょぶだいじょぶ。俺さまも最近は人間族の歌も覚えたしさ。結構歌えると思うぜ」
「まあそろそろ四年ですからねぇ。みぎてくんが来てから…」
「そんなになるんだなぁ。さすがに覚えるか」

 コージはしみじみと相棒の魔神の顔を見て、四年という月日を思い返した。なんだかあんまり毎日が楽しすぎて、もう四年もたっているという事実がぴんと来ないほどである。おそらくこの様子ではディレルだって同じように感じているのかもしれない。無論目の前の相棒が同じ思いなのは間違いない。なにせ四年も一緒にいるのだから、それくらいのことはいつだってわかるのである。
 もっともそんな感慨はあっという間に中断となった。目の前にドンと現れた大盛りキムチラーメンのうまそうな香りをかげば、みぎてでなくても我慢などできるものではない。ましてや今は空腹の極致である。
 三人は思わず歓声を上げて、あつあつのラーメンに挑み始めたのは言うまでも無い。やはり彼らはまだまだ色気より食い気という世代なのである。

(②へつづく)

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