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炎の魔神みぎてくん 熱帯低気圧⑦「あんた一人なら空飛べそう?」

7.「あんた一人なら空飛べそう?」

 風船ハウスの中で、こんな勝手な会話がなされているなどはつゆすらず、シラサギは全力で飛行を続けていた。暴風に乗っての全力飛行である。たちまちのうちにバビロンの街を飛び出して、既に彼らは南の港町の上空に差し掛かっていた。
 ところが予想に反して彼らの「天の鳥船アマノトリフネ」はなかなかポリーニたちの姿を捉えることはできなかった。意外な話なのだが、距離がなかなか縮まらないのである。たしかにさっきも言ったとおり「エンジンの無い風船と、自力飛行が出来るシラサギ」なのだから、絶対こっちの方が速いはずである。ところがこんな台風のまっただなかとなると、いくらシラサギの精霊でも自分の姿勢の安定に精一杯で、それほど無茶な暴走はできない。結局のところ、彼らの速度はせいぜい風に乗った分+α程度なのである。向こうも「風に乗った分」は全く同等なのだから、これはそう簡単に接近できないのも当然だった。
 東の空は次第に真っ黒ではなくグレー色になってくる。厚く雲が垂れ込めているからはっきりとはわからないが、おそらく日の出が近いのだろう。ディレルはまたポケットから地図と、それから懐中時計を出して再度位置を確認する。

「うーん、計算だともうポリーニは海の上ですよ。こっちも海岸が見えてくるころです。」
「台風はどこにいるんだ?」
「まだちょっと上陸には間がありますね。速度が遅くなってるみたいです。」

 コージは唇をかんでディレルの冷静な報告を聞く。焦っても仕方ないのはわかっているのだが、やはり緊張は隠せない。なにせ彼女の風船玉はまだ姿も見えないのではどうしようもない。まあみぎてだけはなんとか(ヴィスチャの)精霊力をとらえているのが唯一の救いである。もっと近づけばコージたちにもわかるのだろうが、今は大魔神の鋭い感覚だけが便りである。
 ところがその時、みぎてが怪訝な声を出して、彼らの進路から見るとやや東の方角を指差した。ちょうど南東方向という感じである。

「コージ、あっちは晴れてきてるぜ。」

 魔神の示す方向を見ると、たしかに空がそこだけうっすらと青みである。雲の切れ間から明け方の空が見えているのであろう。他のところが真っ黒の雲一色なのだから、そこだけ晴れ間が出ているのは不思議である。
 ディレルは地図を見てコメントした。

「あ、あっちが台風の中心ですよ。台風の目があるんですね」
「台風の目?台風って目玉あるんだ!俺さま初耳!」
「みぎて、また恥さらしてる…」

 明らかにみぎては「台風の目」を「まつげが付いている目玉」のようなものと思っているのは間違いない。またしても無知丸出しである。が、コージやディレル自身も実際に台風の目を体験するのは始めてのことである。(台風の目がはっきり見えるほどの強い台風など、なかなかあるものではない。)
 ところがその言葉を聞いた瞬間、蒼雷そうれいの顔色が変わった。

「台風の目だって!マヂかよっ!」
「えっ?どうしたんだ蒼雷?」

 驚いたコージたちは蒼雷の顔を見た。この魔神はさっきまでの、緊張しながらもすこし余裕がある表情ではなくなっている。絶体絶命の大ピンチとも言うべき、明らかに蒼白な顔になっていた。
 彼は引きつった声で言った。

「台風の目に入ると、俺やヴィスチャ、精霊力めちゃくちゃ落ちるんだよ!風船ハウスもやばいぜっ!」
「なんだって!」
「あっ!たしかに!」

 たしかに…ここからでもわかるが、はるかに見える台風の目からは、風の精霊力はほとんど全くといっていいほど感じられない。彼らの周りに吹き荒れている暴風圏には、たっぷりすぎるほど風の力が存在するのにもかかわらず、である。言わずと知れたことだが、台風の目の中は晴れているだけでなく無風状態である。風の精霊力が失われるのも当たり前である。そして当然…
 風の精霊力を詰め込んで飛行しているあの風船ハウスも、浮力がなくなって墜落してしまうのも間違いないことだった。これはなんとしてもポリーニたちが台風の目に入る前に追いつかなければならない。
 そう、彼らはいよいよ絶体絶命のピンチに陥ってしまったのである。

 コージは蒼雷の蒼白な顔を見て、「台風の目」という罠がどれほど風の魔神にとって厳しいものなのかうすうす想像が付いた。人間にしてみれば、きっと砂漠に放り出されるようなものなのである。そこにいるだけで体力もなくなるし、行動もままならないに違いない。いや、蒼雷だけの問題ではない。ポリーニのほうには子供の魔神までいるのである。事態はおそらくコージが考えているより深刻に違いない。下手をすると救出どころか、彼ら風の魔神がそろって全滅するという恐れまである。
 しかしその時、みぎてが口を開いた。意外なことにそれはとても建設的なアドバイスだった。

「蒼雷、短時間で済ませばなんてことねぇって。やばくなったら俺さまもいるからさ」
「みぎて…」
「あはは、俺さまこんな雨とか、良く喰らうからな。やる気になりゃ何とかなるもんだって。どうせ短気決戦だ。リキためて、ここぞって時にだけ使えば大丈夫だぜ」

 考えてみれば相棒の炎の魔神も、こんな風雨の中で楽なわけは無い。しかも彼の場合は風雨にさらされて既に相当時間頑張っているのである。それに比べると救出作戦などは当然(必然的に)短気決戦である。力を上手に使えば乗り切れるはず…それがみぎての見解だった。やはりだてにこの魔神は人間と一緒に暮らしているわけではないようである。
 蒼雷は悔しいようなうれしいような顔をしてうなずいた。

「ちっ、お前に借りをつくるのが一番いやなんだけどな。まあそのアドバイスもらった」
「いやって何だよ。せっかくちょっと心配してやってるのに」
「…口だけは元気ですねぇ二人とも…」

 ディレルとコージは意外に元気な二人の魔神の舌戦に苦笑する。が、その時だった…一声シラサギが高く、そして強く啼いた。そして同時にみぎては身を乗り出して叫んだ。

「あっ!見えたっ!あれだっ!」

 みぎての太い指先の向こうには、不気味な赤い暁光にシルエットのように黒い点が浮かんでいた。そしてはるかに微かだが伝わってくる風の魔神の精霊力…そう、台風の目を目の前にして、ついに彼らはポリーニの浮かぶ風船ハウスに追いついたのである。

絵 武器鍛冶帽子

*       *       *

 ようやく明るくなってきた空の中では、ポリーニの風船ハウスはほんの小さく、あたかも芥子粒のような大きさにしか見えなかった。周囲の黒冥々とした嵐と、そして不気味すぎる台風の目の晴れ間の境目に、本当に小さく消えてしまいそうな一点である。もし晴天であったならばそれは大空の広さを物語る、ある意味感動的な光景でもあったかもしれない。が、今の彼らにとっては本当に心細く不安な姿でしかなかった。

 ともかくいざ視界に入ってしまうと、余計に彼らと目的の風船ハウスとの間に広がる空間がなんとも広く感じる。シラサギはあたう限りの全力で携帯箱舟を目指して突き進んでいるにもかかわらず、全くといっていいほどその距離を縮めることは出来なかったからである。無論あくまでそれは彼らの気のせいなのだが、この緊迫した状態では、無限の広さと時間がかかっているような気がしてしまう。
 真正面の空に浮かんでいたはずの芥子粒だったが、次第にわずかずつ大きさを増してくる代わりに、明らかに高度が下がり始めていた。台風の目に近づいて、風の精霊力が失われつつあるのである。風の魔神である蒼雷はそのことをはっきりと肌で感じているらしかった。

「蒼雷、大丈夫か?」
「ああ、別にきついとかそういうわけじゃねぇ。でもいよいよ台風の目だ」

 さすがに彼ほどの強い魔神となると、たとえ台風の目に進入したからといってその力が全く失われるというわけではない。大雨の中でもみぎてが(不快であるかもしれないが)平気なのと同じである。が、当然精霊力は弱くなる。傍に居るコージやディレルも蒼雷の力がさっきより減少してきているのがはっきりとわかる。

「蒼雷君、僕が運転するよ。風船に飛び乗らないといけないだろ?」
「…あ、そうか。でもお前免許あるのか?」
「僕もコージも一応魔道士だから、個人用飛行免許はあるよ」

 ディレルは緊張する蒼雷を落ち着かせるようにそういった。たしかに彼の指摘どおり、いざシラサギが風船ハウスに(墜落する前に)追いついたとして、その段階でポリーニとヴィスチャをそこから救出しなければならないのである。それが出来るのは自力で満足に空を飛べる(はず)の風の魔神蒼雷だけである。無論みぎてやコージたちも、簡単な飛行呪文で空を飛ぶことは出来るのだが、こんな危険な状況下ではとても無理である。が、霊獣の運転くらいなら(事態を霊獣が把握しているのだから)彼らにだって出来る。
 蒼雷は硬い表情でうなずくと、ディレルに操縦席を代わった。(操縦席というのは単にシラサギの首のところである。)もちろん誰も乗っていなくてもこのシラサギはどこへなりとも飛ぶことは出来るのだが、きわどい飛行をするとなると、ナビゲータ役の操縦士が必要なのである。

「ともかくコージ、併走飛行になったら『スタビライゼーション』の魔法を最大限拡大しないといけないですね。二人がかりでやればかなり効果範囲が広がるはずですし」
「ああ、わかってる。ポリーニも気づいてくれればもっと楽だけど」
「どうでしょうねぇ…期待はしない方がいいと思いますよ」

 風船ハウスの中に居るポリーニたちがどういう状態になっているかは、今の彼らには全くわからない。墜落はしていないのだし、あくまであれは風船のようなものだから、たとえ大揺れに揺れたとしても少々の打撲程度で済んでいるとは思う…が、あくまでそれは希望的観測に過ぎない。ひょっとすると気絶くらいはしているかもしれない。少なくともコージたちの動きにあわせてくれるという甘い期待だけは出来ないだろう。

 彼らが風船ハウスの姿をはっきりと捉え始めるのと同時に、周囲の風は急速に静まってきた。ついに台風の目に入ったのである。さっきまでは恐ろしいほど満ちていた風の精霊力も、見る見るうちに消えてしまう。蒼雷やシラサギの精も風の魔神であるから、おそらく相当パワーダウンしたことだろう。もっともコージが見るところ、蒼雷はこんなことでは絶対に弱音をはかないことは間違いない。やせ我慢というか、こんなところで突っ張るところはみぎてと同じである。魔神族がみなそうだというわけではないのだろうが、少なくとも二人の魔神に共通の「気概」というやつだろう。が、こんな修羅場の瞬間にはそんなやせ我慢でも本当に心強い。
 明るくなった空を背景に、風船ハウスはどんどん高度を下げていった。眼下に浮かぶ海面は、やはり台風の中心部らしく大時化である。こんな海面に着水しては、たとえ風船ハウスが水に浮いたとしてもたちまちのうちに転覆してしまうのは確実だろう。(『スタビライゼーション』の効果が生きていたとしても大波の中では無駄である。)いくらディレルが水泳の達人だといっても、とても救出劇など出来るものではない。ともかくなんとかして、風船ハウスが落下する前に二人を救出しなければならないのである。

「やべぇっ!いそいでくれっ!鳥船!」

 蒼雷は半ば祈るようにシラサギに声をかける。するとシラサギはそれに答えてさらに、それこそ翼も折れよとばかりに必死に羽ばたく。大気を切り裂く白い翼は、まさしく焦る彼らの気持ちそのものだった。

*       *       *

 風船ハウスの中の二人は、さっきまでと打って変わって再びパニック状態になっていた。海の上に出たのはいいが、急速に高度がさがりはじめていたからである。風船ハウスから精霊力がどんどん抜けてきているのだから危機的状況である。

「やばいわよヴィスチャ、なんだかどんどん高度が落ちてるわ。このままじゃ落ちちゃうわよ!」
「ええっ!さっき精霊力入れたのに…発明おばちゃんどこか壊れたんじゃないの?」

 さしものヴィスチャもかなり疲れた顔をして再び精霊力を風船ハウスに流し込む。が、どうもあまり高度は回復しない。なんだかエネルギーが見る見るうちになくなってゆくのである。これでは精霊力をどぶに捨てるようなものである。
 ポリーニは窓から外を見てぎょっとした顔になった。窓から見える外の光景は明け方の赤い空である。台風の真っ只中にいるのに、赤い太陽光が見えるのだから何かおかしい。そういえばさっきから風もめっきり弱くなったようである。

「これどういうこと?台風どうなっちゃったの?」

 ポリーニはあまりの異常な光景に目を疑った。あれだけ強い台風がたったこれだけの時間で消え去ってしまうなどということはありえない。彼女はあわてて携帯ラジオをつけた。

「…は、既にバビロン地方を暴風圏内につつみ、北北東に時速三十五キロで進んでいます。中心の気圧は九百七十ヘクトパスカル…」

 ラジオの放送で聞く限り、やはり台風は一気に消失したとかそういう様子はない。それなのにこの晴れ間は信じがたい…彼女がヴィスチャと一緒に突然別世界に来たのかと疑いたくなるほどである。いや、別世界ならばラジオも入らないはずだろうから、やはりここはバビロン沖合いの海上なのである。
 その時彼女は突然恐ろしい事実を思い出した。

「…台風の目?まさか…」

 たしかに話に聞く台風の目ならば、風も止まるし天気も良くなる。が、その分周囲の風の精霊力も消えてしまう。ちょうど精霊力の穴のような状態なのである。事実さっきから周囲に風の精霊が感じられなくなっている。彼女も魔法発明家だけあって、精霊魔法はコージたちと同じくらい詳しいのだから間違いない。どおりでさっきからヴィスチャがいくら魔力を込めてもすぐなくなってしまうわけである。
 彼女はあわててヴィスチャの様子を見た。さっきまでの元気一杯の少年魔神は、今やなんだか風邪を引いたかのようにかなり弱っているような気がする。

「ヴィスチャ、大丈夫?なわけないわね」
「えっ?ちょっと疲れてるだけだって。平気」
「だめよ無理しちゃ。風の精霊力が消えてるのよ」
「ええっ?やばいよそれって!」

 ヴィスチャを安心させるように彼女は無理やり笑顔を作る。が、内心は今度こそ絶体絶命だとはっきりと悟っていた。頼みのヴィスチャが力を失えば、もはやこの風船ハウスは沈没するしかない。彼女が作ったのだからそれは充分わかっている。
 が、今度はさっきと違ってポリーニは興奮状態にはならなかった。興奮して騒ぐ気にはならない…それよりも蒼雷にあわせる顔が無いという気持ちで一杯になってしまったからである。自分のことばかりを考えていたさっきの状況とは違う…今はヴィスチャを巻き添えにしてしまったことがとてもつらいのである。えらそうなことも憎たらしいことも言うが、この弟みたいな少年魔神まで彼女の失敗で危険に追い込んでしまったこと…それがあまりにも情けなくて、彼女は不覚にも涙がこぼれそうになってしまったのである。

「ヴィスチャ、あんた一人なら空飛べそう?」
「えっ?…そりゃそれくらいなら平気だよ。何かアイデアあるの?やるやる」

 そうではない…ポリーニは首を横に振った。少年魔神一人だけここから逃がすのである。まだ今なら間に合う…台風の目に入ったばかりの今ならば、風の子ヴィスチャ一人なら脱出できるだろう。これ以上中心に入ってしまえば、ヴィスチャの精霊力はますます失われて、自力で飛行することすら不可能になる。決断するなら最後のチャンスだった。
 ポリーニのなみだ目を見たヴィスチャは彼女の考えを悟った。

「ダメだって発明おばちゃん!そんなこと」
「何言ってるのよ、あたしは発明家よ。発明品と心中するなんて願っても無い最期だわ。さっさと降りなさいっ」
「んなことしたら、アニキ怒るって!諦めるのやだよおばちゃん!」
「だからそのおばちゃん呼ばわりはやめないと張り倒すわよ!おねえさまって呼ぶの!」

 こういうときも強がりを言うところが彼女らしい。が、ヴィスチャは絶対いやだと踏ん張る。ポリーニはヴィスチャを引っ張って出口のほうへと行こうとするが、抵抗するヴィスチャと綱引きになる。まるでおもちゃ売り場で親子がもめているような状態である。
 が、その時だった。突然ヴィスチャが叫んだ。

「まって、おばちゃん」
「?」
「アニキだ!アニキ達が来てるよっ!」

 驚いたポリーニとヴィスチャはあわてて窓から外を見た。すると…
 たしかに後方はるかに小さな、しかし稲妻のように力強い純白の白い鳥がはっきりと見える。北方の黒い雲を背景に、白く輝くシラサギの美しい姿は、まるで天使の翼のように純粋な光を放っていた。そしてその背には蒼い髪の青年達の姿が…いや、姿のほうはまだ遠いのだから彼女達の見間違いかもしれない。しかし今やはっきりと伝わってくる強力な風と炎の精霊力…

「蒼雷君!みぎてくんもいるわっ!やっぱり来てくれたのね!」
「おばちゃん!助かったよ!」
「おばちゃんじゃなくて、おねえさま!」

 彼女はヴィスチャを怒りながらも、再び目に涙がにじんできた。しかし今度の涙は感激だったのは言うまでも無かった。

(⑧につづく)

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